目隠ししても虚ろな瞳はすぐ分かる (井上陽水)
Commented by マイケル at 2023-02-12 22:07 x
魂の退廃に限度はありません
また、この退廃は、職業の貴賤を問いません。
有名実業家も、財界人も、政治家も、タレントも、市井の普通の市民も、派遣のアルバイターも、会社の正社員も、誰彼構わず「 白茶けて無感動な、金儲けと虚栄だけがステータスである、エゴイスティックな昔噺のような血の池地獄 」に叩きこまれてしまった。
金が神になれば、ひとの命なんてただの無関係な物質です。
そうした精神風土が、人の世のあらゆる仕組みと規範とを嘲笑い、自分たちだけに都合のいい、欲望と快楽だけの「 幻魔の神話 」をいよいよ作りはじめたんだな、と僕は思います。
僕が餓鬼の頃は、大久保清という連続殺人記が飛び抜けて世を騒がせていて、そのほかの猟奇殺人が新聞、テレビに乗るみたいなことは、それほどなかったんですよ。
浅沼委員長の刺殺事件、連合赤軍のあさま山荘事件なんかもありましたが、当時はまだ「 殺人 」いう言葉の響きに重みがあった。
ところがいまの風土ときたらどうですか。陽水の歌った「 紙飛行機 」を「 紙ヒコーキ 」と仮名に変えたみたいにペラペラの軽さではないですか。
僕等がいま戦っている司法にしてからが同様です。戦ってみて分かったんですが、現在の司法にも「 正義 」なんてものは欠片もないのです。あるのは仲間内の空気読みと、保身と、現実逃避があるばかり。
先日、僕等の令和4年(ワ)第21202号事件では、担当の東京地裁民事第34部の佐藤彩香裁判長は、僕等の裁判を途中で投げ、結審かどうかも言い切らず、判決日も、次の口頭弁論があるかどうかも、次の日程がいつなのかもなんにも言わず、法廷の奥に審理も投げて逃亡しちゃったんですから・・・!
これ、裁判として成立してないんじゃないかなあ?
裁判官が裁判に遅刻してもニュースになるのが当たり前の世界で、これほどのカオスがごんごんやってくるっていうのは、もはやこれは非日常の異常事ですよ。そういえば石垣陽介裁判の2審である3515事件のとき、担当の高橋譲裁判官は30分遅刻して出廷してきたけど、あのあたりが報道されないっていうのも、これは紛うことなき「 司法の闇 」の侵食の印( しるし )であったんだと思いますね。
冗談じゃないよ、あなた、これじゃあスシロー少年とちっとも変わらないじゃんか!! と僕はいいたいねえ。
しかし、見てくれや外聞以上に恐ろしいことですよ、これは。
怖さや畏れの感情って実は大事だったんですよ。ダ・ヴィンチは影でもって光を画いたんです。ていうか影を画けないひとは光も画けないんです。闇を恐れ畏む心があって、ひとは初めて光を見ることができるんです。
闇を感知する心のセンサーが壊れちまったら、現出するのは暗さも陰影もない、ただののっぺらぼうで退屈な白夜だけ。
Commented by マイケル at 2023-02-12 22:16 x
この白夜の時代がきちゃいましたねえ、とうとう!?
先日、ひさしぶりに「 日月神示 」を読み返しました。第7巻の20帖(二三三)の所で、僕、やっぱり立ち止まっちゃいました。
――― 世界構う〇でも我出すと失敗るのざぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障りざぞ。改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸(しぐみ)少しは変わるぞ。今の役員、〇の道広めると申して我を広めているいるではないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今までは〇が世に落ちて人が〇になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ・・・。
――― 十年先は五六七の世ざぞ、今の人間、鬼より邪より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ・・・。
人倫というのは、僕は人類の集合無意識が見通した英知の切れ端なんだと思っています。
田舎臭かろうと、スマートじゃなかろうと、ポップじゃなかろうと、英知は英知、それを袖にするスーパーエゴの時代が始まったことが純粋に怖いです。
エゴが神になるとひとは深さを畏れる心を失い、単なる経済機構の歯車になってしまう。輪転しながらギシギシと互いの呻吟を投げ合うだけの世界なんて・・・うん、寒気がするな。
長くなりすぎたんで今日はこのへんで失礼します。また!
