ザ・マイケルブログ!

Hello、皆さん、陰謀論者リチャードコシミズの無害化に成功したので、現在は司法の闇と闘ってます。応援よろしくです!

Ж 新藤洋一著「 小さい農業で暮らすコツ(農文協)」を推薦します

2021-04-27 02:17:04 | 新藤洋一


Ж 独立党山荘計画に出資した人の夢がここにある!Ж

 


  新藤洋一著 「小さい農業で暮らすコツ」

エコ作家の新藤洋一です。「エコ作家」とは、エコロジー生活をしている作家、という意味です。

このたび農文協(財団法人農山漁村文化協会)より表記の著作を出版しました。発売から1ヶ月半で増刷が決まり、好調な売れ行きです。コロナで田舎への移住の気運が高まっているのか、予想していなかった販売状況に驚いています。

私のよき理解者であるマイケル氏に、前著「新新貧乏物語」同様、ブログでの紹介をお願いしたところ、寄稿を依頼されました。マイケルブログに載せるのですから、RKや独立党に関する話題を盛り込んだ文章ということです。

私もかつては独立党に所属していた訳ですが、最近はすっかりそのことも忘れており、はて、どんな話題を書けばいいのかと考えたところ、独立党山荘計画(以降「山荘計画」)とのつながりが見えてきました。

山荘計画は、2015年11月25日にRKが発表したものです。アーカイブが残っていたので、以下引用します。

 

  <引用開始>

 RK独立党信州山荘・有機農業計画のお知らせ

 作成日時 : 2015/11/25 14:24

先に、まぐまぐメルマガの読者の方には開示済みのお話です。

実は、長野県上田市に「RK独立党山荘」を手に入れる算段を進行させています。ほぼ確定しています。

秘湯霊泉寺温泉から300メートルほど山に入ったところの、築20年ほどの一軒家。3LDKで、建坪約100平米。土地は103坪。3LDK。建屋の裏には、清流が流れる。南北に、山。夕日がきれい。

以下、構想中です。↓

別荘の、前、左右の畑は借りられる。1000平米くらいある。大規模?有機農業。産物は、ゆくゆくはRK独立党認証をつけて党員に販売。地元と仲良く。

300m手前の公衆温泉浴場は7時から夜9時まで。200円。勿論、ラドン温泉。一日2回入浴。毎日被爆して健康生活。

近くの霊泉寺温泉には、旅館が5軒ほどあり、格安で宿泊もできます。

夏は、沢で水浴び。冬はスキー。雪はあまり積もらないそうで、4駆があれば出入りできる。敷地内に沢の水を引いた露天風呂を作りたい。池を作って、イワナやヤマメを飼いたい。勿論、食べる。塩焼き、燻製。周辺の山林でキノコ採り。キノコ汁だのキノコバーベキューだの、やりまくり。自分で作った野菜でバーベキュー。

暖房は、薪ストーブ。熱燗が美味しい。

北陸新幹線の上田、佐久平、軽井沢から車で30-50分くらい。上田からバス便もある。バス停から1500メートル。関越道だと東部湯の丸インター。池袋から川越街道をひたすら西に行くと別荘につく。中央線の松本からも近い。(名古屋、関西からのアクセスも良い?)

有志の方が個人で入手し、独立党に貸与いただくことになります。お金が集まったら、買い取って法人化します。

独立党のネーム入りの中古自動車を入手します。山荘に常備とします。(だれか余っている四駆の乗用車があったら、ください。(#^^#))

山荘会員:一口5万円で山荘賛助会員を募ります。ただし、独立党員に限る。会員資格は、2年間有効。(寄付として2口以上申し込まれる方、大歓迎です。)2年間は、山荘での活動に無償で参加できます。

 <引用終了>

http://rkblog3.html.xdomain.jp/201511/article_221.htmlより

 

私はこの計画に対して、その日のうちに応募。ブログからの応募はおそらく第1号だと思います。加えて、「有機農業や料理ができるので、強力にバックアップします」というような一言を添えてメールしたのです。

