沖縄・伝統文化

沖縄の伝統行事や伝統芸能・民俗芸能などを紹介するブログです。
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劇団うない公演

2008-03-15 14:10:52 | 舞台公演
沖縄の芝居は明治時代に大衆芸能として花開き、最盛期の昭和初期には多くの役者や劇団が華々しく活躍していたといわれます。その後は映画、テレビの普及の他、大衆娯楽の多様化の波に押されて次第に衰退し、現在では芝居公演を観る機会もそう多くはありません。それでも沖縄芝居には今でも多くの根強いファンがおり、先人たちから受け継いできた芸風を絶やさず活動を続けている劇団があります。
こうした劇団のなかから、女性だけで構成された「劇団うない」の公演を紹介します。「劇団うない」はかつて一世を風靡した「乙姫劇団」が時代の波で解散に追い込まれた後、副団長・兼城道子氏と元メンバーが再興する形で結成した女だけの劇団です。
沖縄芝居には台詞でそのまま演じるものと歌劇仕立てのものとがありますが、今回の公演はいずれも主要な台詞を伴奏曲に合わせて歌い踊る歌劇仕立ての芝居です。

一つ目の芝居は真境名由康氏作現代風歌劇「美人の妻、情の妻」、後妻に入ったグジー(久米ひさ子)は自分の容姿に自信がありません。そこへ夫・カマデー(東照子)の前妻が復縁を求めて舞い戻ってきた噂を聞きつけたため、ふと夫の本心を試してみたくなり、友人の人妻・メーヌー(波夕子)に夫に言い寄るよう依頼します。面白半分に引き受けたメーヌー(波夕子)は、さっそく家に押し掛けて、あの手この手でカマデー(東照子)に取り入ろうと試みますが、可愛らしくもいじらしく演じるメーヌー(波夕子)の演技が観客を爆笑の渦に誘います。

旧友と約束していたトゥジスーブ(嫁比べ)のため、友人・マチュー(佐和田君枝)から美人の妻・メーヌー(波夕子)を妻の代役として借りることにしたカマデーは、友人・マチューに言われるがままに借用書を書いています。「一つ、あまさーいくまさーい絶対相ならん候なり(妻の体には一切手出し無用)。二つ、万一破損したるときは・・・云々」などと標準語まじりの沖縄方言でいちいち堅苦しく取り交わされる契約が滑稽でこれまた観客を沸かせます。この現代風歌劇はいわゆるドタバタ喜劇ではありますが、見せ場である前振りや紆余曲折部分が盛りだくさんなため、かなり複雑な筋立てとなっています。

二つ目の芝居は親泊興照氏作時代悲歌劇「中城情話」、時代仕立て悲恋物語の代表作の一つです。首里王府の所用で中城・伊舎堂へやって来た里之子(比嘉いずみ)は、村はずれで花摘みをしていた村娘たちと出会いますが、その中のウサ小(棚原由里子)と互いに惹かれ合い恋に落ちてしまいます。ところが当のウサ小にはすでに許嫁がいたのです。

許嫁のあるウサ小(棚原由里子)への思いを断って、首里へ戻る決意を固めた里之子(比嘉いずみ)でしたが、別れを告げようにもその思い断ちがたく苦悩する場面です。いわゆる人情物悲歌劇では演技のみならず、場面節目で古典・述懐節(すっくぇーぶし)などに合わせて朗々と唱えるように唄う「つらね」が重要ですが、里之子にはまり役の舞踊家・比嘉いずみさんは「つらね」の名手でもあります。

ウサ小(棚原由里子)がその後も里之子と密かに逢瀬を重ねているという噂を耳にした許嫁・カマダー(中曽根律子)は、ウサ小に元の恋人同士に戻ってくれるよう懇願するのですが、ウサ小はついに自分の心中と決別の固い意志を歌にのせて返します。
「思みちりよーやー えーあひぐぁー たいやままならん悪縁とむてぃ(二人の仲は、互いが思うようにならない悪縁だと思って諦めておくれ) だーあんしぇ わみぬゆむじむや あさじなとぅせぇー(私の心は紺地から浅葱に褪めてしまったのだから)」

