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WAVEが日頃気付いたこと、
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雨の日曜日

2013-11-10 12:59:09 | Weblog
フィリピンでの台風30号による大きな被害のニュースが入ってきました。これが日本にやってきていたら(台風の状況や威力に違いはあるとは思いますが)また深刻な被害が出ていたと思うとちょっとぞっとします。一刻も早い被害の全容の把握と被害に遭われた方の救助や復旧が進んで欲しいです。遠い日本から心よりお見舞いを申し上げます。

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続、教育に関して。

先日の本のことで恐縮ですが、齋藤孝さんとの対談の場面で驚いたのは私も齋藤先生と同じことを思っていたのが分かりました。それはどの文章からかというと、授業や先生方の時間感覚がものすごく遅いということです。テレビの世界に置き換えたとき15秒や30秒というのはとても重たい貴重な時間です。限られた時間内に伝えたい情報、内容を届けるためにものすごく創意工夫がなされている。でも教育者は授業の中で時間というものを浪費し子供の時間を奪っているわけです。それに加え、今の子供たちは昔と比べて思考のためのスピードがとても速い。情報の処理能力に格段の差があるわけです。それはコンピューターを自在に操る環境や状況によって育まれたものなのかもしれません。それに大人は全くついていけてないのです。

私も常々それは思っていました。(確か以前ブログにも書いた気がします。)

現在の日本の子供たちは処理能力があるにも関わらず学力がそんなに向上していない。これは学校が子供たちのスピード感についていってないから、というのです。ようするに授業の内容やスピードに子供が飽きちゃう部分があるんですね。
よく、現代の子供たちはキレやすいとか、我慢が聞かない子に育っているなんていう声が聞かれますが、私は逆だと思います。大人のスピードが遅すぎて子供が飽き飽きしてしまうのです。
短い時間、短い言葉の中に必要なことを凝縮して伝える。これも一つの技術です。

学校の授業にしてもそうだと思います。先生が1時間ないし1時間半の中でムダをなるべくなくし、かつ子供たちに考える余裕を作り、スムーズにかつ効率よく教えられる授業を頭の中で構築し研究を重ねているような先生がどれくらいいるでしょうか。日々の煩雑な生活の中でいつしかただ繰り返しの業務のみを行い、決められたカリキュラムをだだ流ししてテストを行い一定のリズムの中で流されていないでしょうか?子供の習得の度合いや習熟度に注意を払うことが今の教育の中でできるでしょうか?

余裕と無駄は違うということです。一流の仕事をする人たちには無駄はありません。全ては必要不可欠。絵にしても無駄な余白なんてものは一流の絵にはありません。計算されたスペースや空間が作品となっています。下手ほど余裕がなかったり、無駄な余白があるものです。音楽でもそうです。

同じ本の巻末の対談はJAXAのはやぶさチームのプロジェクトマネージャーだった川口淳一郎さんです。川口さんは教育は技術ではなく、想像力が必要な芸術、という言い方をされています。前述した「教える技術が必要」という考えとはまた違っているような語りだしですが、読むとおっしゃっていることはとても面白いです。ようするに今の学校の教える内容は「How」であると。やり方を教え、教えられたことのみ覚えて繰り返す。これでは新しい発想は生まれません。実際変わったことをしたりはずれたような事を発想する子はいじめの対象となり、「空気の読める子」が増産されていく(川口さんは「空気を読む」という言葉は一番聞きたくない言葉だ、とおっしゃっています)。

そこで必要になってくるのは、芸術の世界で言う「他の人のしないことをする」思考、誰もやっていないことをやろうとする想像力です。絵にしても芸人にしても、誰かの真似であれば絶対に光は当たらない。人と違うことをやってやろうとする「あまのじゃく」な精神。教わる側にこのような不屈な精神が必要だということです。

そういう考えはなかなか日本のような閉鎖的な考えの人々の集まりの中では難しいかもしれませんし、特に教育現場でそういう子供がいると授業が出来ない、という屁理屈でせっかくの才能や感性を閉ざし淘汰していくような気がしてなりません。ただ、そんな時に必要になるのは「選択の自由」ではないでしょうか。子供が自分に合った教育環境を選べる。大人がその姿勢をバックアップできる環境にすることが重要なのだと思います。
教師と生徒だって対人間です。全ての子供に好かれる教師が存在しないのと同じで、全ての教師に好かれる子供もまた存在しないのです。嫌いな教師がいる、でもその教科は好きなら、自分に合う先生で同じ教科を教えている人に教えを請うことだって許されて当然です。

その中で、自然と子供たちから選ばれない先生、誰からも選択されない人は出てきます。教え方が下手なのか、分かりにくい授業なのか、やる気がないのか。自然と答えは子供たちの選択によって生まれてくる。そこで改善するかしないかはその教師次第。そんなスタイルもあってイイのでは?なんて勝手に考えてしまいます。

今の就職難の時代、無職よりかはといってやる気もないのに教職員を目指す人もいるとか。この国の未来を担う子供たちを教育する立場なんだという自覚と重荷を感じている人も多いとは思いますが、努力している先生方にさらなる援助を行い、無責任な肩書きだけで教育とは程遠い人とは一線を画すような制度がどうか迅速に整って欲しいと願ってやみません。