私が主催者であれば飛び上がって喜び、すぐに返信したでしょう。「ぜひ協力をお願いします」と。そして、「最初からすごい協力者が現れた! みんな! 山荘の成功にむけて盛り上がろう!」と公言したはずです。本当にこの山荘計画を成功させたいのであれば。

ところがなしのつぶて。

その後出資金は70万円集まったそうですが、計画自体は全く盛り上がることなく、いつの間にかフェードアウト。なぜか本人だけは、現在長野県の別の別荘で暮らしています。

この話が最初から架空のものだとすると、私のような、強力に計画を推し進めることができるノウハウのある人間は邪魔だったでしょう。私に対して何らコンタクトがなかったのも、納得出来る推論になります。

私は今更恨みつらみを言うつもりでこの文章を書いたのではありません。返還要求をしたら、出資金も返してくれましたし、私自身は自宅で夢のような「山荘暮らし」を毎日実現しています。その喜びを、他の人にも味わってもらいたかったので、真っ先に応募したのですが、その思いが実現することはありませんでした。

宮沢賢治の「ポラーノの広場」。

シロツメクサの明かりをたどっていくと、そこには伝説のお祭り広場が現れた。しかしそこは、政治家の山猫博士が有権者に酒を振る舞う場所だったのだ。

この物語で賢治が伝えようとしたのは、夢は他力本願でなく、自分の手で実現するんだ、ということです。

山荘計画に出資した人もそうでない人も、その計画自体に夢を見ていたと思います。実際ある党員は「新藤さんが参加したらすごいことになりますね!」と言ってくれました。

今回の私の著書には、私が実践している自給生活の全貌が、写真やイラスト入りでわかりやすく紹介されています。つまり山荘計画が実現していれば、参加した人が味わうことが出来たであろう世界が描かれているのです。

「独立党山荘」というポラーノの広場は幻でした。しかし、貴方が見た夢は、「いつか」「小さなことから」自分の手で実現することは、やろうと思えばできるのです。「神の子大豆」をプランターでベランダでも作ってみようと思うのであれば、RK支持者とかアンチとか関係なく種をお分けします(事情があって来年になりますが)。

私が独立党山荘でみんなに体験してもらいたかった夢が1冊の中に詰め込まれている。そんな本です。ぜひ手に取ってページをめくってみて下さい。

  自給屋HP http://www8.plala.or.jp/jikyuya/

  新藤洋一 ysyosii@suite.plala.or.jp

 

 


   < マイケルの新藤洋一論 >

 新藤洋一と僕との交流はさほど長いものではない。せいぜい5、6年といったところだろう。
 世間的尺度からいっても、これは決して長いつきあいとは呼べないのではないかと思う。
 にもかかわらず、僕は、この新藤洋一という男から甚大な影響を受けている。
 彼と知りあった契機は独立党だった。
 群馬で「自給屋」ってラーメン屋をやっている凄い男がいる、彼は、ラーメンをつくる野菜も鶏も全部自分の敷地で育てているらしい ―――  という独立党員等の噂を聴いて、あるとき、当時の仲間たちと彼の店を訪ねてみたのである。
 高崎から市外のほうへクルマを駆って約 20分、こんなひと通りの少ないとこに飯屋なんてあるのかよ? と思わず呟きたくなるような閑散とした一角に、彼の店舗「自給屋」はあった。

 僕等を迎えたのは鳥の囀り。
 近隣に店舗らしい家屋などまったくなくて、農家と畑と風にそよぐ木々とがどこまでもあるばかり。


 この店のカウンターで、僕は彼のつくるラーメンをはじめて食べた。

 直後、僕は黙りこんでしまった。
 舌鼓を打つとか、料理の味に対して客観的に批評の辞を述べるとか、そんな世間並の悠長なことなんてとてもやれない、そのときの僕にそんな余裕はかけらもなかった。
 だって、染みるんだもの。
 うん、旨いというよりそちらのほうが近い。味覚という感覚の防壁を易々と喰い破って、僕の細胞深部まで見る見る浸透してくるのである ――― 今まで経験したことのない、まったく未知の種類の、なんとも心地いい体感が 。