徐葆光が見た中秋宴

2006-11-25 16:50:54 | 舞台公演
かつて琉球国王が即位するたびに中国皇帝の使者・冊封使を迎えて任命式が行われていました。この大切な国賓たる冊封使の接待の席で演じられた首里王府の芸能が今に伝わる御冠船踊や組踊と呼ばれる古典芸能の数々です。徐葆光は清朝・康煕五十八年(1719年)、琉球国・尚敬王の冊封使として来琉し、滞在中の見聞を「中山伝信録」として残しています。このときの琉球王府・踊奉行こそが玉城朝薫であり、有名な「二童敵討」、「執心鐘入」をはじめとする多くの組踊や古典女踊りを創作しました。今回の公演は、冊封七宴のなかから、旧暦八月十五夜に行われた「中秋宴」で披露された演目を再現しようとする試みです。

画像は「笠舞」、徐葆光・中山伝信録によれば、「朱色襟五色長衣無帯開襟~頭載黒革笠・・」と表現されている踊りです。今日に伝わる古典女踊りの衣装とはかなり異なっていますが、なからた節・「でぃちゃよ うし連れてぃ遊ば」の歌詞を御座楽の調べに載せて踊るのは、高嶺久枝・かなの会会主です。

「籃舞」は、花籃(はなかご)を肩に掛けた少女たちの舞であり、「戴珠翠花満頭着宮裾五色錦~」と表現されていることから、宮廷衣装に玉の髪飾りをした少女たちが踊ります。

「毬舞」、「小童二人五色衣執金毬~二青獅登場」



野村流・伝音協地謡研修発表会

2006-07-02 15:49:07 | 舞台公演
古典音楽・野村流伝統音楽協会地謡研修部、第17回海邦組踊シリーズ発表会の舞台をご紹介します。野村流伝統音楽協会は主に那覇地区の実演家を中心に結成された会派ですが、地謡の技能研鑽を目指して定期的に舞踊、組踊の研修発表会を開催しています。公演は古典舞踊、雑踊から組踊までと多岐に渡るものですが、組踊に主眼が置かれた発表会であることから組踊二題を掲載しました。首里良三師範(地謡研修部長)の許可を得て撮影した画像です。

組踊「手水の縁」、波平大主の息子・山戸(やまとぅ)は、瀬長山からの帰り道、波平玉川で出会った美女・知念山口の玉津(たまつぃ)に、柄杓ではなく手ずから水を飲ませてくれるよう懇願します。見ず知らずの他人にどうしてそんなことができようかと断った玉津でしたが、自分の思いがかなわぬくらいならこの川へ身投げするという山戸に根負けした玉津は手水を捧げます。

玉津恋しさに屋敷の裏口に忍んできた山戸が玉津の肩に手をやり声をかけると同じく山戸を待ちわびていた玉津が振り返ります。美しい調べの仲風節にのせて演じられる恋人同士の逢瀬の場面です。

「でぃちゃよぅ うしちぃりてぃ 眺めやりぃあしば」・ナカラタ節にとともに始まる古典・女踊り「瓦屋節」で静かに登場する最初の場面ですが、地謡も全員女性です。どこの会派の発表会でも、女性による地謡が目立つようになってきました。瓦屋節の踊り手は宮城流・宮城能舞先生です。

組踊・「万歳敵討」、悪役の高平良御鎖(たかでぃーらうざし)は、「山鳥ぬ入らば浜下りゆする浮世習わしに 小湾かい浜下りにいちゅん」と唱えてから厄払いに出かけます。大謝名ぬ比屋(じゃなぬひゃー)を闇討ちした高平良御鎖は、屋敷内に山鳩が迷い込んだことを不吉の前触れと考えたのです。

