ザ・マイケルブログ!

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💎 司法をめぐる冒険 ーPART 1( 石垣陽介誤記&調書改竄事件、その隠蔽工作の歴史総括 )

2024-07-16 21:53:14 | 石垣陽介




 

 石垣陽介事件( 43期・現仙台高裁民事1部、前旭川地家裁所長 )の本質というのは、ひとつしかない。
 
—――― さいたま地裁民事5部時代に石垣陽介判事がやらかした空前の大量ミス、このあってはならない不祥事を司法の歴史から抹殺せよ!

 ズバリ、これだけだ。
 星新一が著書「 人民は弱し 官吏は強し 」のなかで、日本有数の製薬会社であった星製薬を潰すべく動いた官の横暴について書き残しているが ――― 星新一は星製薬創業者社長の実子であった ――― あれはフィクションじゃない。
 僕等もあれと全くおなじことを体験した。
 その気になれば、官とはなんでもやれる存在なのだ。
 今回は、僕等の事件追及を参考にしたいひとにも、これの後につづきたいひとのためにも、裁判官、書記官、事務官の名もすべて実名で、僕等の体験した「 司法という軍隊 」の内幕について、具体的に、順を追って語っていくことにしよう。


始まりは某カルト団体による集団スラップ訴訟、それにまつわる さいたま地裁庁舎内への警察突入事件 だった ( R元年10.11. 午後01時01分 )

 当時、僕はバトっていた某カルト団体から集団訴訟を受けていて、その3件目のH31年(ワ)633号の結審直後に、このカルト組織のメンバー7人から、僕は、さいたま地裁1Fロビーにて集団待伏せを受けた。僕の携帯にも同時進行で彼等からの脅迫メールが届くという、これ、完璧な脅迫案件だった。某団体という危険な集団絡みの案件( この団体はかつて不正選挙裁判という名目で東京地裁内に200名近い人間を集め、騒動を起こした前科があった )だということで、この裁判には制服組の特別警備が十数名、さらには原告、被告、傍聴人のすべての財布の中まで点検するという念の入った手荷物検査が実施されるものだった。
 そのようななかでこの事件は起こり、僕は110番し、さいたま地裁庁舎内に浦和警察の猛者らが派手に臨場したのだ。

 この待伏せ人のメンバーには、最初に僕を訴えた人間も、2番手3番手で僕を訴えた人間も皆含まれていた。
 これは集団訴訟の何よりの証拠だろう。

 次に僕等が別訴として初めて自分たちからカルト組織を提訴したR元年(ワ)1818号事件で、僕等はさいたま地裁民事5部の石垣陽介裁判官( 43期 )に、法廷内でその事実を述べた。
 準備書面でもはっきりとそう書いた。けれども、石垣陽介は、その「 事実 」を認めなかったのだ。


 
 
 H31年3月20日には、東京家裁で離婚調停中の女性が、米国人の夫により刺殺される事件が起こっている。
 この案件で神経質になっていたさいたま地裁が、僕等関連の危険な裁判で起こったこのような案件を隠したかった、という気持ちは分かる ――― 人情として、体裁として。

 でも、実際にR元年の10月11日PM1:01 ――― 浦和警察の生活安全課の面々は、たしかに地裁内に臨場していたのである。

 これほどあからさまな事実を否定するのは、現在の旭川警察が殺人犯女性と不倫していた同署刑事の存在を隠蔽するのと等しい。
 しかも、法律運営の要ともいえる、さいたま地裁がまさかこんな無法なことをやらかすなんて・・・

 法律家が法律を遵守しないで、身内組織の安泰を何より重視するってどういうことよ!?

 だが、これにはまだまだ恐ろしい続きがあるのだ。
「 実際に警察が裁判所内を臨場した 」にも関わらず、これを「 原告飯田( 注:僕のこと )が通報したことを記録しているだけである 」とした石垣陽介が、僕は許せなかった。
   通報がなされたということを石垣が認めたのは、僕が実際に110番通報した携帯画像を証拠として提出していたからだ。
 要は、僕がそのとき110番通報した、ということだけは認めざるを得なかった。証拠があったから。
 だけど、警察が臨場したという証拠はない ――― 石垣は、そこに賭けたのだろう。

   石垣は、僕等が控訴しないほうに賭けた。
  
僕等が呆れて訴訟を投げ出すほうに賭けた。
 根拠がなく、賭け率も低い、身内庇いのリスクだけが加算される、みっともない損な賭けだ。
 だって、浦和警察の生活安全課の人間は間違いなく臨場したのだから。多くの書記官も事務官もそれを見ているし( 志儀書記官、御手洗書記官ほか )、他にも多くの関係者が警察に話を聴かれてもいた。
 それであるにも関わらず「 原告飯田が通報したことを記録しているだけ( 注:電話はしたが警察は臨場しなかったという意。苦しすぎる )」とした、石垣陽介の上の判決部分を見られたい。
 
 なんという御都合主義!
 そして、真相丸まる分かりの、稚拙極まるウソ!
 ここまで事実をゆがめた権力の走狗と成り下がった石垣陽介に、僕は言葉を失った。

 だって、石垣は、法曹の体面と自分の判事キャリアの安泰のためだけに、事実を曲げ、そのために法律を使ったのだから。

 もちろん許せるわけがない。
 てか、許してはいけない ――― 彼が行ったのは「 犯罪 」なのだ。
 責任ある判事がこのようなことをするのは、僕等の訴訟する権利を踏みにじるだけでなく、民主主義国家の理念に対する叛逆とさえいえる。
 当然、僕は控訴した ――― 今度は埼玉県警察本部 けいさつ情報公開センターから取った、警察臨場のれっきとした証拠 を突きつけて。






② すると、2審( 控訴審 )東京高裁民事10部総括の 高橋譲裁判長 ( 35期 )
がまっ青に・・・





 この控訴を担当したのは、当時東京高裁民事10部の総括裁判官であった 高橋譲( 35期 )であった。
 この控訴審は令和3年の2月19日に開廷したのだが、なんとこのとき 高橋譲は30分も出廷に遅刻してきた!
 このときの担当書記官であった 加藤俊輔 がこれ以上ないほど動揺して、「 どうしたんだろう、どうしたんだろう・・・」と口にして、やたらと法廷内を歩きまわっていたのがどうにも忘れられない。
 
   でも、これは異常に動揺する加藤俊輔のほうが正しいのであって、裁判官の出廷の遅刻などというものは、本来は即報道に値する特大ネタなのだ
 このことが報道されなかったのは、僕等の裁判が弁護士を伴わない本人訴訟であったからに過ぎない。
 要するに僕等は舐められ、軽んじられたわけだ ――― 弁護士をつける金もない貧乏原告( 注:この場合は正確には「 控訴人 」という )なのだから、こんな扱いでもいいか、といったあたりであろうか。実に笑える。
 
 開廷から30分後に遅刻出廷してきた高橋譲は、その手に赤や青や黄の付箋をいっぱいに貼りつけた石垣判決を持ってきていた。
 石垣と高橋は東京地裁と高裁に同日に人事異動してきたこともある仲である。恐らくは石垣本人から前もって、ねえ、高橋さん、1818号でちょっと私ミスってしまったんで、済みませんが今度の控訴( 僕等の控訴。令和2年(ワ)3515号 のこと )ではご苦労をかけますが、そのへんよろしくお願いします、みたいなことをいわれていたのだろう。東京高裁民事10部の総括判事として多忙な高橋は、恐らく当日に石垣の1818の判決書面を流し見して仰天したのだ。

 それはちょっとどころではない、司法史上初といっていいほどの空前の大ミスに溢れかえっていたからだ。

 高橋は、この日、原告席の僕等( 僕とあかねさん )に対して、異様に寛大で、低姿勢だった。
 集団スラップ訴訟の仕掛人である被告席の人間らには目もくれず、高橋は原告席( 控訴人席 )の僕等に自由気ままに喋らせた。
 なんと30分以上も喋らせたのだ。
 あれは完全なガス抜きだった、といまになってみると僕等は思う。
 高橋が1818号の石垣判決に貼っていた色とりどりの付箋は、石垣ミスのチェックの印だったのである。
 高橋譲は聡明な、頭の切れる男だ。控訴審の直前に石垣のあれほどの膨大ミスを発見してしまい、当然迷ったと思う。

—――― どうするんだ、これ? 差し戻すべきか・・・それともこのまま石垣を庇って、こいつら控訴人の意向を無視して突き進むべきなのか・・・?



 

 控訴判決の申し渡しは5月11日だった。結審から判決まで3か月弱かかった勘定になる。
 結果は、もちろん僕等訴えの棄却であった。
 判決の直後、僕は担当書記官の 加藤俊輔 に詰め寄った。
 すると、僕が口をひらくより先に加藤がいった。

—――― なんですか、上告ですか?