 僕はそれに戸惑った。それは、攻撃的な濃い味でもって集中砲撃してくる家系のラーメン、全盛期の佐野実の澄みきった清水を思わせる自然派ラーメン、そういった豪傑風味のラーメンとは全然趣を異にしていた。
 彼等が剛なら、このラーメンは柔だ。荒海ではなくて凪なのだ。
 人間の感覚は柔のものより剛のものに反応するようにできている。しかし、そのときの僕にはそれとは逆の現象が生じていた。
 食べながら、なんというか自分が追いこまれていく感覚なのだ。

 新藤洋一のラーメンは、ありったけの存在感をこめて僕に挑戦していた。
 旨いものならいくらでも食ったことがある。けれども、これはそれとは違うようだ。こういうの、なんていったらいいんだろう……?

 講演会でもまだ2、3回しか顔を合わせたことしかなくて、それほど親しくもなかった彼が、カウンター越しにおずおずと問うてくる、

―――― マイケルさん、どう……?

―――― うん…、旨い…。

 さも不機嫌そうに、僕はそれだけ呟いたように思う。





 

 「 恐ろしい奴だ…… 」 僕の新藤洋一の第一印象はこれに尽きる。
 その後、彼は 2017年4月2日のリチャードコシミズ独立党のあの花見接見に参加してくれ、それも契機になって色々な
会合や宴の席で酒を酌み交わす機会も次第に増え、僕等は互いのことを分かりあえるようになっていったわけだが、それにつれ彼のラーメンの特異性というものもだんだん分かってきた。
 普通、料理人というものは、料理材料の調達はするが、その生産には関わらない。
 ところが彼は、料理材料である野菜も米も自分の畑ですべて育て、鶏なんかも敷地内の鳥小屋でみんな育てているのだ。もちろんすべて有機農方であり農薬類は使わない。水だって飲用や料理に使う水は、水道経由のものじゃない、そうした水は群馬の特定の場所から特別な湧き水を汲んできて使うのだ。

 料理というのは、購入してきた新鮮な素材を上手に調理して、客のまえにどうぞと出すだけのものとはちがう。
 素材の選択を吟味しつくしたなら、今度は素材の栽培や育成に関わりたくなるのは、料理人の性だろう。
 だがしかし、料理人と自作農とのあいだには、埋めがたい深い溝がある。
 職種がちがう。生活環境がちがう。仕事道具がちがう。目的もちがう。
 どちらも長年のメチエが必要とされる職業であって、一朝一夕に熟練できるような甘いものではない。
 ある料理店主が、そうだ、農業をやろうと志したところで、農地にするための畑をいきなり買えるわけもない。
 仮に買えたところで、その畑を耕したり種を撒いたりするのは誰がやるのだ? 店をほったらかして、畑のほうにかかりきりになるのか? さらにいうなら、彼は、料理なら専門の熟達者かもしれないが、農業面ではズブの素人なのだ。
 店の経営を維持しながら、同時に農業も敢行しようなどという、この「二足のわらじ作戦」は、どう考えても不可能に近い。
 新藤洋一の場合、もともとが農家の世継ぎだった、という利点はたしかにある。
 でなければ、彼にしてもここまでの飛翔は難しかっただろう。

