どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

本年のまとめ3

2011-12-29 02:09:26 | インポート
本来は震災と私となるべきだろう。ただこの件は非常に厄介だ。丁度抱えていた仕事があったので、とにかく毎日毎時判断が求められた。連絡網をどうするのかとかいろいろあったのだが、まあ仕事はつつがなく終わった。
ただその後その仕事を発注していた会社から変なクレームがついた。簡単に言えば、お前は無事で良かったね!というクレームだ。
あまりにもの事に呆然とした。わたしにとっても震災はもの凄いダメージだった。そこをなんとか切り抜けて仕事をしたのにこの台詞だ。まあ彼は実際パニックで2週間動けなかったようだが。
人は、自分しか愛せない。しかし人は仕事も愛している。社会も愛している。
そのなかで自分だけを愛している人を、小人と呼ぶ。


まあそんな事もあったが、やはり一番は骨折だ。
実は足が無いカメラマンは存在する意味が無い。そう常々思っていた。一時的にも骨折するという事は、私にとっては大問題だった。まあそうなったら自殺しようとも考えていた。
だが痛みの中でまずやったのは、自分の状態を客観視出来るようにする事だった。骨折部を触る、のばしてみるとかだ。骨折らしいと判断した所で取引先への連絡や実家への連絡、これらが終わってから宿泊を勧めた取引先をを呼んだ。
それが終わったあたりで、急に大便がしたくなった。そこで足をブラブラさせながらトイレにいって用を足して、戻ってきて、ふと気がついた。普段の覚悟と違って、生きる気満々なのだ。大体体の生理反応そのものが生きる気しかない。あまりにも普段の自分の考えと違う反応にしばらく考えた。
これは開き直るしか無い。いままでも人に頼っていたのだろう、今更格好付けしても全く意味がない。大体この状態でトイレに行くくらいみっともない事は無い。
まあそうすると半年後の自分すらも見えてくる。しかしそれすらも受け入れるしか無い。
どんなにみっともなくとも、開き直るしか無いのだ。断捨離という言葉が流行ったが、そんなもんじゃない。自分が生きる事以外はすべて捨てても良いと思っている。
開き直った結果、一番変わったのは人に頭を下げる時だ。90度以上頭を下げるのは当たり前になってきている。もうその辺りは完璧に躊躇しなくなっている。でないとすべてに開き直っているフテブテしさが見えてしまうからだ。
もう原発問題に関しては、かなり開き直っている。
ただまだ少し世間体というものを感じる所もある。まあそれも時間とともに無くなるのだろう。
これが不惑なのだろうか。