マイケル
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>金が神になれば、ひとの命なんてただの無関係な物質です。
★マイケルさん、こんにちは。「闇バイト強盗」や「ホストにお金を貢ぐために朝昼夜の売春をする若い女性たち」の多くの出現は「お金は呪われている」「お金が滅びの元」と古代から言われたことが表に出て来た現象だと思いますね。ここで注目すべきは神社にある「お賽銭箱」の意味ですね。「お賽銭箱」の迷信は「お金の多く出せば、大きな利益が帰ってくる」というようなものですが、本当の意味は「お金を捨てて太陽神と合体する蘇民将来の道を行きなさい!」というメッセージの意味で、お賽銭箱に「お金を捨てる」という儀式の行為をさせている!と思いますね。今は「お賽銭箱」の本当の意味が解る時だと思います。
>僕等がいま戦っている司法にしてからが同様です。戦ってみて分かったんですが、現在の司法にも「 正義 」なんてものは欠片もないのです。あるのは仲間内の空気読みと、保身と、現実逃避があるばかり。
>先日、僕等の令和4年(ワ)第21202号事件では、担当の東京地裁民事第34部の佐藤彩香裁判長は、僕等の裁判を途中で投げ、結審かどうかも言い切らず、判決日も、次の口頭弁論があるかどうかも、次の日程がいつなのかもなんにも言わず、法廷の奥に審理も投げて逃亡しちゃったんですから・・・!
★鷲も3日に一回は「わいせつ」でグーグル検索してますが、政治家・医者・教師・警官・消防士など「社会正義の職業の者たち」などが「わいせつ犯」で毎日のように逮捕されてます。これまで彼らは「先生」だったのに、ある日突然、「わいせつ犯」に堕ちてます。これには周囲も彼ら自身もかなりのショックだと思いますね。「先生」から「わいせつ犯」に堕ちるとは、本当の大転落です。
★そして司法の人たちって「仲間内」だけで仕事していたようですね。どこの職業世界でも同じですが、なんか「とても小さい世界」で生きていて、世間の常識からも世界の動きからも外れている!というような感じかな。司法の世界もそれでしょう。だから「裁判員制度」が誕生したのでしょう。そのような司法の現実を赤裸々に「表」に出しただけでも、今回のマイケルさんとあかねさんの仕事には価値があります。
★今、鷲は「仕事」と云う言葉を使いましたが、日本人が使う「仕事」という言葉の使い方に鷲は嫌悪感を持ってます。「仕事」と云う言葉を使えば、すべて肯定されてしまうような使い方が。日本人が使う「仕事」という言葉の意味は「お金儲け」ということなんですが、「お金儲けこそが神聖な仕事」なんだ!という錯覚させてしまう言葉です。だから「闇バイト」の「強盗殺人」まで「仕事」という言葉を使って、カネに追い込まれた人間たちを「破滅」に導ています。
★日本人が使う「仕事」という言葉は「お金儲け」とガッチリと概念が溶けあってます。「強盗殺人」まで「仕事感覚」でやってしまう「倒錯」に堕ちてます。さて、今回の結論ですが、今の日本人は「お金」と「性的退廃」で滅びようとしてます。お金を持っていると【闇名簿】に書かれて、ある日突然、若者たちの3~6人が、鍵をこじ開けて【強盗殺人】にやってくる状況だし、歌舞伎町などの「立ちんぼ女性」を「カネを値切って買春」してくる「梅毒オジサン」ばっかりに成ってます。