一方、闇討ちされた大謝名ぬ比屋の遺児・謝名ぬ子(じゃなぬしぃー)と慶雲(ちぃーうん)の二人は、門付け芸をする万歳芸人に扮して父の敵討ちの旅に出ます。
小湾浜で高平良御鎖が忍びの宴を張っていることを聞きつけた謝名ぬ子と慶雲が様子をうかがうため門付けの万歳芸を披露する場面です。
この一連の踊りは、勇壮な二才踊り・「高平良万歳」として独立した舞踊ともなっていて、よく知られた人気の演目です。

沖縄文化民間交流協会公演

2006-06-19 19:58:48 | 舞台公演
沖縄の伝統芸能による海外公演などを通して、国際交流を促進することを目的に活動しているボランティア団体「沖縄文化民間交流協会」の海外公演壮行会が行われました。沖縄文化民間交流協会は毎年のように海外公演を行っていますが、今年はオーストリア、ハンガリー親善公演を行う予定です。また今年の壮行会は、玉城正保会長の出身地である糸満市で開催されました。
壮行会の舞台演目は海外公演のリハーサルを兼ねているということもあって、海外公演で演じられる舞台内容を観る機会ともなりました。玉城正保沖縄文化民間交流協会長の許可を得て撮影した画像です。

幕開けは壮行する地元の代表が舞台をつとめました。子供たちは、手にした陣笠を勇ましく打ち振りながら「湊くり節」で東ヨーロッパ親善訪問団を激励します。

海外公演の演目の一部を紹介します。画像は組踊・手水の縁から「忍び」、波平大主の息子・山戸と知念間切の玉津の逢瀬の場面を抜き出した演目です。組踊「手水の縁」の恋人同士が仲風節や述懐節にのせて切々と演じるこの場面が海外の人々に理解されるかどうか気がかりなところですが、この場面は案外、海外でもうけていると聞いています。

海外公演の演目、「加那ヨー天川」の場面です。男役(玉城敦子師範)が手にした柄杓で水をかけるしぐさをした後、女役(神谷三千代師範)が滑稽によたよたとあひる歩きする場面です。

海外公演の演目のなかの民俗芸能、「ナークニーの世界」という演目です。ナークニーとは、かつて村々の若者たちが一日の仕事を終えた夕方、集いあって唄や三線で野遊びをするころに広まったという即興の恋の唄で、さまざまなバージョンがあります。海外公演団が総出演して毛遊び(野遊び)の様子を演じながらにぎやかに踊ります。

最後は、出演者が舞台から客席へ降りてきて、沖縄の宴や集会には欠かせない即興の手踊り「カチャーシー」が始まりました。舞台と客席とで出演者、観客が入り乱れておもいおもいの身振り手振りでカチャーシーを踊ります。

玉城流・玉扇会特別公演

2006-06-07 19:44:41 | 舞台公演
琉球舞踊の流派のなかでも最も多くの門下生を擁する玉城流の総本家ともいうべき玉城流・玉扇会特別公演の舞台をご紹介します。今回の特別公演は玉城盛義三十三回忌追善の一環として行われるもので、中心演目は先代玉城盛義家元作の歌劇「浦島」、大城立裕氏作の新作組踊「山原船」とで構成されています。玉城秀子家元の許可を得て撮影した画像です。

先代・玉城盛義家元が浦島太郎の物語をモチーフに創作したという歌劇「浦島」、竜宮城のセットが置かれた舞台で色とりどりの衣装で大勢が歌劇仕立ての華やかな芝居を繰り広げます。なお、この「浦島」のストーリーでは、重箱を開けてしまった浦島太郎が老人になってしまうところまでは原作同様ですが、年寄りになってもいじめられているところを再び亀に助けられて、竜宮城へ戻って余生を過ごすというハッピーエンドで終わります。手の込んだ舞台装置と大勢の登場人物、まるでミュージカルのように華やかで楽しい舞台を演出していました。

大城立裕氏作・新作組踊「山原船」、舞台上に山原船の甲板をかたどったセットが設置され、山原船に乗り合わせた登場人物たちのドラマを組踊に仕立てたものです。泊村生まれの船頭が操る薪運びの山原船に最初に乗り込んできたのは、辻に売られていくカマドゥ小と置屋のアンマーでした。親元から引き離されて身売りされていく悲しみに沈むカマドゥ小に「辻は楽しいところだからすぐに慣れる」と言い聞かせて連れて行くアンマー(玉城秀子家元)です。

