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WAVEが日頃気付いたこと、
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走り初め

2014-01-08 12:00:56 | Weblog
正月にダラけたカラダを起こすため、4日から走り始めました。夜の方が人が少ないので夜走るのですが、すごく厚着をして行きますと途中で汗が滝のように流れ出すのでとても気持ちいいです。そのあとのお風呂と三ツ矢サイダ●がたまらなく美味しいです(笑)ただ走り出す前まではすごく寒いので完全防寒していきます。それゆえ外見がすこぶる怪しいです。黒いスニーカーに黒い裏起毛のズボンに黒いレッグウォーマー、3枚重ねの服の上から年季の入ったスポーツダウンジャケット、キャップをかぶって黒いネックウォーマー、手袋までがっちり固めて公園まで行きます。この時点で全く寒くありません。走り始めると暑くなるのでその時点で一枚づつ脱いでいき快適な温度を保ちます。最後はホカホカの体が冷えないように改めて上から着込み、帰ったらお風呂に飛び込みます。
寒い時期は動きも鈍くなるし、特にダラダラ汗のかくことが少ない季節ですので、週に何回かはこうして汗をかくことで自分の体温調整をしていこうと思っています。お陰でこの冬は今のところ一度も風邪をひいていません。この調子で一番寒い時期を健康に乗り切りたいものです。

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先日経済番組を見ていたら、今海外で日本の「お弁当」の文化が人気だというニュースを知りました。エコで、健康に良いお弁当を携えて仕事に向かうという文化と、お弁当を食べるという行為を楽しむ姿勢が面白い、と評価されているのだそうです。それに伴って気に入ったお弁当箱を買い求める海外の市場が出来上がりつつあり、老舗の国内のお弁当箱製造会社に海外からの依頼が殺到しているとのこと。国内の需要が伸び悩み、昔ながらの手作りの素晴らしい技術を持った職人さんが海外のお客さんにむけて腕を振るう。皮肉なことではありますが、モノづくりをしている者からするととても素晴らしいことだと思います。

確かな技術や、一つ一つ心を込めて作る商品や作品を生み出す人からしたら、その品の価値を求めてくれる人が国内にいようと海外にいようと同じこと。今はインターネットの普及により、全然別の土地にいようと情報を伝ってつながりあえるというチャンスが存在しています。昔だったらそのまま埋もれて消滅してしまうような職人さんや工房が息を吹き返す。まさにワールドワイドな生き残りをかけているのです。

逆にそれに触発されて国内での消費が上がったりすることの方が私には疑わしいです。「海外の人が見直しているから価値がある」と勝手に国内でもてはやすことがそもそも私はあまり歓迎しないです。別にそれでもいいのですが、富士山の世界遺産登録(文化遺産ですが)にしてもそうです。まず自分たちがその良さをしっかり認識し、大切にし、守っていってこその海外の評価であるべきだと思うのです。「世界遺産になったら大事」「海外の人が来るから美しく保とう」というのでは全然その良さを認識していないどころか、ただの見栄っ張りなように思うのです。そのブームや評価が失くなったら、価値がなくなるような考えです。

日本人は自分たちの祖先が生み出した文化・芸術・考えを確かに尊いとは思っていますが、それをじゃあ自分たちの現代の生活にも活かそう、とか新しい価値観を取り入れたりして活用していこう、という行動力に乏しいと思います。「きっとどこかの誰かがその文化を勝手に守って続けていってくれるだろう」と思っている。自分自身はというと安易な消費社会にどっぷり浸かり、日本に生まれたというこの素晴らしい特典をしみじみ味わったり、自分の人生や家族の生活に潤いを与えたり生活の中に楽しみや日本的なお洒落を見出すことを面倒くさがってせこせこ働いてばかりいるような・・・そんな気がします。
だからずっと世界の中で有給消化率がワースト1なのです。

でもオリンピックやサッカーのW杯なんかになると「ニッポン、ニッポン」などと囃し立てて金メダルの数を勝手に予想したり選手を追い立てるような風潮になるのはおかしい気がします。普段自分自身のアイデンティティを曖昧に過ごしているから、何かあるとそのアイデンティティを誰かに担って欲しくなる。それを応援している自分がさも「日本人魂」を持っているんだ、と無理して表現しようとしているかのように映ります。

海外の日本に対して偏った見方をしない、日本の文化に対して素直な好意を持ってくれる人たちにはその素晴らしさがストレートに伝わります。遠い異国で金髪で青い眼をした人が職人の技術がつまったお弁当箱にご飯を詰めて携えて仕事に行き、ワクワク楽しいランチを過ごしてくれていると思ったら、私がその職人だったら本当に心を込めて作ろう、という気になります。

まあ確かに国内の小規模なものづくりをしている工房なども「もう今の時代は売れないから」と半ば諦めていて国内向けに自分たちのすばらしさを伝えよう、という姿勢に乏しいのかもしれませんので一概に消費者の問題ではないとは思いますが。ただ一つ言えるのは、もう大量に作り、大量に売り、大量に捨てる社会というのはそろそろ限界に来ているんじゃないかということです。もちろん24時間やっているコンビニも便利ですしなんでも100円ぐらいで買える店があるのも助かります。でもその在庫やレストランの廃棄処分の量を考えると「物を大事にする」ということと「モノに執着する」ということの根本的な見直しを、消費者一人ひとりがもう少し考えないとこの悪循環は変わらないのではないかと思うのです。