—――― いや、国家賠償です。こんなポンコツの石垣判決を支持する控訴審なんて僕は認めない。ただ、国家賠償のやりかたが分からない。加藤さん、そのへんのやりかたを教えてもらえませんか。

 あらかじめ用意していた台詞をいうみたいな棒読み口調で、加藤俊輔 はこう答えた。

—――― 知りませんね・・・弁護士にでも聴いたらどうですか。


 高橋譲の控訴(2審 )判決は全部で30Pもあるものであり、とても法廷内で読み切れるような規模のものではなかった。
 だから、僕等は裁判所から出て、その後でこの高橋判決を読んだことになるのだが、そのときは心底びっくりしたものだ。
 高橋は石垣判決のなかのミスを詳細にいちいち訂正しており、その数は全部でなんと70か処にも及んでいた。
 もちろん、石垣判決の要のひとつであった「 原告飯田が通報したことを記録しているだけ 」の部分も「 警察はきた 」とちゃんと改められていた。
 まさか警察の情報公開でもって、警察臨場の事実が証明されるとは高橋も思ってなかったのであろう。

 だから、変えた。
 証拠を出されて仕方なく変えた。
 けれども、間違った判決を意図的につくった、同僚の1818号の裁判官・石垣陽介がついたウソに対する謝罪は、なかった。
 僕等が石垣陽介に対する国家賠償を正式に考えたのは、このときだ。

 それまでの僕等の敵は、あくまで僕に執拗な名誉毀損のスラップ訴訟を連続して仕掛けてくる、カルトな相手方であった。
 でも、このとき ――― そんなどうでもいい泡沫敵の存在は、僕のなかから完全に消し飛んだ。
 もっととんでもない、理不尽で狡くて、芯の部分は小心で、なのに傲慢つくな巨大な敵がここにいたじゃないか。

 僕等の空になった標的に、カルトと入れちがいに表れてきたニューターゲット ――― それが、司法だった 。


 まあ、こうした能書きを述べるのも悪くはないけど、このあたりでそろそろ厳粛たる事実に語りはじめてもらおうか。
 高橋譲 のR2年(ネ)3515号( R元年(ワ)1818号の控訴 )の、問題の実物判決が以下である ―――













 高橋譲のこの控訴判決は、同僚裁判官・石垣陽介の判決書内の過ちを( 数にして70!)裁判所自らが認めたという意味において、非常に画期的なものだ。
 短時間でこれだけの数の石垣誤記を見つけ訂正した高橋の手腕はさすがといってもいいものではあるが、これだけの「 過ち 」に溢れる原判決を差し戻さなかったという 高橋自身の判断といったものは、司法側のアングルからしていかがなものであろうか?

 前掲した2024年5月、名古屋地裁が「 裁判官の押印が抜けていた事件を 審理が完成していないとして差し戻した案件 」と対比して見られたい。
 どちらが国家の法曹組織としてふさわしいものであるか、5歳児の子供に尋ねても分かるであろう。

 石垣陽介は、PCのこともネットのこともSNSのことも、まるで知らなかった。
 欧米各国でポピュラーなものとなり、すでに幾国かでは法制化されている「 集団によるスラップ訴訟 」についても何も知らなかった。
 裁判所ではいま現在も世紀末の一太郎を使いつづけており、AIやネットの事情に疎すぎる人材があまりにも多い。
 633号の担当裁判官であった 斎藤清文 は、ブログという存在についてまるきりの無知で、ブログにコメントするという行為を、いくら法廷で説明してみても全く理解した様子がなく、審理の間中僕にむかって罵言を投げつづける傍聴席のカルトチームの行為も放置した。( 記事冒頭フォトの一番下方の男性裁判官 )
  

 石垣陽介の裁判調書を改竄したとおぼしい、さいたま地裁民事5部の 森本清美書記官( 石垣1818訴訟時に石垣のパートナーだった担当書記官 )も、石垣同様にスラップ訴訟という言葉を知らなかった。
 下記は、R元年(ワ)1818号の第3回目の口頭弁論の裁判調書だが、担当書記官であった森本も、欧米のスラップ訴訟という概念を知らなかったらしい。
 中央下のあたりで「 ステップ訴訟 」という意味フな単語を唐突に記入しているのが分かる。
 僕等の裁判中のジレンマと齟齬感がどんなものであったのか、これだけでも分かるひとには分かってもらえるのではないだろうか。
 なんというか、現代とテクノロジーの全くちがう戦前の裁判所で、前近代の知識しかない裁判官にアナクロ審理されているような感触なのだ。




 さて、高橋譲( 35期 )は控訴審において、前審の石垣陽介の判決中の誤りを認めた。
 が、彼は、その70もの間違いが、判決自体の価値を損なうものだとは全く考えなかった。

 つまり高橋は、たとえ70箇所の過ちがあっても、実際にさいたま地裁内に警察が臨場したのに石垣がそれを認めず、あえて裁判所の対面を保つために「 原告飯田が通報したことを記録しているだけ 」と子供理屈みたいな隠蔽のためのウソを意図的に書いたことも、審理本来の本質には関係ないといいきってしまったわけだ。

 高橋譲の2審判決を読んで、ああ、そういえば石垣1818号原判決には、あ、ここ間違ってる、あ、ここも原告と被告を取りちがえてる、みたいな箇所が結構あったよなあ ――― と僕等はもう1度そこで、見るのも厭だった1818号の負け判決を、入念に2人で見直してみた。

 そしたらね、70どころじゃなかった ――― 108つ、石垣陽介の判決書には、なんと108箇所もの間違いと事実誤認があったんだ。

 もう吹っ飛んだね。
 裁判判決というのは公文書 だ。
 これほど恥の塊みたいな誤りだらけのダメ文書を公文書として押し通すなんて、マジで正気の沙汰じゃない。

 これは、はっきりいって 背筋が凍るほど恐ろしいこと なのだが、読者のあなたはどう感じられるのだろうか。
 法律家である石垣陽介と高橋譲は、僕に対する多数の集団スラップ訴訟( 名誉毀損事件 )について審理しているはずなのに、実際の警察臨場に対して言及するとなると、これが異常といっていいほど歯切れがわるい。
 物々しい制服組の特別警備がついている裁判所内において、脅迫を伴う多数による僕ひとりへの待伏せ行為が行われたのだ。
 普通に考えてこれは脅迫行為であろう。

 そう取らなかったのは、裁判所の汚名とスキャンダルとを恐れた裁判所の意図的な戦略だ。
 この待伏せによる警察臨場が実際にあったということを知悉していたのにも関わらず、石垣陽介はそれを「 飯田が110番したことをだけ 」というテキトー語ひとつで誤魔化し通すことを決め、自らの過ちを隠蔽すると同時に、裁判所という大きな権威に媚びたのだ・・・。



                 


 2023年、僕に対する集団スラップ訴訟はまだ続いていたが、僕等はずっと考えていた< 石垣ー高橋の誤記問題 >にけじめをつけるため、2024年の初頭に

 ★ 令和4年(ワ)3333号国家賠償事件

 を提訴した。

 訴状と証拠を提出して印紙代を払うと事件番号が決定されるのであるが、僕はこの事件番号にまずびっくりした。
 前の1818号もなにやら意味深だったが、今度のはなにせ3333号だ ――― ゾロ目もゾロ目、フィーバーじゃんか、これって!
 
 僕等の3333号国家賠償事件の第1回目の口頭弁論は、2022年の6月21日、東京地裁の609号法廷で、13:30に開廷された。
 この事件を担当した 丹下友華裁判官についても語りたいことは多くあるのだが、それは
次回の PART 2 「 石垣陽介事件の隠蔽を働いた裁判官と書記官たち 」にまわすことにして、何をさしおいてもいわなくちゃいけないのは、僕等のこのR4年(ワ)3333号が実際に東京地裁で動き始めてからの、石垣陽介裁判官と高橋譲裁判官の処遇であろう。

 石垣陽介は僕等の3333号が始動したこの年の10月25日、同年の4月1日に古巣のさいたま地裁民亊5部から東京高裁民事23部に異動してきてからまだ半年と24日しか経っていないのにも関わらず、なんといきなり北海道最北端の旭川地家裁所長へと左遷になったのだ。






 さらに、なんと石垣陽介事件の2審を勤めた、あの高橋譲までがこうだ ―――!





 あの高橋譲 ――― 僕等の3333号訴訟が東京地裁で始動しはじめてから、わずか2か月あまりしか経っていないのに、自ら依願退官していたのだ!

 栄誉ある円満退官まであとわずか10か月ばかりしか残していなかったというのに、こんな半端な時期に、一体なぜ・・・?

 

 石垣事件の最重要関係者が、わずか半年ほどの短期間のうちに、裁判官という表舞台から消えたのだ。

    そして、高橋は彼のキャリアからすると最上とはいいかねる、上記の天下り先に緊急避難していたのである。


 これだけでもこの法曹事件が並の規模のものではない、といったことが誰にでも理解できることと思う。
 しかし、次号の PART 2 はもっと凄い。
 次号で扱うのは、その後の僕等事件に関連した、裁判官たちの菅原道真公的な悲喜こもごもな左遷ストーリーだ。

 今回の僕記事はここまで ――― お休みなさい。 ( 了 )
 

 


 

カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。








 

 


💎 おーい、サーティンキューさーん、ブログ更新 STOP どしたの? 無事ですかあ~!?

2024-07-01 16:47:00 | サーティンキュー

サーティンキュー

マイケルさんが、まだまだ元気なので、嬉しくなる!