山原船は航海の途中、漂流している男を見つけて救助します。おりしも廃藩によって行き場を失った琉球の士族たちは島抜けして、密かに中国へ渡ろうとしていたのです。この男も泊村の元士族、脱藩する途中で遭難したものでした。

奇妙な組み合わせの四人が乗り合わせた山原船に、今度は脱藩者を捜索しているヤマトゥ警察の船が接舷して乗り込んできました。横暴に振る舞うヤマトゥ警察の役人は脱藩者を激しく責め立てたばかりでなく、お上に逆らう者はことごとく召し捕ろうとします。あまりの傍若無人ぶりに腹を据えかねた船頭は思いあまって、役人を海に投げ込んでしまいます。

残った捌理たちは船頭に同情を示しつつも、役人殺しの大罪は見逃すことはできないと船頭を捕縛しようとしますが、それまで黙っていた脱藩者・阿佐地親雲上は船頭が罪を犯したのは自分のせいだと船頭をかばいます。それを聞いた置屋のアンマーも金目当てにカマドゥ小を身売りさせようとしていた我が身を恥じ、役人たちもまた彼らの真剣な訴えかけに心を動かされて、すべてを見逃すことにします。かくして、山原船は彼らの新たな希望をのせて、あたかも廃藩置県の時代の波をも乗り越えるかのように与那原を目指して進みます。

第三回・古謝弘子独演会

2006-06-03 18:40:11 | 舞台公演
宮城流朱之会・古謝弘子会主が三回目の独演会を行いました。古謝弘子会主は幼少の頃から宮城美能留氏に師事、芸歴50年を誇る沖縄県伝統舞踊保持者ですが、10年を節目に独演会を開くという、たゆまぬ研鑽を続ける舞踊家の一人です。また、宮城流美能留会・早苗、園美両家元はあいさつ文のなかで、「幼い頃に目にした、師である宮城美能留(父)との稽古風景は、息をのむような緊迫した中で行われていたことが、今でも脳裏に焼き付いています」と紹介しています。
今回は「し情七彩・古典七踊」をテーマにして、古典・女七踊を一人で演じる大舞台です。出演者も、地謡に島袋正雄氏、照喜名朝一氏の人間国宝はじめ、富川盛良氏、新垣万善氏、松田健八氏、前川朝文氏、中村一雄氏、司会と幕間の解説者として上原直彦氏、三隅治雄氏、崎間麗進氏など、めったに見られない豪華な顔ぶれです。なお、舞台の写真はすべて古謝弘子会主の許可を得て撮影したものです。

古典・女七踊りの幕開けは「柳(やなじ)」、花篭を持って登場し、一曲目の中城ハンタ前節にあわせて踊ります。続いて二曲目は、柳節・「柳は緑 花は紅 人は唯情 梅は匂ひ」の歌詞にあわせて、小道具の柳の枝をさっと投げかけるように伸ばします。

古典・女踊りのなかでもよく知られている「かせかけ」ですが、よどみなく流れるような所作はもちろん、なにげないしぐさの一つ一つにも弘子先生ならではの細やかさが表現されています。

この日のために用意された衣装のなかでも一際目をひいた知念績元氏作のフク木染め、黄色地の薄衣装を羽織って「作田(ちくてん)」を踊ります。見るからに涼しげで繊細な黄色地の衣装は、別名団扇踊りともいわれる「作田」を一層引き立てました。

古典・女踊のなかでも最も難度が高いといわれる「諸屯(しゅどん)」、古典舞踊はその所作と様式が厳格に定められていますが、限られているとはいえ、踊り手の個性や思い入れがあらわれるものです。解説者の三隅治雄氏の言を借りれば、「古謝弘子会主の人生の思いが込められている」諸屯です。