 2018年、折りからの不況の煽りを受け、彼は「地鶏ラーメン自給屋」を閉める決心をする。
 10年間つづけた店である。しかも名店だ。
 さぞ落ちこんでいるいるだろうと、あかねさんらと共に僕は自給屋を訪れたのだが、いってみて拍子抜けした。
 明るいんだもの、彼 ――― ニコニコと笑いながら、歓待の宴の用意をてきぱきとこなしてくれる。
 その夜の料理は絶品だった。
 あのときにご馳走になったあの新藤うどんは、忘れられない。
 うどん粉として有名だった農林 61号という銘柄は、2008年に「さとのそら」という品種に代替わりしてしまい、いまは販売されていない。
 しかし、その味に惚れこんでいた彼は、この農林 61号を自家採取して、いまもそれを自分の畑でつくりつづけている。
 この農林 61号の小麦を製麺したものを、彼は、打ちたてゆでたてのまんま、つけ汁を添えたつけ麺みたいなかたちで、僕等に提供
してくれたのだ。
 このときも僕はまた黙りこんでしまった ――― はじめて自給屋のラーメンを食べたあのときのように。
 後にも先にもあれほどのうどんは食べたことがない。
 それは、うどん王国の関西からやってきたあかねさんも絶句するほどのものだった。
 口に含んだ途端、濃厚な野の香りが頭蓋から上にふあ~んと駆けあがっていくのが分かるのだ。
 嚥下後には、上州のからっ風の残り香がほのかに鼻孔に残って……。
 味も、触感も、喉ごしも、なにもかもが比較を絶していた。

 ほかにも、ついいましがた庭から採ってきたきた野蒜を、作りたての酢味噌につけた素朴で小粋な惣菜 ―――
 地元の幻の名酒、直汲みの「巌( いわお )」の、飛びあがるようにフルーティーな味わいと風味 ―――
 宴の極みで息子さんが奏でてくれた、アイリッシュホルンの歌もまた素晴らしかった。
 自給屋で過ごしたあの夜は、僕の脳細胞の最奥部分に、つい昨日の出来事のようにいまも仕舞いこまれている……。

 


 

 彼の料理人としての側面にばかりつい光を当ててしまったが、彼は、「エコ作家」という呼び名を自らの看板としているように、エコロジーの熟達者でもある。
 なにせエコロジーなんて言葉が市民権をもって語られるよりはるか以前の 1990年に、それまで勤めていた大手企業を辞め、石川県の農場にいって、農薬や化学肥料を使わない有機農業をいきなり学びはじめたりする人なのだ。
 その農場のが大型の機械を多用しすぎていて、そのシステムが自分の理想とする「自給生活」の規範モデルになりにくいと悟るやいなや、迷う間もなく次々と新しいエコロジーの方式にチャレンジしていく。
 彼の成長と進化の歴史をざっと辿ってみよう ――――

・バイオプラントの制作

・太陽熱温水器の購入

・薪ストーブの入手( この後、電気炬燵が不要になり廃棄した )

・野外調理用薪ストーブの入手

・中古脱穀機の入手

・大豆の脱穀用の足踏脱穀機の入手

・塩ビ勢の錆びない井戸用ポンプの入手

・小型の冷蔵庫と豆乳絞りのための低速ジューサーの入手

・チェーンソーの購入

・電球をLEDに変え節電を徹底して、電気代が店と家庭分の合計を月一万円まで下げる

・バイオガストイレをはじめたり風呂の残り湯での選択を実行して、店と家庭合計の水道料を月3千円にする

 あんたは節約の魔人か? と、のげぞりそうになるくらいのこの驚くべき行動力。
 あの新藤ラーメンの特別な味の秘密は、こうした彼の自由な発想と試行錯誤の末に生まれたものだったのである。
 新藤洋一はいかなる型も重んじない。というか、彼はたぶんいかなる型も信じていない。
 彼は、越境する男なのだ。
 自作農というと、土地のしがらみに絡めとられた「農奴」みたいな偏ったイメージが僕のなかにはあって、そして、実際に農家をやっているひとと話してみて、そのような印象をさらに濃くすることもままあるのだが、彼はまったくそのような種族には属していない。