 
 
マイケルさんが、まだまだ元気なので、嬉しくなる!_d0241558_18423833.jpg


★上のマイケルさんの元気な「声」を聴くと嬉しくなるな。やっぱり裁判所と戦うと「大きな闇」が降りかかってくるのかな?とか思ってしまうから。裁判所というのは、一般人から見れば、分からない「未知の世界」なわけ。マイケルさんは、リチャードコシミズとの闘いで、たまたま、裁判所との闘いに移動してしまったわけだが、結局、裁判所って、小さな小さな【村】だから、裁判所と戦うことは、何かの裁判に入った時にはヤバイの鴨?と思ってしまったのだが、マイケルさんの元気の今の「声」を聴くと、そうでもないな、と思い直した。
 
 
★自民党でもN国党でもつばさの党でも、失敗の原因は「お金」なわけ。善意の運動をする場合は、絶対に「お金」に警戒しなければならない。鷲が自称「善意の運動」を攻撃する場合は、絶対に「お金」関係から行くから。だから「お金」関係は、ビル・ロビンソン(☜ 誰も知らない昔のプロレスラーwww)のように、清潔なレスリングスタイルでなければならない!と思っている。今はネットが発達しているわけだから、無料でどんどんできる環境になっている!ということ。
 
 
★日月神示の黄金の巻の59帖に「金で世を治めて、金で潰して、地固めして、みろくの世に致す」と云う言葉があるが、この短い言葉が、今と近未来の絶対的預言だということ。今は「金で世を治めて、金で潰す」の現象である。だから意識的に「人間はお金ではない!」と発言しなければならない!若山キラトのように「この世はお金がすべて」と公言すれば「殺人犯で逮捕」である。太陽神が降臨している今は、言葉が審査されている!ということを自覚しなければならない。
 
 
★鷲が今のブロガーで注目しているのはマイケルさんのみである。ブログの方がユーチューブより優れている!と鷲は思っている。「文章」「写真」「動画」「ニュース記事」など多様なことで構成されているから。ユーチューバーから逮捕者続出なのは「お金儲け」の要素が第一だから。古代から「お金は呪われている!」と云われてきたが、今回の宝島龍太郎の事件で日本人は、「お金は呪われている!」ということを学ばねばならない。言葉で「お金儲けは素晴らしい」とか言えば、若山キラトのように裁かれるだろう。カネカネカネの時代に、「お金儲け無しの善意の運動」をやるのは、難しいのか?と問えば、別に難しくもない。マイケルさんには、そこを期待する。リチャードコシミズも「ネット乞食」をしていたから、今の哀れな姿に堕ちたと鷲は思っている。そして「ネット乞食」をしていた平塚正幸は「女子中学生を妊娠させた」という最低最悪に堕ちた!ということ。

 
 
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 2024年5月26日の「 内縁の妻 」といった投稿記事を最後に、あのサーティンキューさんが沈黙してる。

 これを書いてるのは2024.7.1だから、つまりサーティンキューさんはまる1か月と4日も沈黙してることになる。

 僕もザ・マイケルブログの更新を途切れさせたことはあるけど、僕の更新滞りとサーティンキューさんのそれとは意味がちがう。
 サーティンキューさんは2011年の6月にエキサイトさんに自身のブログを開設してから、更新を途切れさせたことは1度もないひと。
 2013年あたりまでは月に4度とかいう、わりかし一般ブログ的な更新回数であったのだけど、2017年あたりから更新回数はやたらに上昇して、月に80とか90とかいう数字がむしろ普通みたいな過激状態になっていった。

 2021年あたりになると月70、80はもう当たり前!
 月に100回の更新を超えることも全然珍しくなくなってきた。
 月に100更新ってことは、1日平均3.33333・・・・新記事をあげ続けるって ――― これは凄いことだよ。

 リチャードコシミズとごちゃごちゃやってたこの時代に、僕は、サーティンキューブログにコメントしたのが契機で急速に仲良くなって( 横浜のジョナサンでコメしたら瞬時に返事が返ってきたのでした。あれはびっくりした )、コラボの記事全然いいですよ、はてなさんにあげた自分記事を引用してマイケルブログで使ってもらっても一向に構わないって本人許可までもらって、それでもって < サーティンキュー&マイケル > の一連の異種コンタクト・コラボ記事が誕生したわけなのよ。
 



 サーティンキューさんと僕とは、考え方もキャラもまったく違ってる。
 サーティンキューさんは札幌在住だし、僕は横浜だし。
 僕等に共通していたのは「 カルト 」とのバトルです。
 サーティンキューさんは五井野正、僕はリチャードコシミズと司法 ――― うん、司法って権力もカルトなんだと今の僕は思ってる。
 それ以外はどっちも井上陽水が好きだとか、共に音楽をやってた経験があったとかぐらいしか共通項はなかったんだけど、どういうわけか馬が合った。

 僕はサーティンキューさんの「 風圧をまとったヘビー言説 」が好きだったし、サーティンキューさんも僕言論をめっちゃ気に入ってくれた。
 ま、月並にいえば「 ダチだった 」ということになるのかな?
 実際には電話で話したこともないし、会ったこともないんだけど、それでも分かりあえることって人間あるじゃない?
 その大事なダチが、2024.5.26を境にふっつり消えた。
 しかも、サーティンキューさんが僕ブログ更新停止の2か月を心配して、自身ブログでわざわざ心配記事をあげてくれたそのすぐ後で。

 これは、心配だよ、やっぱ・・・
 


 ほかの知人だったら連絡がちょっと途切れたくらいで心配なんてしやしないんだけど、サーティンキューさんはべつ。
 昭和のパトスを特大の大釜でごんごん煮詰めて、その上からマコンドラの粉末を大量にふりまいた ――― みたいな異常な熱さを、僕はサーティンキューさんとの付きあいから体感していたからね。
 これは、ただごとじゃない、と思った。
 脳梗塞で倒れて死んだのか、もしくはふいの事故か、さらには会社が潰れて夜逃げでもしたのか、とも思ったな。
 あのサーティンキューさんが生半可な事情でブログ辞めるわけがないもの。






 1年前の今日、すなわち7月の1日、僕は大学時代の親友・内山一英の魂の弔いのため、淡路島の志筑の寺を訪れていた。
 身体をわるくして人工透析の生活になっていたのは聴いてたけれど、彼本人と、去年の4月くらいから全く連絡が取れなくなっていたんだよね。
 携帯も固定電話も通じず、Facebook の更新までが途絶えてる。
 まさかお前、死んでるんじゃないよな? なんてライン入れても、いつまで経っても既読がつかない。
 淡路で人工透析やってる病院にかたっぱしから連絡入れてみたけど、あいにくその頃は日本中 GW のまっただなか。
 GW 明けの初日の通勤をいつもより早めて、淡路の透析病院に次々と連絡してたら、3軒目のナースが初めてこう答えてくれた。

—――― あの、ホントならこういう個人情報は話しちゃだめなんですけど、ご友人でしたよね? ・・・ああ、そうですか・・・はい、お問い合わせのその内山さまなら、確かに透析のためウチに通われていたことがございます。・・・ただ、ウチからもまた転院されて・・・そちらで亡くなられらた、と聴いております・・・。

 自我の底に小さな穴があいて、そこから薄気味わるい黄泉風が吹きあげてきたみたいな感触だった。
 ただただ脱力 ――― ああ、これから俺は、アイツのいない世界でずっと生きていかなきゃいけないのか・・・といった諦念に近いやるせなさ。 
 そういった目に見えないゲル状の靄にあたりの空間を閉ざされて、僕は、自分が、鵠沼の夏祭りのなかで握っていた母親の手をつい離してしまい、すぐさま雑踏に流されてもみくちゃにされ迷子になった、遠いむかし、4才当時の、不安しかなかった過去自分に揺れ戻った気がした。

 もしこのままサーティンキューさんがブログに戻らないなら、僕が大事なダチを失うのは、これで4人目ってことになる。
 最初は、大学のときグループを組んでいた、天才ギタリストの家高 ――― 家高は、ギターを教えに生徒のもとに原付を飛ばしているとき、駅ターミナルから急に飛び出してきた社会科教師の乗用車にぶつかって死んだ。彼がプロになってからすぐのことだった。

 2人目は、陳家太極拳の師範代をやってたドン大塚 ――― ドンとはキックミットをもってあちこちに出かけ、野外でやたらに武術稽古をした。皇居の東御苑の大奥跡の芝生で稽古して、警備から追い出されたこともある。ドンは、 夜中に固形燃料を使って自宅庭で調理してるときに、ふいに死んだ。お袋さんが解剖を拒んだんで、死因はいまもって分からない。

 3人目が内山だった ――― 大学の寮で家高を交えてよく一緒に演奏してた。内山は絶対音感をもってて、僕が歌うと「 イーダ、いまの歌のサビのE またフラットしてたでぇ! 」といつも生真面目に修正の注意を入れてきた。アタマも良くて、卒業後は家庭教師と調律師をやって喰ってたみたい。最後に大阪で会ったとき、あんな話もすればよかった。こんな話もすればよかった。もっとあいつの病気に寄り添って、話なんかもよく聴いてやればよかった。それなのに俺は自分勝手に、内山からすれば遠い話のカルトとのバトルだとか、講演会潰しのあれこれの活動だとか、さいたま地裁に浦和警察が雪崩れこんできたときの回想実況だとか、裁判官の不正についての憤りだとか、そんな物騒な話題ばかりわがままに喋り散らしたりして・・・


 サーティンキューさんとの付きあいというのが、彼等3人ほど近くて濃厚なものじゃなかったというのは事実。
 でも、僕は、サーティンキューさんとの付きあいが、彼等3人みたいに深いものじゃなかった、とは思わない。
 ですから、彼の近況を知るお弟子さん筋の方や、リアルなサーティンキューさんの詳細を知る方がおられましたら、僕ブログのコメント欄までどうかご連絡ください 。
 僕の今日の記事は以上です ――― お休みなさい。 (了)



Bach - Prelude and Fugue in E flat minor, BWV 853. {From WTC Book 1, No.8.} Pianist: S.Richter.