「約束やしちょてぃ 二十日夜ぬ月ぬよ 上がるまでぃ わね待たちよ」
結びの演目は創作舞踊「ナークニー汀間当(てぃーまーとぅ)」、師匠・宮城美能留氏が弘子会主のために創作した創作舞踊です。前半部は秘めた恋心を唄う「ナークニー」に合わせて静かに踊り、後半部には賑やかな「汀間当(てぃーまーとぅ)」に合わせて踊る村娘の情熱を表現します。実のところ、古謝弘子先生は動きの激しい雑踊りの娘踊(あんぐわーもーい)をも得意としており、いくつものオハコ芸を持っています。

那覇ハーリー・イベント公演

2006-05-05 13:34:07 | 舞台公演
那覇ハーリーは地元テレビ局が中継することもあって、その期間中はハーリーだけでなく、さまざまなイベントが会場・特設ステージで行われます。

叔父で師匠の新垣よしみ氏(後方)・作詞作曲の民謡を歌って、高校生ながら見事な歌唱力で今年の琉球民謡・新唄大賞を受賞した「村吉 茜」さんです。

こちらは大学生にしてすでにCDデビューし、民謡教師でもある若手のホープ・「上間綾乃」さんのステージです。

こちらも大学生ながらポップス系と民謡を融合させた曲を得意とする若手ホープの一人・「伊禮麻乃」さんのステージです。

地元・沖縄テレビで放映されている「西武門食堂の人々」という現代お笑い劇の収録をかねた舞台の場面です。

ウチナー口を巧みに織り交ぜた喜劇で有名な仲田幸子氏が主宰する劇団・「でいご座」のお笑いショーのステージの場面です。

金城清一組踊会公演

2006-04-29 21:07:29 | 舞台公演
金城清一組踊会の舞台公演が行われました。金城清一組踊会会長は組踊技能保持者であり、伝統的な組踊の演目を数多く演じていますが、今回は「新作組踊・鬼大城」の舞台公演です。金城清一会長の許可を得て撮影した画像で当日の舞台をご紹介します。

画像は「戻り駕籠(もどりかご)」、駕籠かき男二人と若い女の客をめぐる一連の滑稽なやりとりを玉城流玉扇会初代・玉城盛義師が沖縄風に仕立てた喜歌劇です。客の若い女のことが頭から離れない駕籠かき男二人は、休憩中に女をめぐって喧嘩を始めます。見かねた女が駕籠から降りて仲裁に入ったので、男たちが大喜びしている場面です。

画像は被りものをとった若い女の素顔を見てびっくりする駕籠かき男二人、それもそのはず、客の女はとんでもない醜女だったというオチがついています。駕籠かき二人の滑稽なしぐさはもちろん、歌になっているセリフで掛け合う様子が観客をわかせます。

画像は新作組踊・「鬼大城(うにうふぐしく)」、勝連・あまわりを討伐した王府軍の大将・大城賢勇の波乱の興亡を和宇慶正雄氏の脚本によって組踊にしたものだということです。舞台に登場した金城会長演ずる鬼大城(大城賢勇)が見得を切る場面です。

あまわり討伐で武勇をあげた鬼大城(大城賢勇)は、政略結婚であまわりの元へ嫁がされていた百十踏揚(むむとぅふみあがり・尚泰久王の娘)を妻として迎え、知花城の主となります。

時代は変わり第二尚氏の世となると、王府は知花城の鬼大城(大城賢勇)に謀反人として嫌疑をかけて、城明け渡しの軍を派遣します。画像は落城寸前、百十踏揚(むむとぅふみあがり)に城から落ちのびて、実の兄・富里大主のもとへ身を寄せるよう手紙とともに言伝する別れの場面です。

協陽地謡研修発表会

2006-03-12 15:32:36 | 舞台公演
野村流音楽協会那覇支部、琉球箏曲興陽会那覇支部の会員による第5回協陽地謡研修発表会の舞台を紹介します。野村流音楽協会那覇支部・新垣支部長のご好意で撮影させていただきました。組踊と舞踊の地謡をめざす会員が組踊1演目と舞踊10演目からなる発表公演をおこなう舞台です。