 藤原新也の好きな一社会人。
 でも、勤めていた会社はすぐに辞め、エコロジストへ転身。
 その後、エコロジーに燃えまくる自給農。
 そして、それと同時に、腕のいいラーメン屋の店主。
 農業と店を両立させつつ、副島隆彦に師事して、その次にリチャードコシミズ独立党に入党する。
 かと思うとすぐ党首の欺瞞性に気づいて、僕の「 4.2 花見計画 」につきあってもくれて。
 
 店を閉めたとき、彼はまわりの人間から「これからどうやって稼ぐ気なんだ?」的なことを相当うるさくいわれたようだが、その際の彼の返答はいつも「作家になる」の一点張り。
 まわりはあまり本気で聴いていなかったようだが、なんと本当になってしまった ――― 。

 家族を抱えながらそれらを全部こなしたのだから、これは相当なものだ。
 前著「新新貧乏物語」を読めば分かるように、彼には思想家としての素地もある。
 しかし、彼をあらゆる分野の情報に長けたインテリと見るのは、間違っている。
 彼はインテリだけど、世間がイメージするようなインテリじゃない。
 さらにいえば、彼は純粋な意味での思想家でもない。
 彼は、あくまで過激な行動家なのだ。
 行動とは、本質的にアナーキーなものだ。それは、認識よりも足が速い。認識しようと行動者に向け視点をズームさせたときには、行動者はさっきまで属していたカテゴリー世界を越境して、別の新世界にもう踏みこんでいる。
 認識は常にその後を追って、彼を捕えようとするのだけど、どうしたってこの動向は後追いになる。
 この悠久のイタチごっこ。僕等の世界は、たぶんこのちょっばかり苛つく、タペストリーの連なりで編まれている。
 自分像を日夜快活に更新していく彼のこうした歩みは、すこぶる遊牧民的なものだ。
 農民であるくせに、彼が見ているのは、いつも遊牧民が見上げている青空なのだ。
 この矛盾を彼はどう体感しているのだろう ――― ?
 
 僕はあるとき、彼が怒るのを承知でこういってみたことがある。

―――― あのさ、前から思ってたんだけど…、新藤さんの本質ってテロリストだよね……?

 すると彼は驚いたことに、その場でいきなり爆笑したのである。

―――― そう、そうなんですよ、マイケルさん! やっと俺のこと理解してくれましたね!! ああ、そう、そうなんだよ~。( ほとんど涙声で )

 そのとき、僕のなかに、はじめて自給屋で彼のラーメンを食べたときのあの衝撃が蘇った。
 ああ、あのとき、なにかに挑戦されているような気がして落ちつけなかったんだけど、あれの正体ってコレだったんだな、と思った。
 なんという無邪気。いや、童心といったほうが近いかな?

 童心というと世間のひとは罪のないメルヘン的な世界をつい連想しがちだが、実は童心ほど危険なものはないのである。
 童心とは必ず世間の掟と対立するものなのだから。
 新藤洋一の歴史を眺めるたび、僕は、彼がこれまで世界慣習への反逆しかやっていなかったことに気づいて、今更ながら愕然とする。
 彼の前著「新新貧乏物語」の冒頭部で展開された「貧乏とお金の理論」なんてその最たるものだ。
 この1章のなかで、彼は巨大な世界流通システムの、いわゆる「約束事」に対して弓を引いているわけだが、彼が本当に憤っているのは、いつのまにかそう構築されてしまったシステムに対してではなく、その不安定なシステムのなかに自分なりのせせこましい居場所をつくって、そこから動くこともなんらかの問題提起をすることもなく、このいじましい安楽椅子上に安住して惰眠をむさぼっている、あらゆるひとの定着心、あるいは執着心のようなものに対してなのではないか、と僕はどうしても感じてしまう。
 本物の認識はどこまでも変化していく対象を追いつづける猟犬だが、世間の大半はそこまで真摯な執念を持ちあわせてはいない。
 考えるのが次第に面倒になり、ありゃあ大方こんなところだろうと大まかに見当をつけ、それにいちばん近そうなレッテルをその対象に貼りつけて、それで理解したつもりになっているのがせいぜいだ。
 ひどいのになると、自分ではなにひとつ考えないで、あちこちの現象にさまざまなレッテルだけべたべたと貼りつけて、それで何事かを考えたと信じこんでしまう。
 いうまでもなく、このひどいのというのは、リチャードコシミズをはじめとする陰謀論者全般のことのことなのだが、ここでこの話題を敷衍するとテーマからずれていってしまうので、ここではちょっと匂わす程度にとどめておこうか。