💎 石垣事件の最高裁判決やっぱ棄却 ―― 大笑いだぜ、 Ugly law house!(笑)

2024-06-28 23:08:18 | 石垣陽介

< 最高裁 第一小法廷 西田三佐子書記官への電話 >



 Hello、マイケルです ―――。
 まる2年かけて僕等が追いつづけていた、「 石垣陽介の108つの誤記と裁判調書改竄事件 」が、この6月13日に
最高裁で棄却となりました。
 つまりは「 負け 」ですわ。
 予想はしていたんだけど、なぜだか笑ったー! こうまでして隠し通すとはね~(笑)
 ただ、これ、「 偽公文書の作成及び行使 」についての事件ですからね。石垣裁判官( 彼、このミスでさいたま地裁民事5部から旭川地家裁所長に13か月左遷を喰らってます )のギガミスを庇った、他裁判官も皆この「 石垣隠蔽事件の共犯者 」なのであります。





 

 僕等の3333号事件を担当した1審の裁判官は丹下友華であり、1審の判決後、彼女は現役裁判官から司法研教官へと左遷されてます。
 平行裁判21202で僕等に判決日も告げずに法廷から逃げた佐藤彩香は、判決の2日後、最高裁の参事官に左遷、そして、石垣事件前身の令和2年(ワ)1818号の2審を担当した高橋譲高裁総括判事も、めでたい円満定年まであと7か月だというのに、僕等の3333号国家賠償訴訟が提起されるやいなや、高裁から逃げるように自主退官して、手近な天下り先にこっそりと逃げやがりました。








 実は「 偽公文書の作成及び行使 」というのは、10年までの懲役刑が課せられている、大変な重罪なんですよ。
 時効もロングの7年ときた。もうヤバイもヤバイ。法曹人としてそのことを知らないひとはいない。
 痴漢とかの誰でも厭うような不祥事ならば、個々裁判官のそれぞれの人格のせいにして、司法組織の威厳と信用は損ねないで済む。
 でも、僕等の石垣事件に関しては、そうじゃない。
 彼の「 膨大誤記 」「 裁判調書改竄 」は、それくらい破格の水爆級のものであったといえましょう。
 
 そして、この事件には、複数の裁判官や書記官やらがやたら関連しております。
 もう彼個人の範疇を悠々超えてきちゃったんですね。
 633号の2審の高橋譲が633判決の石垣誤記をささーっと勝手に修正して、しかも、それを差し戻すこともしないで通しちゃったもんだから、その刹那からこの案件は「 石垣陽介個人のミス 」じゃなくて「 関連した裁判官と書記官全員に関わる超・危ないパニック案件 」へと姿を変えた。

 ですから、僕等と対峙するどの裁判官も、みんな蒼白顔で出向いてくるほど必死でした。
 皆さん全員、合戦場に向かうむかしの足軽みたいだったよ、マジで。
 3333号の国の代理人・内田高城氏なんて、高裁の待合室で僕等と偶然すれ違った際、あかねさんが「 こんにちは~ 」って挨拶したら、びっくりして飛び上がってたもんなあ(笑)

 あれにはこっちもびっくりしたよ~、うん(笑)




 
 僕等が「 誤記 」と「 裁判調書改竄 」について訴えているのに、どの裁判官もどういうわけか「 誤記 」についても「 裁判調書の改竄 」についても、とうとう誰ひとり法廷内で口にすることはなかったんですよ、これが。

 超・異常すぎ! これはつまり、原告の提示に全く触れない「 審理不尽 」であり「 弁論主義の違反 」でもあったのです。
 
 これは、いうまでもなく異常な行為であり、異常すぎる作戦でもあります。
 石垣クンのメガミスがあまりに凄まじかったから、そうでもするより仕方なかったんだろうな。
 けれども、< 法廷で審理しなければ、その事件は存在しなくなる作戦 >とでもいうあなたがたが取った作戦はさ、まずかったよ、やっぱ。
 
 だって、あれら、裁判じゃなくて魔術 だもん(笑)

 いまはいいよ。僕等の訴訟を力技で退け、あんたがたは今ようやくホッとできているのかもしれない。
 でもさあ、歴史ってのはそんなに甘くないからさ。
 十年経ってから復讐してくることなんかもよくあるし、ね。
 たとえばこれ、僕等の令和4年(ワ)3333号の第1審の判決なんだけどさ、よ~く見てごらんよ。
 書いたのは、この判決後1週間で東京地裁判事から司法研教官に急速左遷で流されちゃった丹下友華なんだけど、スゲーよ、これ ―――




   はは~ん、108つの石垣誤記に関する細分表は、僕等出してたじゃん!?
 ニッポン司法ってここまで〇〇なのかって、これ読んだとき僕等は思ったよ。
 なんだったら、ここで全部の誤記をいちいち説明してあげましょうかあ? というと、いやいや、それはやめてくれ、と萎む友華ちゃん 💔

 なんか、これまで僕等が法廷で対峙した陰謀論者たちみたいだったよ。
 最高学府を出た( 注:いま現在の裁判官は最高学府出じゃないひとが多い。最高学府卒が多いのは弁護士かな? )あなたがたが、ニッポンカーストの裾野の彼等と瓜二つに見えた ――― あのときは・・・。

 でも、彩香ちゃんの過ちは、こんなもんじゃなかった。

 



 あのさ、裁判調書改竄っていうのは、僕等、以下の3枚のことをいってるの ―――!








 令和元年(ワ)第633号事件の裁判調書。
 石垣陽介が超しくじりをやったときの、この裁判調書3部をごらんってば。
 第1回目と第2回目の裁判調書は、さいたま地裁民事5部の佐々木智穂書記官が担当した。
 で、3回目からが民事5部に新たにやってきた、森本清美書記官の担当さね。

 でさ、なんで佐々木智穂さんが作ったはずの第2回目の裁判調書の書式が、第3回目から担当した森本清美さんのとクリソツ100%なわけ?

 というより、同一人物( 佐々木智穂 ) が作ったはずの第1回目の裁判調書と第2回目の裁判調書の書式が、なんで全然ちがう形式で書かれているわけ?

 こんなん、後任できた森本清美書記官が書き変えたに決まってるやん!( 注:司法ではいまだに一太郎を使用しており、裁判調書の書式は個々で作るのです )

 僕等、去年の夏にこれを刑事事件にしようと思って、浦和署の捜査二課、知能犯罪課の刑事さんらのところにこれ持っていって見せたのよ。

 その前年の冬には、旭川署の知能犯罪課の刑事さんにも、同じようにこれを見せてたの。

 彼等全員、なんていったと思う?


—――― ああ、これは、コピペですね・・・?


 全員が全員、迷いもなくそういったのよ。
 誰が見たってそう思うよ。
 それを3333の丹下友華は、なに世迷言吹いてんのよ!?

「 108つの誤記は多いとはいえない 」
「 別々の書記官が何も先入観を持たずに担当口頭弁論の調書を書いた場合、その書式が全き同一になるのは、よくあることだ 」ですって~?

 はーっ!?
 これだけの同一が偶然起きる確率って、千分の一以下だよ。
 森本書記官が石垣裁判官の指示を受けて、第2回目の佐々木智穂の口頭弁論調書を改竄した、とするほうがよっぽど自然じゃないの~?




 マジ、狂った裁判続きだったよ、石垣陽介の誤記 & 改竄裁判は・・・。

 けど、僕等は負けたなんて思っちゃいませんよ!
 これは、司法史において、あの袴田事件や大田原工業の事件にも連なる、悪夢のような国家的事件です。
 僕的には、これ、戦後最大クラスの超・事件だと思ってる。
 現実の手続き事件としては、僕等は負けた。けれど、僕等は諦めない。
 BBCにも、他機関にも、この司法の、戦後最大の汚辱事件について迫っていきたいと考えたりしています。

 今夜の僕の記事は以上です ――― 次回は実名での戦犯晒しをやります ――― お休みなさい。 (^o-y☆彡

 

 

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カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。

 

 

 

A


💎 マイケルブログ 100万view 突破記念 「 小泉龍司法務大臣への上申書 」!