開幕は揚作田節、あがり里節、赤田花風節の斉唱です。

古典・女踊り「芋引(うーびぃち)」、王国時代の着物を作る一連の様子を演じる古典舞踊です。麻糸を紡ぐ優雅なしぐさや愛情細やかな動きが見られる踊りです。古典・女踊なのですが長らく途絶えていて、柳清会初代比嘉清子家元が初めて披露した踊りだということです。(柳清本流・柳清会)

創作舞踊・「若衆揚口説わかしゅうあげくどぅち」、一曲目は揚口説節にのせて花かごを持ったあでやかな出で立ちの若衆姿で踊り、二曲目は笠を手に湊くり節で軽快に踊ります。

組踊「手水の縁」から、あわや処刑される玉津のもとへ山戸が駆けつける場面です。波平大主の息子「山戸」は、瀬長山近くの川で出会った娘「玉津」に手水を乞うて懇ろになりますが、親の怒りに触れた玉津は浜辺で処刑されることになってしまいます。そこへ駆けつけた「山戸」の必死の命乞いに動かされた役人は、二人を逃がしてやるという筋書きです。

画像は「八重瀬の万歳之踊」、通称「波平大主道行口説(はんじゃうふぬしみちゆきくどぅち)」と呼ばれ、組踊「忠臣身替之巻」から波平大主の口説の場面を舞踊に仕立てたものです。波平大主は、八重瀬の按司に討たれた主君玉村按司の若按司が味方の平安名大主によって敵方に引き渡されたと聞き、平安名太主の裏切り許すまじの怒りに燃えて、事の真偽を問いただす旅行きを決意します。実は忠臣平安名大主が敵方を欺くため、若按司の身替わりに自分の息子を引き渡していたのです。

組踊・二童敵討

2006-02-12 19:20:46 | 舞台公演
野村流音楽協会具志川支部主催の組踊・舞踊地謡研修部発表会の舞台から、組踊「二童敵討」をご紹介します。三線の古典音楽奏者にとって、舞踊や組踊の地謡をつとめることが最終目標の一つだと思います。この高度な演奏技量を維持・育成するため、定期的に研修部発表会が行われているのです。当日の組踊の舞台から親泊久玄先生(国指定組踊技能保持者)の許可を得て撮影した画像でご紹介します。

中城城主護佐丸を攻め滅ぼして、もはや向かうところ敵なしとなった勝連按司あまおへは、野遊びに出かける用意を供に命じます。親泊久玄先生演じる勝連の按司あまおへが登場するやいなや、迫力ある七目付けを演じますが、画像は「ゆかる日ゆ選でぃ まさる日ゆ選でぃ 首里戦すらに 那覇戦すらに」と唱える場面です。

一方、中城城主護佐丸の遺児鶴松と亀千代は、母親に決死の覚悟で父の仇討ちを決意したことを告げます。母親との別れの場面ですが、伊野波節の伴奏にのせてかなり長く演じられる場面でもあります。勇壮なストーリーが多い組踊ではありますが、実はこうした母子の別れなど、惜別の情を表現する場面こそが長く演じられるのです。

あまおへが野遊びに出ていることを聞きつけた鶴松と亀千代は、踊り子に扮してあまおへの野遊びの宴にうまく潜り込み、舞を披露してあまおへに取り入ります。
画像は兄弟があまおへと供の者たちに酒のお酌をして、酔わせてしまう場面です。

すっかり酔いがまわって上機嫌のあまおへは、兄弟の踊りの褒美として、刀や帯、着物まで与えてしまいます。

踊りながら、下帯姿になってしまったあまおへに迫る機会をうかがう兄弟は、ついに名乗りをあげてあまおへを討ち取ります。画像はあまおへに迫る兄弟の場面です。一般的に、組踊では討ち取るシーンや戦闘シーンそのものは表現されず、幕外でおこなわれます。この後、敵を討ち取った兄弟は、やりこのしぃ節(歌詞はかじゃでぃ風)とともに喜びの舞いを舞いながら帰っていきます。