沖縄・伝統文化

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組踊・二童敵討

2006-02-12 19:20:46 | 舞台公演
野村流音楽協会具志川支部主催の組踊・舞踊地謡研修部発表会の舞台から、組踊「二童敵討」をご紹介します。三線の古典音楽奏者にとって、舞踊や組踊の地謡をつとめることが最終目標の一つだと思います。この高度な演奏技量を維持・育成するため、定期的に研修部発表会が行われているのです。当日の組踊の舞台から親泊久玄先生(国指定組踊技能保持者)の許可を得て撮影した画像でご紹介します。

中城城主護佐丸を攻め滅ぼして、もはや向かうところ敵なしとなった勝連按司あまおへは、野遊びに出かける用意を供に命じます。親泊久玄先生演じる勝連の按司あまおへが登場するやいなや、迫力ある七目付けを演じますが、画像は「ゆかる日ゆ選でぃ まさる日ゆ選でぃ 首里戦すらに 那覇戦すらに」と唱える場面です。

一方、中城城主護佐丸の遺児鶴松と亀千代は、母親に決死の覚悟で父の仇討ちを決意したことを告げます。母親との別れの場面ですが、伊野波節の伴奏にのせてかなり長く演じられる場面でもあります。勇壮なストーリーが多い組踊ではありますが、実はこうした母子の別れなど、惜別の情を表現する場面こそが長く演じられるのです。

あまおへが野遊びに出ていることを聞きつけた鶴松と亀千代は、踊り子に扮してあまおへの野遊びの宴にうまく潜り込み、舞を披露してあまおへに取り入ります。
画像は兄弟があまおへと供の者たちに酒のお酌をして、酔わせてしまう場面です。

すっかり酔いがまわって上機嫌のあまおへは、兄弟の踊りの褒美として、刀や帯、着物まで与えてしまいます。

踊りながら、下帯姿になってしまったあまおへに迫る機会をうかがう兄弟は、ついに名乗りをあげてあまおへを討ち取ります。画像はあまおへに迫る兄弟の場面です。一般的に、組踊では討ち取るシーンや戦闘シーンそのものは表現されず、幕外でおこなわれます。この後、敵を討ち取った兄弟は、やりこのしぃ節(歌詞はかじゃでぃ風)とともに喜びの舞いを舞いながら帰っていきます。


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