2024-06-12 19:18:07 | 石垣陽介




   上 申 書

 

 小泉龍司法務大臣 殿


はじめまして。お忙しいところ、失礼いたします。

今回お伝えする内容は、国の根幹を揺るがす重大な案件であり、大臣もホームページで「公平で公正な社会を守ることが政治の最大の使命」だとおっしゃっていますので、思い切ってご連絡差し上げます。

文書での説明が不十分でしたら、お伺いし口頭で説明いたします。

現在、一部の裁判官の間は「露骨な本人訴訟差別」が横行しています。
にわかには信じていただけないかと思いますが、本人訴訟同士の裁判の際、判決文を素人に作成させている可能性があります。添付の証拠をご覧くだされば、一目瞭然だと思います。この件に関しては、後ほど詳述します。

これだけでも大問題になる事案だと思いますが、私たちは、この他にも、口頭弁論調書の不正、裁判官が平気で本人訴訟の当事者に対して稚拙な嘘を付く、一方の当事者に露骨に便宜を図る態度などを目の当たりにしました。

 

現在、この判決文と、後述する口頭弁論調書における不正等を争点に、国家賠償請求訴訟(最高裁/第一小法廷)をおこなっており、形式上の被告として大臣のお名前を書かせていただいております。

国側の担当者は、内田高城氏という方です。
彼は言うまでもなく、完全な第三者であり、事実についてはすべて不知であるはずが、事実上の被告である石垣裁判官に有利なように、虚偽事実を断定し、裁判官も当事者である私たちではなく、第三者の内田氏の主張を無条件に採用し、一審、二審は裁判の体をなしていません。

 

旭川署と浦和署の知能犯係の刑事たちにも、判決文や調書を見せて相談しましたが、当然、私たちと同じ見解です。
つまり、この判決文は誰がどう見ても「異常」だということです。これを問題視しない国民は存在しないと思います。

裁判官の給与は国民の血税であるという以上に、裁判官は国民の訴訟後の人生(時には命) までを左右する存在なのですから、私たち国民がこの杜撰な判決文を問題視するのは当然のことです。

 

私たちが問題にしている訴訟は、令和元年(ワ)第1818号慰謝料請求事件/さいたま地裁(以下、1818号訴訟) で、担当裁判官は石垣陽介氏、書記官は、第1回(R1.12)と第2回口頭弁論(R2.3) が佐々木智穂氏、第3回(R2.6) と第4回(R2.8) が森本清美氏でした。

被告は陰謀論カルト団体の構成員の女性2名、争点は名誉毀損、プライバシーの侵害、脅迫、スラップ訴訟等でした。傍聴席には毎回カルト団体の仲間が座り、彼らは次々に飯田( マイケル )を提訴していました。日本以外の先進国では、スラップ訴訟ということになります。

第3回が結審で、第4回が判決でした。私たち原告は判決日には、出廷していません。

石垣裁判官は、現在、仙台高裁に総括として在籍し、森本書記官は昨年春までは確実にさいたま地裁に在籍、佐々木書記官は、令和2年3月から6月の間に退官した可能性があります。

このような判決文を作成し、何ら悪びれる様子のない裁判官が、現在、高裁の総括を務めていることに恐怖すら感じています。
彼の前任地は旭川地家裁の所長でした。

 

裁判官は倫理観の欠如した人間でも務まるのか? 当然そのようなことはないと思われます。
なぜなら、居眠りや体調不良による無断欠勤でニュースになり、SNSの投稿で解雇されているからです。他の職業より、本来は高い倫理感を要求される裁判官ですが、石垣裁判官だけは特別な存在なのでしょうか。

しかも、石垣氏本人が反省し、再発防止を誓っているのならまだしも、彼は自身を被告とする裁判で、自身の杜撰さや不正を追及されると、逆切れしたのか「失当だ」と一言返すのみで、何ら反省しておりません。

石垣裁判官の作成した判決文は、二審の高橋譲裁判官( すでに依願退官・現在はおそらく社会保険審査会委員長 ) によって、70箇所以上訂正され、私たちが石垣裁判官によって杜撰にまとめられた1818号訴訟の被告の不法行為を分解し、高橋裁判官の基準で数え直すと優に100を超えていました。

そしてその誤記の種類は、人名、地名、原告2名と被告2名の混同、原告同士、被告同士の混同、日付などありとあらゆるバリエーションがあり、名誉毀損が主な争点であるにも関わらず、私信であるショートメールと、誰にでも閲覧可能なtwitter( 現X ) を多数混同していました。

そして何より、名誉毀損と表記すべき箇所を、名誉棄損と誤り、その数は 7 箇所にも及びます。

 

弁護士に判決文を見てもらったところ、法律を生業とする者が、「名誉毀損」の文字を誤るということは考えにくいそうです。

私たちは法学部を卒業したわけでもなく、法律関係の仕事にも就いたことはありませんが、何度か裁判を経験するうちに、「名誉棄損」という字面に違和感を覚えるようになっています。法律家ならなおさらでしょう。

そこで、この判決文は、法律の専門家が作成したかどうかも疑わしいという結論になります。

弁護士2名に確認したところ、判決文には誤記があっても数個のケアレスミス程度であり、このような、むしろ誤記の方が多いとさえいえる判決文は、彼らの20年以上のキャリアでも見たことも聞いたこともないと断言しています。

私たちもグローバル企業から中小企業までいくつかの職歴がありますが、例え新入社員であろうと、ここまで低レベルな書類は見たことがありません。

少なくとも弁護士が介在している訴訟には、このような杜撰極まりない判決文は存在しないようです。これは露骨な本人訴訟差別といえます。

ここまで杜撰な裁判だったのは、私たちが本人訴訟であるからだと思います。弁護士がいるなら、裁判官の体調不良による遅刻ですら、報道されています。押印を忘れるような些細なケアレスミスでも下級審に差し戻されています。

石垣裁判官の訴追の請求をしましたが、時効にかかってしまいました。

 

1818 号訴訟の途中で森本書記官に交代したのは、佐々木書記官が退官されたという理由かもしれません。当時は、別の部署に配置転換になったのだと認識していました。ちなみに佐々木書記官は、定年退官されるような年齢の方ではありません。

後述する理由で、佐々木書記官の所在をさいたま地裁に電話で確認しようとしたところ、地裁ぐるみで彼女の所在を隠しており、浦和署の刑事も電話をしてくれたようですが、取り次いではもらえなかったようです。刑事さんの方から電話でのちほど謝罪がありました。

また、さいたま地裁の別の書記官から、高圧的に「 私たちは国民全体の奉仕者であり、あなたの奉仕者ではない 」という心無い言葉が返ってきたこともありました。

事情を知らない書記官なので、私たちを単なるクレーマーだと思ったのかもしれませんが、民間人の感覚としては、身内がこれだけ杜撰な仕事をしておきながら、非常に残念な対応だと感じてしまいました。

判決文の疑惑以外にも、森本書記官と佐々木書記官、あるいは、森本書記官は虚偽公文書作成等罪に抵触している可能性があり、こちらも証拠を添付しますので、ご確認ください。

 

口頭弁論調書は当然、公文書ですが、第3回口頭弁論から担当になった作成権限のない書記官(森本清美・さいたま地裁)が、前任者(佐々木智穂・さいたま地裁)の作成した第2回調書のオリジナルを毀棄した痕跡があります。佐々木書記官の調書には、石垣裁判官にとって都合の悪い内容が記載してあったのでしょう。その内容も容易に想像できます。

裁判官が審理も尽くされていない第2回口頭弁論から和解を急いだり、裁判官が事件の内容をほとんど理解していないことを隠すかのような捏造が多数なされています。

釈迦に説法ですが、口頭弁論調書の毀棄は違法であり、当日裁判に立ち会っていない書記官がその日の調書を作成することも当然違法です


担当裁判官が作成していない判決文、権限のない書記官が作成した口頭弁論調書は、虚偽公文書に当たるはずです。

証拠を見てもらえばわかりますが、佐々木書記官に、第2階口頭弁論調書を見せ「これはあなたが作ったオリジナルなのか?」と聞くだけで、調書の不正に関する疑惑はクリアになります。しかし、佐々木書記官の存在はそれだからこそ意図的に隠されています。

 

私たちは裁判で確認しようと、書記官2名を提訴しましたが、森本書記官の訴状はさいたま地裁経由で本人が受け取りましたが、佐々木書記官の訴状は、郵便局から戻ってきたそうです。これは、令和元年(ワ)21202号事件担当の古坂美乃利書記官から直接聞きました。



 

確かに、私たちの1818号訴訟は、原告が2名で被告も2名、被告は陰謀論カルト団体のメンバーで訴外人が多く、おまけに被告らは3年も前から、私たちにネット( ブログやSNS ) を使った嫌がらせを続けていました。

そして、ネットだけではなく、昼夜を問わず膨大な数のショートメールを送りつけてくる嫌がらせもありました。( 石垣裁判官によると、こうしたものも、脅迫的な内容でないため問題がないそうです。数などは一切考慮していません )

つまり、1818号訴訟は多少複雑で、インターネットに不慣れである場合、戸惑うこともいくらかはあったかもしれません。

しかし、私たちは、裁判の前半(R2.2)で、石垣裁判官の指示により、被告の不法行為をわざわざわかりやすい一覧表にして、石垣裁判官に提出したりもしているのです。

石垣裁判官は、失礼ながら相当 IT に疎い方なのですが、一覧表をわかりにくいと思うのならば、私たちへの質問や作り直しを指示する機会が、提出後、2回もありました。しかし、そういった質問や指示は1度も受けないまま、さらには当然しなければいけない当事者尋問もないまま、結審となりました。

彼は判決文の作成を引き延ばし、作成段階になって初めて、一覧表に目を通した可能性があります。

 

1818号訴訟に先行する同じさいたま地裁の訴訟として、1818号訴訟の原告と被告がそのまま入れ替わった633号という訴訟があったのですが、それの結審の日に、原告らカルト団体のメンバー7〜8名が、被告だった飯田1人を裁判所の敷地内で集団待ち伏せする事件が発生しました。

