どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

2011-12-16 22:17:29 | インポート
最近知り合いが死んだ。孤独死だったようだ。死後10日あたり経ってから発見されたようだ。
どんな人だったかと言えば、あえて言えば西行法師だろうか。西行法師と違うのは、子供は立派に育てた事。子育て終了と同時に離婚、個人破産、死ぬまでの間に彼女が三人はいたことだろうか。ヒモに近い生活をしていたとも聞く。
音楽を愛してそれに身を捧げてしまったと言えば、そうなのかもしれない。ただ無茶苦茶さ加減は半端ではなかった。もともと心臓が悪かった。それが夜逃げの最中発作で大変だった。そしてそれでも夜逃げしたその日の夜に、街にのみに繰り出していた。嫌な仕事の時の手抜き加減は凄まじく、見ているこっちがハラハラするほどだった。調子のいい時は1分に一回はダジャレを飛ばし、聞いているこちらの事はいっさい無視していた。
本当は優秀な人物だとははしはしから伝わってくるものの、PAをやっているときにたまに片鱗が見えるだけで、どう形容していいのか解らない人物だった。嫌いだけど愛すべき人物だった。
もう二度とこういった人物は現れないだろう。現れても困るが。


彼の訃報が届く前に、置き薬屋がきた。万が一のときに備えて置き薬があるのだが、しばらく来なかったのでどうしたのかと思っていた。担当が変わったらしい。これで三人目だ。
今度の担当は30台だろうか、プックリした男性だ。スーツは新しいのだが明らかに体型に合っていない。ボタンがちぎれそうだ。イントネーションが違うのでどこかと聞いた所、陸前高田の被災者だった。和食の料理人だったらしい。すべての道具を失ったという。
道具を失うという事は、その時間を失ったという事だ。
しばらく料理の仕事はできないと言っていた。
穏やかに会話を続けているのだが、時々彼の体のどこかに緊張が走っているのが解る。そのパルスが私にも伝わってきた。とてもいい人なのだが、それがとても痛く感じた。


亡くなった彼も、そういえば時々スっと影が差す時があった。



陸前高田の高田松原の、一本だけ残った松が枯れた。あの何も無くなった中で、すっくと立った姿は希望として愛されてきた。今後樹脂をしみ込ませて保存するなどが検討されている。
この木からとれた種子が発芽している。そして接ぎ木も出来た。この木の遺伝子は保存されている。しかしここで誰もが気がついた。
時間が失われたのだ。
遺伝子の保存も、ニュースでは歯切れが悪い。これからの象徴としてこの地に移植するにも、後10年はかかるという。
10年!普通に生きていればたった10年が、途方もない空白に感じる。




陸前高田の被災した体育館に、幽霊が出るという。避難場所に指定されていたために大勢の人が集まって、そのまま飲み込まれて大勢がなくなった場所だ。ただ陸前高田の人はなんとも思ってはいない。周りの人が言うだけだ。
でももしそこに行くと、故人に会えるのだったらどうなのだろう。もしも本当に幽霊が出るなら、知り合いかもしれない。隣のおじさんかもしれない、子供かもしれない。会えるのなら幽霊でもかまわない。
会えるのなら、海に引き込まれてもかまわない。
踏みとどまる悲しさ。あるのではないのだろうか。



過去を突然失う事は、人として堪え難いものだ。
失われた過去より未来を築くべきだ、全な意見だ。しかし失われた過去は決して埋められない。
苦痛を友に、生きるしかない。
先の故人は、そういった生き方をしてしまったのかもしれない。