★実を云うと「梅毒オジサン」は日本では「平均レベルのオジサン」なんです。「これまで性的退廃行為を懺悔して、性エネルギー昇華秘法を学び、性エネルギー昇華秘法を毎日実践しない限りは梅毒オジサンに必ず堕ちます」。だから鷲は「狸大明神像」を背後にして「性エネルギー昇華秘法」を毎日書いてます。マイケルさんの文章を読むことを鷲は楽しみにしてます。長文もちろんOKです。これからも、よろしくお願いします。
サーティンキューさん、僕の長文コメに素晴らしい見解を展開してくれてありがとう。
というより、ここまできたらこれ完全にコラボですよね(笑) ――― いや~、よもやこんなことになろうとは夢にも思ってませんでした。
実をいうと僕、ほんの4、5前までサーティンキューさんを知らなかったんですよ。
サーティンキューさんのことはリチャコシ機縁で知り合った、かおりんさんから教わったんです。excite に書いてるひとで面白いひとがいるよって。
当時、僕はちょうどカルトからの集団訴訟攻撃に忙殺されてゲンナリしていた頃で、いわゆる陰謀論界隈のリチャードコシミズだとか、ベンジャミン、船瀬さんだとか、Qのエリ(よかとよ)だとか、国民主権党の平塚正幸(さゆふらっとまうんど)だとかの幻影言論には、もう完全に食傷しきっていたんです。
もちろん陰謀論の全てが幻影言論だとはいいませんが、おおむね彼等は現実のダークな影部分から自分たち好みの「 黒物語 」の材料になりそうな噂やデマをアトランダムに拾い集めてきて、それでもって自己流のイメージ世界を勝手に組みあげているだけでしょう?
自分を守るための単なる防壁、あるいは避難所として。
その世界観が現実に正しいものかどうかの検証は一切行わない。
それどころか「 対話 」といった手法自体があらかじめ拒否されている ――― 最初から埒外なんですよ、外部絡みのそうした発想は。
根拠なき黒イメージで情弱者や家族、友人たち、さらには自分自身をも怯えさせて、そこで生まれた不安の感情のみを増幅させて、限られたその人造的な虚空間のなかでだけ生きていこうと試みる。
不毛を不毛と意識しないがための安手のマジック。しかも、その詐称を愛用したがるひとがこれほど21世紀のAI世界にいるとはね。
なんのことはない、これは自閉症の論理にほかなりません。
コロナ全盛の頃、渋谷からJR山の手線の1両をノーマスク軍団で占拠しようっていう国民主権党のイベントがあったじゃないですか?
先日、僕はそのときの山手線に乗っていて、平塚を含む彼等党員の何人かを電車車両から追い出した一般ピーポーの方とたまたまお話する機会に恵まれたんですけど、「 お前らのいいたいことは分かった。でも、それはお前らの意見であって、この狭い社内でマスクをしないという行為は俺たちにとって迷惑だ。次の駅で降りてくれ 」というと、平塚を含む何人かは黙って下車していったそうです。
僕はリチャードコシミズ、平津正幸、Qエリの人柄も知っているけど、会ったらたぶんサーティンキューさんも愕然とするくらい彼等はおとなしいんです。肚の座った対話なんて誰ともやれない。一本通行のネット言論と自撮り動画のなかだけが、彼等が安住できる世界で唯一のヒッキー部屋だったんですよ。後発のQや神真都Q、そのときに派生した「 反ワク 」「 ウソコロ 」「ノーマスク運動 」も彼等と同じ本流から別れて派生した、ネガ=ヒッキーの支流なんだ、と僕は思っています。
ちょうどそんなころですよ、僕がサーティンキューさんのブログに出会ったのは。
最初は「 !? 」って思った。
―――― えっ、五井野正? 誰だ、それ? それに性エネルギーの昇華秘法だって? なんだ、それ・・・?