その後に1818号訴訟が控えていることから、同じようなことがあっては危険だと考え、警察官から厳重注意をしてもらおうと、110番通報しました。

1818号訴訟の前年には、裁判所敷地内で、夫が妻を殺害する事件も発生していますので、私たちが彼らの集団待ち伏せを警戒するのは当然のことでしょう。

浦和警察の生活安全課の猛者らがさいたま地裁に臨場した時、すでにカルト団体のメンバーは立ち去っていましたが、これも脅迫行為として、1818号の争点にし、書面にも顛末を書き、石垣裁判官本人にも法廷で説明しましたが、彼は露骨な弁論主義違反を犯し、「 飯田が110番通報しただけ 」と1818号の判決に書き、つまり「 警察が臨場したかどうかは不明、被告らの行為は問題がなかった 」という風に処理をしてしまいました。

ちなみに、633号も1818号も要警備事件であって、1818号では633号より更に厳重警備となっていました。私たちは開廷の30分以上前の出廷が要請され、帰りは先に法廷から出され、門までの護衛がつきました。

被告らの前には、被告らの正面を向いて制服組の特別警備員らが複数( 総計して十数名 )配置され、私たちの方に警備員はいませんでした。明らかに護られていたのは、私たちの方なのです。

裁判所も待ち伏せ行為が危険だと認識したからこそ、警備がより厳重になったと考えるのが自然でしょう。にもかかわらず、石垣裁判官の判決では、驚くべきことに「 待ち伏せは何ら問題のない行為 」とされてしまったのです。

 

飯田は陰謀論カルト団体を批判するブログを運営しており、自分たちのネット上でのハンドルネームが飯田のブログ内に記載されたとし、(待ち伏せ事件のあった) 633号と、東京と前橋で、飯田を提訴していました。

カルト団体から、飯田への訴訟は、1818号訴訟より前に3件、後に3件( 新潟、東京、前橋 )がありました。

日本ではいまだ法整備がありませんが、これは、欧米先進国では「 スラップ訴訟 」と呼ばれているものです。それも、石垣裁判官に主張しましたが、彼は「 スラップ訴訟 」と言う言葉を、初めて聞いたような顔をし、スラップ訴訟の主張を纏めるようにと、2度も同じ指示を出しました。

 

現在、袴田事件の再審で、現職の裁判官が警察側の捏造にまで言及していますが、このような高校生のイタズラ書きのような判決文を作成した石垣裁判官が、その後、地裁の所長になり、高裁の総括を務めています。他組織の捏造に言及する資格はないと思われます。

 

日本という国を愛する私たちは、日本の裁判官のレベルを憂慮し、国家賠償請求と、石垣裁判官本人を提訴しましたが、石垣裁判官は「 失当だ、争う 」と心ない言葉で一蹴しました。

一審を担当した増子由一裁判官は、石垣裁判官に出廷を求めてくれましたが、それも無視しました。

 

二審の吉田徹裁判官に、「 石垣裁判官が私たちの書面を読んでいるとは思えない 」と言うと、「 裁判所は見ていますから・・・ 」という、石垣陽介の罪を暗に認めているかのような、いくらか悔恨めいた返答がありました。

 

ただ、問題なのは、やはり国家賠償請求訴訟の方です。もちろん、石垣裁判官、森本書記官、佐々木書記官の証人尋問を申請しましたが、一審の丹下友華裁判官は聞く耳を持たず、驚くような詭弁にまみれた石垣裁判官擁護の判決文を作成し、二審の谷口園恵裁判官に至っては、30ページ近い控訴理由書に対し、実質2ページほどの判決文を作成し、内容も、私たちの理由書を読まなくとも書けるような杜撰極まる内容でした。

私たちが石垣陽介裁判官の「 誤記 」と「 裁判調書の改竄 」を争点として提訴しているのに、一審でも二審でも担当裁判官が「 誤記 」「 裁判調書の改竄 」「 石垣陽介裁判官 」という言葉を決して発しない。
つまり、「 審理ということ 」を一切やらない。
公文書に残された夥しい石垣裁判官の不正の証拠も、法廷で争ったりせず、法律事件として存在しないことにしてしまえば、それは事件になんてならないのだから ―――。

これは、恐ろしい隠蔽方であり、不都合な現実殺しであり、民主国家の理念に対する「 叛逆 」ともいえるのではないでしょうか?

最高裁判所の裁判官なら、下級裁判所のような杜撰な裁判官は存在しないと思うので、意図的な弁論主義違反や詭弁を弄して本人訴訟の当事者を軽視するようなことはないと思い、現在、私たちは静かに判決結果を待っています。

 

ちなみに私たちは、2018年春頃から、自身のブログで陰謀論カルト団体を批判したことによって、スラップ訴訟の攻撃を受けており、この団体は、10年前、不正選挙訴訟を争点に、法廷で暴れ逮捕者まで出しています。現在はコロナのワクチンには意図的に毒が入れられ、マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏が人口削減計画を目論んでいると主張しています。

同様の主張をしている、神真都Q(ヤマトキュー)、国民主権党の党首平塚正幸氏、つばさの党の黒川敦彦氏ほか2名も逮捕されていますので、大臣もご存知のことかと思います。

石垣陽介裁判官の不法行為、不正を以下にまとめます —―――。

 

1.判決文の誤記
二審で70箇所訂正されている。素人に作成させた疑いあり。

2.裁判調書の改竄
権限のない書記官に、自分のエラーを隠すかのような調書の改ざんを指示した疑いあり( 書記官個人には改竄するメリットはありません )。

3.書面の未読
結審まで、書面にほとんど目を通していない、内容を理解していない可能性あり。

4.和解の急ぎ
第2回口頭弁論から和解を急ぎ、書面を放り投げ癇癪を起こした。

5.和解金提案
石垣裁判官の精神状態を心配し、この裁判官に判決文を書いてもらうのは不安だったため、第2回口頭弁論直後に「 50万円の和解金で、和解に応じる 」とする旨の書面を郵送したところ、被告らも「 自分たちに50万円を支払えば、和解に応じる 」とする内容の書面を提出( おそらく第3回口頭弁論に持参 )してきた。すると石垣は、被告が原告( 私たち )に対して慰謝料を請求する準備書面を出していないにも関わらず、和解で裁判を終わらせようとした。

6.判決の甘さ
判決の結果は被告に対して非常に甘く、これは過去の判例と比較しても明らかに不当です。飯田の場合、ブログのコメント欄に第三者が投降した軽い揶揄が不法行為とされましたが、1818号訴訟では、精神異常者等の名誉毀損でも問題がないとされました。これは、「 法廷で私たち原告の完全敗訴を予告してしまったため、その予定されていた判決結果に合わせるように、被告優位に審理を調整したため 」であると考えられます。


石垣陽介裁判官は裁判判決に「 108つの誤記 」を残し、さらには 「 裁判調書の改竄 」という行為まで行なったのです。
特別警備付きの危険な裁判で待ち伏せという不法な行為が起こったのに、それは「 飯田が電話しただけ( 判決書ママ )」と1818判決( 公文書)に書き、後日、飯田がこのときの浦和警察のさいたま地裁突入の記録を情報公開で申請し入手して、それを証拠にして控訴をすると、二審の高橋譲裁判長「 警察はきた 」と石垣判決を翻し警察突入の事実を認めたが、石垣のこの事実改変を「 裁判判決の疵 」としては決して捉えなかったし、この事件を差し戻そうともしませんでした。

2024年5月23日、裁判官のたったひとつの押印忘れが「 判決が完成していない 」ものだとして判決を破棄し、差し戻した名古屋高裁の英断と、これは何たるちがいでしょうか ―――!?


私たちは夥しいスラップ訴訟により、これまで26名の裁判官を見てきました。うち、3名( 石垣陽介、丹下友華。谷口園枝 )は、国民の訴訟を担当してもらいたくないほどの問題があります。わけても丹下友華裁判官谷口園枝裁判官は、石垣陽介裁判官を不当に擁護する目的の「 意図的な弁論主義違反 」を犯しています。

これは、もはや一裁判官の犯罪だとか過ちだとかの問題ではありません。
ニッポン民主国家への叛逆であり、国民の「 裁判する権利の抹殺 」といえるレベルにまで達した、記念碑的な、未曽有の司法大事件 である、と私たちは考えています。
日本人の人倫への挑戦のようなこのような行為を( しかも個人ではなく多数によるもの )を、許してはいけない。

私たちへのヒアリングがありましたら、ご連絡ください。いつでも対面してご説明いたします ―――。


以 上。

 

 

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カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。

 


💎 正義はなぜ美しいのか?( 副題「 無意味の国のアリス 」に捧ぐ )

2024-05-28 20:20:20 | 石垣陽介



 
 生まれてこの方、四六時中、どんな瞬間も逃さず、僕の耳に貼りついてくる言葉がある。

—――― 美しいもの、楽しいことを愛すのは人間の自然であり、ゼイタクや豪奢を愛し、成金は俗悪な大邸宅をつくって大いに成金趣味を発揮するが、それが万人の本性であって、毫も軽蔑すべきところはない。そして人間は、美しいもの、楽しいこと、ゼイタクを愛するように、正しいことをも愛するのだ・・・。


 文士・坂口安吾の言葉だ。

 あまりも率直であり、正義そのものを理想の神棚に飾ろうとする気配は微塵もなく、その上ここでの正義は、宗教的な見地からいうと一般的には悪徳領域に属するであろう贅沢や娯楽や成金趣味などと対等に語られてもいて、それはあたかも僕が家の近場に散歩にいったとき、春の野っぱらを見て、ああ、キレイだな、と普通に詠嘆するときのようにあやゆる力みから解放されており、そんな柔らかな自然体で歌うように語られる彼の正義は、あのジャンヌ・ダルクの聖女伝説よりも僕の耳にすーっと染みてくる。