 しかし、実際に彼と会って酒を汲み交わしていると、いつものことだけど、とてもそんな風には思えない。
 がぶがぶと酒を飲み、よく喋りよく笑う、やたらエネルギッシュだけど、なんのことはない、どこにでもいるただの親父である(笑)
 果てしなくパンキーなのに一見そうとは見えない、そんな親父が、この度めでたくも2冊目の本を出した。
 今度の本は新藤流のひとり語りはいくらか後方に引いて、彼の生活上でのさまざまな工夫が、ユーモラスに、ときには糞真面目に、いかにも彼らしい率直さで語られている。
 うん、いい本だ。新藤洋一著「小さい農業で暮らすコツ(農文協)」
 僕が本書を推薦するのはこのような理由からなのである ――― 。


    Unknown (ちょび髯)
2021-05-04 15:00:31

面白い本です。冒頭から鶏のさばき方!
農家同士の物々交換は貨幣経済への挑戦状です。
そして豊かに生きるとはどういうことか考えさせられます。
実現するには腹を括らないといけませんが、実に羨ましい生活です。
著者も試行錯誤の末にたどり着いた境地です。
新藤さん、かっこいいね!
 
           ちょび髭さんへ (マイケル)
2021-05-05 08:53:51

そうなんです、ちょび髭さん、彼はね、カッコいいんです!

世界にとって一番大切な産業は何か?

ビルゲイツだとかネットの重要性なんかが今のところたまたまトレンドですが、第一次産業、第二次産業、第三次産業のなかでどれがいちいばん必須であり大切かと問われたなら、人類の99.9%は間違いなくこう答えるでしょう。

「農業だよ。食いものだよ。それ以外に大事なものなんかほかにあるの?」と。

新藤さんはこの見地からずーっと活動してきたオトコなんですよ。

彼が奥さんのツテで小学校で授業をする機会を与えられたとき、彼、教室でなんと鳥の締めと解体をやろうとして、学校側からそれはちょっと遠慮してくれってとめられたそうなんですが、この逸話聴いたとき、僕は爆笑しちゃいました。

あまりも彼が正しかったから。

食は「殺」と直結しています。食物連鎖の頂点に立つ人間にとって「殺」なしの食はありえない。しかし、この殺の香りをなるたけ綺麗に消毒消臭して、清潔なパッケージでもってスーパーの棚に並べるのが、僕等現在の「文化的生活」です。

いうまでもなくこのような清潔な「文化的生活」なんていうのは虚妄です。この何より大切な食物連鎖の殺を生徒たちのまえで見せようとした新藤さんは、誰がなんといおうと圧倒的に正しいのです。

彼のやろうとしたこの行為は、ほとんど「宗教」といってもいいほどです。

「風の谷のナウシカ」のなかで宮崎駿が提言した「土とともに生きる」を体現してる男こそ彼です。
産業革命以来たかが200年足らずのトレンドでしかない「商業」なんて目じゃないのよ。株屋も、不動産も、デイトレーダーも、youtuber も、原子力も、陰謀論者も、みんなみんなおとといおいで。

新藤洋一はいちばん大事なことだけを常に主張している。
だから、カッコいいんです。
だから、危険人物なんです。

ちょび髭さんの感想に完全に同意します。
イエス、ちょび髭さん。僕もそう思うな。できたら彼に手紙書いてやってください。彼もきっと喜ぶかと思います。(fin)