最初は全然分かんなかった(笑)
ただ、このひとの言葉が、肚の底から湧いてきたものであることだけは分かった。
そして、それが実社会入りするひとが通常に身につけるであろう人間学 ――― 例えば漱石の草枕「 知に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みがたい 」みたいな一種の処世訓とは、まるで異なったロジックで書かれたものであることも分かった。
何より気圧されたのは、サーティンキューさんの書いた文字列に漲っている「 風圧 」でした。
統失患者の症例として「 自分にしか理解できない自分語作り 」ってのがあるんだけど、精神の深部のほとんどそこまで沈降して書いている、だから、手斧でぶった切って投げつけてくる一語一語にこれほどまでの重量感と圧力があるのだな、と感じられたのです。
ひとことでまとめるなら、それは祝祭 ――― 「 縄文の祭り 」みたいな野蛮な匂いがぷんぷんしてた。
石の楽器を打ち鳴らして歌う人々。
それぞれの土器椀が振られるたびに飛び散る火酒。
酔って舞って陶然境に至った巫女の艶めかしい淫蕩顔。
次から次へとはした女を求め続ける戦士たちの野卑な蛮声。
多くの胃袋を満たすために、殺戮される番を待つ生贄の羊たち。
そして、宴の背なでたえず鳴っているのは、呪術師たちの祈りのシュプレヒコールの重低音だ。
サーティンキューさんの扱う素材はむろん現代の事件なんですが、サーティンキュー流の俎板に乗せられると、ふしぎなことに時代の外装なんてみんな飛んじゃうんですよね。アタマでっかちな観念の額縁はことごとく剥ぎとられ、矛盾も、憎悪も、平和も、嘘も、罪も、歴史も、すべて一緒くたに、平等に、審判を待つ深い沈黙のなかに置き捨てられてしまう。
めちゃくちゃ硬派で残酷なんです、そこが素晴らしい。
僕が最初に見た記事は「 日月神示 」関連のものじゃなかったんだけど、一読して僕は「 日月神示 」のリズムを連想しました。
似ていたんですよ、微塵も恰好をつけようとしないところと野人の素朴さとが同居してるところが。
――― 世界構う〇でも我出すと失敗るのざぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障りざぞ。改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸(しぐみ)少しは変わるぞ。今の役員、〇の道広めると申して我を広めているいるではないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今までは〇が世に落ちて人が〇になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ・・・。
――― 十年先は五六七の世ざぞ、今の人間、鬼より邪より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ・・・。
「 日月神示 」だきゃあ、やっぱ別格に恐いですねえ……。
通常人みたいに意識して「 言葉を使う 」というのとは全然ちがってる。
意識が言葉を管理選択しているんじゃなしに、ある強力な意思がひとの世に溢れている雑多な言葉のなかから、近い意味らしいのものをむんずと手掴みして、ただただ伝えたい一心で、美学も流暢さも礼儀も丁寧さもみんなかなぐり捨てて、なりふり構わず迫ってくるような大きな歩みを体感するのが、僕は初読のときからずっと怖かった。
僕等の心の底に書きつけられている自分には読めない言葉をあえて強引に引っぺがしてきて、引っぺがしたそれを乱暴にこっちの顔面にむけて投げつけられてるみたいなふしぎな感覚。
20世紀に書かれたこんなに黴臭い文章が、AIと退廃の21世紀に暮らす僕の心をどうしてここまで揺さぶるのか?
とにかく日月さんにまいるのは、渦巻く言葉の奔流のどこにも恰好をつけた形跡がないことです。
僕もいくらか野蛮人ですが、この俗世離れした超・ウルトラ正直にはとても及ばない。
そしてね、日月さんの文章は、サーティンキューさんの文章にどっか似てるんですよ。
サーティンキューさんの言論は文章じゃなくて「 火酒 」なんだ、と僕は思う。
しかも、意外なことにこの酒ときたら明るいんです。残酷で容赦ないけど明るくてね、しみったれた暗さが全然ないんです。
いけてるよねえ ―――!?(笑)
喧噪と煩悩と喰いぶち探しの昼世界から離れてようやくのこと自室にもどり、PCをあけてこの特別な火酒を喰らう ――― それは、僕にとってなかなかに大切な時間なのですよ。