 この感触は、正義と対に分類されるはずの「 悪 」に対しても違和感をもたらすように働いて、最近の僕は、キリスト教の教義でよく使われる「 正義 vs 悪 」といった、いわゆるハルマゲドンスタイルの、ドラマチックな二元論図式もだんだんと身に添わない感じになってきた。

 「 悪 」イコール「 鉄の軍団 」といった抽象図式が、どうにも腑に落ちないのだ。
 「 巨悪 」という壮大すぎるイメージが、まず気に喰わなくてね・・・。

 映画「 羊たちの沈黙 」の主人公であったレクター博士は、ほとんど悪の究極ヒーローといった趣きだったが、肩をいからせまくって僕等に迫ってきた多くの陰謀論者たちや、石垣陽介の不正を必死になって隠蔽しようとした数々の裁判官、書記官、事務官などの法廷での餓鬼じみた対応を思い起こすと、いやいや、レクター博士やディープステイトとかいう各々の巨悪の表現は、悪という存在をより劇的により面白く見せるための演出の工夫に過ぎなくて、ほんとの悪っていうのは、あんなにがっちりきっちりしたものじゃ全然ないぞ、僕等がこれまで実際に見てきたように、せせこましくて、臆病で、辻褄合わせもいい加減で、とっちらかっていて、無責任で、各々のエゴイズムから互いの連携すら取れてなくて、要するに果てしなく杜撰で、だらしなくて、みっともない性質のものなんじゃないのかな?

 うん、みっともなくてみすぼらしい、存在自体が不潔であるとしか表現できないちっぽけなもの ――― というのが、僕の「 悪 」に対する最近の認識ワードなんだ。
 西欧的な「 悪 」の鋳型は、あれはリアリズムじゃなくて、ロマンティックな誇張なんじゃないか。
 なぜ、戦乱をあんなに多く経験したすれっからしの西欧が、これほどデフォルムされた「 正義 vs 悪 」図式の単純すぎる神話を必要としたんだろう?
 
 「 巨悪 」といった概念のうちには、僕等の窺いきれない、不自然でいびつなトリックが仕掛けられている。
 実際、この世の誰も「 巨悪 」なんて存在を生で目撃したことはない。 
 僕等が実際に見たり触れたりできるのは、悪世界の最前線にいる、出来損ないみたいな三下の足軽連中ばっかりで、僕等は彼等の発する腐臭に鼻をつまみながら、それにいくらか気圧されて、なんだ、この凄まじい連中は? こうした腐臭兵士をこれだけ駆りだせる権力を持っている誰かが、この軍団の背後にはいるのだろうか? と、ついつい忖度なんかしてしまう。
 そう思わずにはいられないほど、対峙したときの彼等は醜いのだ。
 僕等は偶然自分たちと対峙した、彼等・小悪のあまりの畜生ぶりに悲鳴をあげ、目前の個々の現実を拒否して、ロマンチックな架空の「 巨悪 」という概念についつい逃避する。 
 この逃避は嫌悪から生じる。目前の汚穢から目を背けたい衝動が、僕等の認識を微妙に濁らせる。
 「 巨悪 」といった抽象的な逃げの概念は、リアルな悪と近距離で対峙して、間近から彼等の目のなかを覗きこむよりは少うし楽なのだ。
 

    そのような無意識のメカニズムが、サタンというあの西欧独特のアンチヒーローを生みだしたんだ、と僕は思う。
 サタンはある意味恰好いい。
 けれども、サタンは詐欺なのだ。サタンの立ち位置は、僕等の理解力でも捉えきれるぎりぎりの「 社会的 」位置にいる。サタンはつまり「 社会的 」な存在なのだ。「 反社 」ではあっても社会内は社会内だ。
 ところが実際の個々の悪というものは、ある意味、そうした位相を優に超えているものだ。
 彼等は「 非社会 」存在の住人であり、彼等の言動には、僕等の世界において大事だとされている「 意味 」というものが一切欠けている。
 彼等は、無意味の国の住人だ。
 彼等は僕等世界のすぐ裏側にある虚無の国に住み、常に黄昏ているこの国のへりにある荒れ果てた廃屋の庭で、仲間であるマッドハンターや三月ウサギらとの終わりのないティーパーティーを、いまもって続けている ――― 手にしたカップのなかの紅茶はもう冷めきっているし、香りもとうに飛んでいる。そこで交わされる話題にしてもすでにに2万回ぐらい語られた耳タコ極まる退屈なもので、それを語るほうの瞳にも聴くほうの瞳にも生のきらめきはもう宿っていない ――― 遠いむかしに成長することを諦めてしまった人間同士のルーティーンがぐるぐると空転するばかりの、凍結してしまった時間のなかで。

 「 無意味の国のアリス 」というのが、彼等の本当の名前なのだ。
 


 
 

 そのような地点にまで考えが走ったとき、僕は2015年のある日、当時全盛であった陰謀論のヒーロー・リチャードコシミズ( 輿水正 )と西池袋の中華料理屋で、火鍋をつつきながらマンツーマンで交わしたある会話を思い出していた。

( 注:そのときは僕はまだリチャードコシミズ独立党在籍中。僕があそこを抜けたのは2017年4月2日の西池袋公園の花見接見のときでした )

—――― ねえ、リチャードさん、リチャードさんのいわれる話の肝はだいたい分かりました。しかし、なぜ、ユダヤ民族っていうのは、そこまで意固地に・・・いや、意固地じゃ足りないか・・・執念深くなってしまったんでしょう? 2000年むかしに自分たちが住んでいた土地がいまのイスラエルだからというのは事実なんだろうけど、世界基準からしてそういう理屈はやっぱり成り立たないのがスタンダードだと僕は思うんですけど・・・。それを無理強いするのが、信仰っていうものなのかなあ・・・。なんか、そのへんのリアルが僕には想像しづらいんですけど・・・。ねえ、リチャードさん、どうして彼等ってああなんでしょう?・・・あれほどの害意と怨みを抱えて、どうしてこれまで生きてこれたんでしょう?・・・こうしたかたちの危険な生を手放したいと感じたことは、きっと何度もあったと思う・・・でも、彼等はこうしたかたちの薄暗い、闇のなかを這いまわるような、四方八方敵だらけの地獄の生をあえて選んだ・・・僕にはそこが分かんない・・・ねえ、どうして彼等ってそうなんですか?・・・ねえ、彼等はどうした理由でそうなっちゃったんでしょう・・・?

 そしたらリチャードさん、顎に手を当てて珍しく長考して、やおら顔を上げると、その白く濁った瞳をギロリと僕にむけて、ゆっくりとこういった。

—――― それ・・・苛められすぎたからじゃ、ないかなあ・・・?

 それは僕が彼から聴いたなかで、最も説得力を感じた答えだった。
 彼がいい終えた一瞬後、テーブル上の火鍋がバチバチっと弾けたことまで覚えてる。
 僕には、どういうわけか、その問いが一般的なユダヤ問題の解答としてではなく、彼の個人史のふいの告白のように感じられて、その感知の了承のように鳴ったそのときの火鍋にもちょっとおののいたのだ。


 



 上に挙げたリチャードコシミズだけに限った話じゃない。
 僕等と縁を結んだ過去の多くの陰謀論者たちにしたって、彼等が自分たちの敵をやたら巨大な、世界のラスボスみたいな存在にわざわざでっちあげなくちゃいけなかったのは、ひょっとして現実世界で果てしなくド底辺にいる、絶望的な自分境遇への反動というか、そうすることによって自分が彼等と対峙することができるくらいの大物であるという、一種の心地よい錯覚を得られるから ――― というのが本当の動機だったんじゃないか?

 陰謀論はそんな彼等にとって、過酷で苦しい現実からちょっとでもいいから目をそむけて安眠するための、「 甘えのドラッグ 」だったというわけだ。

 無気力で怠惰で、生の寄りどころがなんにもなくて、喜びや憧れにも縁遠く、「 面白くない 」「 ムカつく 」「 ウザイ 」の三位一体を生活の基盤にして、人というよりはむしろ影のようなといったほうが近い、存在の臨界地点まで追いこまれてしまった陰謀論者は、だからこそそうした退屈地獄から脱獄するために、他者へのヘイトに常にいそしみ、その場その場の刺激と興奮から開始されたそんな彼等のヘイト花火は、歳月を経るたびにますます彼等を幸福から遠去ける羽目になり、最終的には、彼等はひとりぼっちの狭っちい牢獄に、さらにぎゅうぎゅうと押しこめられることになる。

—――― またしてもここかよ! またしてもまたしてもまたしても、か。・・・また、振り出しに戻っちまった。周りに誰もいなくなっちゃった・・・ああ、どうして俺はいつまでもこうなんだ・・・?

