沖縄・伝統文化

沖縄の伝統行事や伝統芸能・民俗芸能などを紹介するブログです。
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与那原・大綱曳

2006-07-30 16:21:56 | 行事
沖縄本島南東部の与那原町に伝わる「与那原大綱曳」が行われました。400年以上続いている伝統行事だとされていて、本島各地で行われている綱引きのなかでも有名な大綱の一つです。本来は旧暦6月26日に行われる行事だったようですが、現在では直後の日曜日に行われるようになったということです。沖縄本島の綱引きは、おおむね旧暦6月に行われる地域と旧暦8月ごろに行う地域があるようですが、与那原大綱曳は前者に当たります。

綱曳は町内を東と西とに分けて行われますが、それぞれが大きな旗頭を立てて道ジュネーを行います。これは東の旗頭、菊の花と蝶がシンボルにあしらわれ、旗には「躍進」の文字が躍っています。

通行止めにした国道に繰り出した東・西の旗頭とシンカ、東と西に対峙してガーエーが始まりました。このとき旗持ちやシンカ同士の激しいガーエーが恒例となっている地域もありますが、与那原は鉦や小太鼓をたたきながら、「ハーイヤ」のかけ声にあわせて手踊りを繰り返します。

大勢に担がれて西の大綱が登場しました。大綱の上には組み踊りなどの人物に仮装した人々が乗ることになっていますが、今年は「二童敵討」の登場人物たちが乗っています。

こちらは東の大綱、「大新城親方」に扮した人物が乗っています。


青年ふるさとエイサー祭り

2006-07-22 16:00:37 | 行事
沖縄の夏の行事、エイサーの季節になりました。北谷町で開催された第42回青年ふるさとエイサー祭りの様子をご紹介します。このエイサー祭りは沖縄県青年団協議会の主催で、加盟団体の関係上、沖縄南部と中部市町村の青年会のエイサーが多いようです。また、一日目は各地に伝わる民俗芸能も披露されました。

刀や槍といった武器が禁止されていた王国時代の護身術から発展した棒術の組み手です。昔は村々の自警団を構成していた青年たちに必須の武術の一つだったものです。気を抜くと怪我をするので真剣そのものの組み手が続きます。

南城市・知名のみに伝わる「胡蝶の舞」、花に集まる蝶が飛び回る様子を振り付けた知名独特の踊りだということですが、腰を落としたきつい姿勢で舞台上を跳びまわるため、かなりハードな踊りだといわれています。

南城市・前川に伝わる民俗芸能「アヤグ」、宮古島から伝わったとされる四人の男衆による打ち組み踊りです。青年たちが集まって腕比べをする様子を踊りにしたものだということですが、帯を腰の横で締め、伊江村に伝わる「宮古節(みゃーふぶし)」によく似たスクラム風の振りも見られます。

伊江村に伝わる大和風踊りの一つ「シティナ節」、男女3人ずつによる打ち組み踊りでなかなか見る機会がない民俗芸能です。頬被りをした男は刀を差している武士で、武士と女が仲良く踊ることで天下太平を表しているのだということです。本土風の振りと歌詞、特に「ヨイサー、ヨイサー」と入る囃子の調子が尻下がりで奄美~薩南諸島風です。

エイサーは念仏踊りから始まったとされていますが、今ではすっかり全国的に有名な夏の風物詩となりました。最後に登場した宜野湾市我如古のエイサー、具志川エイサーを導入したものらしく、チョンダラー(京太郎)が前ぶれ口上を述べてから、旗持ち、酒瓶持ちに続いてパーランクーを持ったエイサー隊が登場します。

野村流・伝音協地謡研修発表会

2006-07-02 15:49:07 | 舞台公演
古典音楽・野村流伝統音楽協会地謡研修部、第17回海邦組踊シリーズ発表会の舞台をご紹介します。野村流伝統音楽協会は主に那覇地区の実演家を中心に結成された会派ですが、地謡の技能研鑽を目指して定期的に舞踊、組踊の研修発表会を開催しています。公演は古典舞踊、雑踊から組踊までと多岐に渡るものですが、組踊に主眼が置かれた発表会であることから組踊二題を掲載しました。首里良三師範(地謡研修部長)の許可を得て撮影した画像です。

組踊「手水の縁」、波平大主の息子・山戸(やまとぅ)は、瀬長山からの帰り道、波平玉川で出会った美女・知念山口の玉津(たまつぃ)に、柄杓ではなく手ずから水を飲ませてくれるよう懇願します。見ず知らずの他人にどうしてそんなことができようかと断った玉津でしたが、自分の思いがかなわぬくらいならこの川へ身投げするという山戸に根負けした玉津は手水を捧げます。

玉津恋しさに屋敷の裏口に忍んできた山戸が玉津の肩に手をやり声をかけると同じく山戸を待ちわびていた玉津が振り返ります。美しい調べの仲風節にのせて演じられる恋人同士の逢瀬の場面です。

「でぃちゃよぅ うしちぃりてぃ 眺めやりぃあしば」・ナカラタ節にとともに始まる古典・女踊り「瓦屋節」で静かに登場する最初の場面ですが、地謡も全員女性です。どこの会派の発表会でも、女性による地謡が目立つようになってきました。瓦屋節の踊り手は宮城流・宮城能舞先生です。

組踊・「万歳敵討」、悪役の高平良御鎖(たかでぃーらうざし)は、「山鳥ぬ入らば浜下りゆする浮世習わしに 小湾かい浜下りにいちゅん」と唱えてから厄払いに出かけます。大謝名ぬ比屋(じゃなぬひゃー)を闇討ちした高平良御鎖は、屋敷内に山鳩が迷い込んだことを不吉の前触れと考えたのです。

一方、闇討ちされた大謝名ぬ比屋の遺児・謝名ぬ子(じゃなぬしぃー)と慶雲(ちぃーうん)の二人は、門付け芸をする万歳芸人に扮して父の敵討ちの旅に出ます。
小湾浜で高平良御鎖が忍びの宴を張っていることを聞きつけた謝名ぬ子と慶雲が様子をうかがうため門付けの万歳芸を披露する場面です。
この一連の踊りは、勇壮な二才踊り・「高平良万歳」として独立した舞踊ともなっていて、よく知られた人気の演目です。