Voice

WAVEが日頃気付いたこと、
現状報告その他

言葉との出会い

2015-01-07 11:14:55 | Weblog
本を読んでいると「運命の出会い」と思えるような言葉と遭遇することがあります。その瞬間恋に落ちるような言葉。先日も「人生の“充実感”をかみしめる!論語を生かす私の方法」という本を読んでいて「出会っちゃった~」というときがありました。これは渋沢栄一著「論語講義」を齋藤孝さんが訳・責任編集されている本で、ハードカバーですともんのすごい分厚い本で持ち歩けなくて、家にいるときにしか読めないから必死で家で読んでいます(笑)

先日書き初めで「学」という字を今年の信念の字にしたとブログで書いたところへ、知っていたのですが改めて目にしたのが、有名な孔子の言葉でした。

「子曰く、学びて時にこれを習う。また説ばしからずや。朋遠方より来たるあり。また楽しからずや。人知らずして慍らず。また君子ならずや」

まさに今年の私の気持ちにぴったり!そうです、私だけでなく切磋琢磨して周りをも巻き込んで学びたい。そしてその喜びを分かち合いたい!という思いでいます。そして「誰に好かれたい、喜ばれたい」ということでなく「今自分がやるべきなのはこれだ!」という一念において行動を起こすという自主性であり独立した気概です。

最近私が注目していることなんですが、昔からよく「天」という概念を明治の偉人達は持っていたと言いますよね。天は人の上に人をつくらず、とか、人事を尽くして天命を待つ、とか。「天」ということを昔の日本人は頻りに言っていました。それは、誰に褒められるとか、収益を得られるから、といったちっぽけな理由からではなく、自分の一挙手一投足を天が見ている、という第三者的な客観的な広い視野に基づいて考えることです。
世の為とか人の為とかいうのとはまたちょっと違う「天」というもの。自分であり世界の視点ですよね。自分の行いを天から見下したらはたして良いのか悪いのか。道徳的な思想も入っているし、とてつもなく合理的で資本的な見方もできます。ようするにあらゆる方向から見定め「今自分が何をすべきなのか」「自分に何ができるのか」をぶれずにやっていく一つの方法として「天」の視点なのだと思います。

その視点があればこそ、今すぐは役には立たないかもしれないけど、自分が今「これ」を学ぶことによって後々絶対に必要になると自覚すれば他人から「何やってんだあいつ」と馬鹿にされようが非難されようが死に物狂いで勉強し、やがて大きな成果となって現れることもあるでしょう。それは「何のために“それ”をやっているのか」という目的意識がはっきりしているから。これは仕事でも私生活でも大いに役立つ考え方だとは思いませんか?

前からこの言葉を知っていましたが、今このタイミングで論語を読むことがいい刺激となって吸収しているような気がします。またいい言葉に出会ったら記します。