 心が歪み、思い出も歪み、愛への希求も陽炎のようにゆらめいて、遂には枯れ果てる。
 なんてこと、これじゃあまるでゴミ屋敷じゃないか。
 働いて、なんとか喰って寝て糞するだけの、ひとりタコ部屋みたいなこんな毎日。
 おかしい。こんなはずじゃなかった。
 いいことも楽しいこともいくらかは絶対にあったはずなのに・・・。

 ひとの記憶っていうのは固定されたものじゃなくて、日に日に更新変化していくものだということが最近の脳科学で分かってきた。つまり、楽しかったわずかな記憶も、そのひととの縁が切れてしまったあとは、もう綺麗な記憶ではなくなってしまうらしいのだ。親しかったひとが、いつのまにか自分を棄てた憎いキャラにすり替わってしまう。あらゆる記憶が、当初のきらめきを失い、硬直したミイラの遺体みたいな存在に変わり、あらゆる現実の仕草が、自分を世界から追放しようとたくらんで苛めにきているように思えてくる。たまんない。憎い。悔しい。面当てに、せめて自分を追いつめるそんな世間へ復讐したい・・・そのような思いは常に兆すのだが、追いつめられすぎたその人には、もはや世間がどのようなものであったかすら、すでに認知できなくなっている・・・。

 
            

 僕は、自分とまったく無縁の異種の人間のことを語るようにこれらのひとたちを扱っているけど、もちろんこれらの人たちが僕等とまったく無縁の輩であると割り切ってしまうつもりはない。
 そう、「 無意味の国のアリス 」は、当然僕等一般ピーポーとも地続きの存在である。
 それの別称をあえて求めるなら、それはたぶん「 カオスピーポー 」みたいな呼称に落ちつくことになるだろう。
 そして、いわずもがなではあるが、ここで再度念押ししておく ――― このようなカオス的な心理は、人間であるならば本来誰もが必ず持ち合わせているはずのものなのだ。
 誰の心にもこうしたマイナス面はあるし、特定の現実を拒否りたい気持ちもある。
 つまり、
僕等一般人の内部にも、こうした「 無意味の国のアリス 」は確実に住んでいるのだ。
 ただ、僕等には、自分内世界の「 大事なもの 」の優先順位と、外世界で「 大事だとされているもの 」の優先順位との区別ができている。
 自分内世界の倫理と外世界で正しいとされている倫理とを混同するようなことは、まずない。
 自分内世界で大事なものはあくまで自分だけの宝、そして、外世界で大切にされている他者のルールはそれとは全く別の大きなルールだとして、賛同はしなくともそれとの付き合いはあえて切らないというのが、通常人の生き方のスタンスというものだろう。

 そのような政治力を駆使できるかできないかの有無が、僕等と「 無意味の国のアリス 」たちとの世界をこれまで隔ててきた。
 けれども近年、内世界と外世界とを分別してくれていた、こうした世界枠の境界線が、いよいよもって決壊しはじめたのではないか、と僕は感じる。 
 陰謀論は全然有意義じゃない。
 客観性は欠片もないし、整合性も、独創も、品位も、実証精神らしいものも何もない。
 そうした没世界的な、危険極まりない「 魔 」の風が、SNSの匿名中傷といったツールに乗って、現実世界のあちこちを腐食させていく光景を、僕等はほとんど日常的に目にするようになった。

 ビルの屋上から飛び降りる際に、目標とする地上の舗道に自分がぶつかれる誰かが歩いていやしないかと見探るような、いびつな心理。
 自分が滅ぶなら、いっそのこと自分を殺した世界ごと巻きこんで地獄へ連れていってやりたい、といった歪んだ願い。
 卑しさと怨み。孤独と妬み。自閉と憎悪とが競いあうこの絶妙なバランスゲーム。
 マウントを取れば取るほど深まっていく絶望の濃度。
 餓死という悲惨が根絶された、夢の21世紀のニッポン物質社会のただなかで、かつての貧困時代と同じか、それよりも遙かに重い、このような絶望の病が蔓延していくなんて一体過去の誰が予測しただろう?
 
 現在の僕は、陰謀論とは「 自分のアイデンティティーを持たないひとが、さもアイデンティティーを持っているかのように装い、ふるまうための化粧道具のようなもの 」として認識している。
 よりぶっちゃけていうなら、それは、政府や体制やリア充他者に対してもの申す際の「 決め啖呵 」を多数例掲載した、一種のアンチョコ集みたいなものだ。
 日本のカーストの最底辺にいるひとが、こんな自分でもいっちょまえの論客みたいに、社会や他者に対して自身たっぷりかつ堂々と批判がいえるんだ! ――― といったような錯覚構造が、陰謀論って商売の最大の売りなのよ。
 世の中に対する憤懣は常に溢れんばかりなんだけど、とぎれとぎれの情念単語しか呟けない多くのひとに、つまり陰謀論というツールは言葉をレンタルしてくれたわけだ。
 サリバン先生に手に水をかけられて、初めて言葉と世界との接点に気づき、ウオーラー! と歓喜の声をあげた幼少時のヘレン・ケラーみたいなもん。
 こら、当たるぜ ――― そりゃあ!
 ただね、あくまで啖呵の判例集なんだから、これ、完璧な一本通行なのよ。いっちょまえな啖呵ならなんとか切れるようにはなったけど、これで実地のちゃんとした会話は絶対にやれないんだよね。そもそも会話ができないひとに「 君もこうした世界の裏を知ったら誰からもマウントを取れる!」なんていって売りこむこと自体が無茶なんだ。会話がやれない人間にマウント取りなんてできっこない。陰謀論者のマウント取りのいきがりポーズは、所詮、自閉したヒッキーの自爆演劇でしかないんだ。世間人の多くはそうした真相にすでに気づきはじめている。


             ✖             ✖             ✖             ✖ 

         
 結局のところ、陰謀論というのは、世間から弾かれたひとたちの何百万もの絶望が編みあげた、悲しくて淋しい呪詛であったんだ、と僕は思う。
 ところがそんな不幸の仔である陰謀論が這い通った土の跡から、親とは全く異なる、思わぬ花々がちらほらと咲きはじめたじゃないか。

 怨みの種が芽を吹いて、思わぬ綺麗な花になり、それがこれほどでっかいめくり劇になるなんて、全くの話、意外性ありすぎだよねえ。

 前記事にも挙げた第3世代の陰謀論者・つばさの党の黒川敦彦の選挙妨害による逮捕劇 ―――
 マスコミとTV局と芸能事務所とが共同して、児童性加害の事実を長年隠蔽し続けてきたあの闇深いジャニーズ事件のふいの発覚 ―――
 死刑囚として半世紀以上拘留されていた袴田巌冤罪事件の、司法による思いがけない再審決定 ――—
 ステージ4の癌を告知された森永卓郎氏が世に出した、日航機123便墜落の真相と日本最大の闇ともいえる財務省問題の暴露 ――—
 それから、これらの超・特大事件からするとかなり目劣りするんだけど、僕等がいま取り組んでいる、石垣陽介裁判官が公文書に残した108つの誤記と裁判調書改竄の追及裁判に関する大問題 ――—

 


 
 上記の記事見て、あなたはどう思った? 地裁の裁判官の押印がひとつ欠けているだけで差し戻しとはステキだよね!
 でもね、これが当然なんだし、司法が呈す正義っていうのは、元々こういう当然行動を粛々と行うだけのことなんだよ。
 これに比べると、石垣陽介裁判官が公文書である判決文のなかに108つの誤記(!)を残し、さらには裁判調書という公文書にも改竄を施してまでいたのに、石垣陽介以下一審の丹下友華裁判官がこれを擁護し、さらには2審の谷口園枝裁判官までがこれに追随し、彼女ら2人以外の多くの裁判官がさらに司法の威厳のためにそれぞれ苦慮し、僕等の3333号関連の事件を揉み消そうとした、というのがどんなに異様で異常な出来事であったのか、というのが誰にでも容易に理解できると思う。

 「 印鑑ひとつの欠落 」と「 108つの誤記プラス裁判調書改竄 」とでは、どっちが悪いのか?
 
 あえて問うまでもないことだ ――— 年端のいかぬどんなベィビィーにだってそんなことはすぐ分かる(笑)
 
 ただ、これがこんなにでっかい事件に成長した要因としては、僕を集団訴訟で5年間も訴え続けてくれた、リチャードコシミズ門下の残党さんたちの執念と粘りとがやっぱり欠かせない必然条件だったんだよね。
 彼等・残党たちが傍聴席から口汚いヘイト野次をさんざん飛ばしてくれたおかげで、独立党関連の僕の裁判にあれだけの特別警備がつき、そのピリピリとした危険な空気に煽られたからこそ石垣クンもあれだけよろめいて、杜撰でデタラメ極まる超・迷判決を書いてくれたわけなんだから・・・

 僕等はそのような彼等に感謝して、石垣陽介のなした不正をあくまで追求し続けようと思う。
 それが僕等のいま現在の正義なんだ。
 正義っていまの時代的にいうと全然流行らないし見栄えもしないものなのかもしれないけど、そんなのはいいのよ、いいの!
 世情も、流行も、金も、名誉も、そんな雑多もどうだっていいのよ ――— どうだって!
 僕等はあくまでもクールに、僕等の魂の導くままの明日へ進みたい。
 
 今日の僕の記事は以上です ――— お休みなさい。 (了)






 

カッ飛べ! これが石垣誤記だ(# ゚Д゚)









 また翔べ! これが石垣調書改竄だΣ(・□・;)















★ 石垣さんも丹下さんも裁判官なんだから、地裁隣りの法務省赤レンガ棟を入って右手の「 越前碑 」を

参拝したことがあるはずです。そのときの自分の初心を思い出してほしい。あなた方はあの頃の自分に
いま向きあうことができますか? 目を反らさずに微笑みかけることができますか? そのへんのこと
をいっぺんよく考えてみてください。