沖縄・伝統文化

沖縄の伝統行事や伝統芸能・民俗芸能などを紹介するブログです。
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野村安趙生誕200年記念公演

2006-01-21 18:11:51 | 舞台公演
沖縄の三線の流派・野村流開祖「野村安趙」生誕200年を記念した公演が行われました。野村安趙翁は首里王府の御冠船踊楽士を勤め、楽器・三線の楽譜である野村・工々四を編纂した人物として広く知られています。今日に伝わる古典音楽・三線の3流派の中でももっとも大きな流派が野村安趙翁を始祖とする「野村流」ですが、今日の琉球古典音楽全体の興隆は少なからずこの野村安趙翁の功績によるものとも言われています。生誕200年の年に当たり、野村安趙翁の偉績を偲ぶため、野村流の四会派からなる野村流合同協議会が主催したものです。

開祖・野村安趙の肖像を掲げた舞台の幕開けは、「かじゃでぃ風」、「ぢゃんな節」、「揚作田節」の斉唱で始まりました。

画像は「本調子・赤田風節」を独唱する前川朝文・野村流伝統音楽協会会長です。

古典・女踊り「作田(ちくてん)」を踊るのは玉城節子・翔節会家元です。唐団扇を持つ踊りと稲穂を持つ踊りがあるようですが、もともとは団扇踊りだといわれています。

画像は古典・女踊り「本貫花」を踊る島袋恵美子・島袋本流紫の会師範です。二曲目の「白瀬走川節」、「白糸貫花や よいれ わらべ」にあわせて、手に持った貫花をどさりと落とす場面が理解できなかったのですが、ある先生に聞いたところによれば、白糸貫花は子供にあげようとの意味だということです。

三人で踊る「金細工(かんじぇーくー)」、歌劇仕立てになっているこの踊りを宮城流美代の会・渡久地美代子会主、宮城流朱の会・古謝弘子会主、宮城流豊舞会・宮城豊子会主の三人が阿吽の呼吸でかけ合いながら、見事に踊ります。

親泊本流・親扇会公演

2006-01-20 19:15:17 | 舞台公演
親泊本流親扇会は、沖縄芝居や組踊で活躍した先代・興照氏が創設した琉舞の会派です。二代目家元の久玄氏も組踊で活躍する技能保持者であり、公演でも創作組踊が披露されました。久玄家元の許可をうけて撮影した当日の舞台写真です。

久玄家元創作の「本部ナークニー」、村娘が山々で薪取りをする様子をテーマにした創作舞踊です。ナークニー、カイサーレーの二曲にあわせて、かなり複雑な手踊りで表現します。

同じく家元創作の「塩焚(マース)アチネー」、名護・屋我地島で作った塩を売り歩く村娘を演じています。塩を入れた袋を背中に背負い、村々を商って廻ります。

初披露となる創作組踊「無情ぬ孤島」、歌舞伎・俊寛をモチーフにして、音響効果や照明など新しい工夫を取り入れたという久玄家元の熱演が光ります。
画像は流刑で島へ流された真壁大主、孤島の悲惨な暮らしを演じる久玄家元です。

思いがけない恩赦の船がやってきました。自分の名前がないことに半狂乱となった真壁大主は使者にすがりつきますが、冷たく突き放されてしまいます。

恩赦の船を見送った後、夕暮れのなかをとぼとぼとむなしく帰るあわれな真壁大主の姿です。家元の迫真の演技に場内も静まりかえってしまいました。

沖縄市・入賞者激励芸能公演

2006-01-15 15:31:13 | 舞台公演
沖縄市芸能団体協議会が主催する第21回入賞者激励芸能公演を観る機会がありました。沖縄タイムス社の芸術選賞および琉球新報社の古典芸能コンクールの入賞者によるお披露目の舞台公演です。

画像は古典・女踊り「かせかけ」、古典芸能コンクールの課題舞踊でもあり、繊細なしぐさと優雅な動作が見せ場の踊りです。

古典・女踊り「伊野波節」、芸術選賞課題ですが、ゆったりとした動きのなかで女性の恋心を表現することが求められるようです。他の女踊り同様、三曲構成からなるものの、実はゆうに20分を超えるとても長い踊りなのです。

旅情の哀愁ただよう歌詞にあわせて手踊りだけで表現する「浜千鳥」、古風な品の良い踊りです。

雑踊り「谷茶前(たんちゃめー)」、男が櫂を持って漁のしぐさを演じ、女はざるに魚を入れて売りに行く様子を軽快に踊ります。「リチャ ソイ ソイ ソイ」「タンチャ マシ マシ」と囃子が入る場面ですが、本来は「ナーンチャ ムッサ ムッサ」という囃子だと教わったことがあります。魚の大群を表現する擬音だということです。

二才踊り「高平良万歳」、もともとは組踊なので勇壮な見せ場が多い踊りです。
一曲目の「口説(くどぅち)」にあわせて、仕込み杖を後ろ手に振り立てるこの場面、ひゅんひゅんと風を切りながら杖先を回します。

玉城流・翔節会公演

2006-01-06 19:14:00 | 舞台公演
新年そうそう、玉城流・翔節会の舞台公演がありました。翔節会は、玉城盛義翁に師事した玉城節子家元によって創設された琉舞の会派です。当日の舞台公演の様子を玉城節子家元の許可を得て撮影したなかからご紹介します。

古典・女踊り「稲まづん節」に続いて登場した豊作祈願の踊りの一場面です。
四人が祈り手のしぐさで稲田の豊作祈願を込めて踊ります。

若衆姿で踊る「タノムゾ節」、元服前の少年が四書五経の学問に励んで六芸を学び、やがては首里に奉公して親孝行することを誓うという内容の踊りです。あでやかな衣装の若衆が扇子を持ってきびきびと踊る若衆踊りは、めでたい席に欠かせぬ祝儀舞踊の一つです。

会場内も手拍子と笑いで沸いた「稲しり節」、農民姿で稲の脱穀の様子を明るく陽気に踊ります。

画像は雑踊り「加那ヨー天川」、男女が水辺で戯れる様子を小気味よいテンポで踊ります。「天川」という別の踊りもあるのですが、この加那ヨー天川は、「加那(かなー)」という人が創作したものだと聞いたことがあります。

梅の小枝を手に玉城節子家元が踊る「梅の香り」、踊り終えたところで教師・師範が登場し、家元の周りを囲んでより華やかな舞台になりました。

玉城流てだの会公演

2005-12-23 22:08:01 | 舞台公演
琉球舞踊、玉城流「てだの会」の公演を観ることができました。会主の玉城千枝子先生の許可をもらって撮影させていただいた写真です。

公演の幕開けは、にぎやかな祝儀舞踊「長者ぬ大主(ちょうじゃぬうふしゅー)」、
まず翁が観客へ向かってうやうやしく今年の感謝と次の年の幸福を願う口上を述べた後、翁と媼が息子夫婦を従えて「かじゃでぃ風」を舞う場面です。

勇壮な二才踊り「高平良万歳(たかでぃーらまんざい)」、組踊「万歳敵討」から踊り部分を独立させたといわれる踊りです。兄弟二人が父の仇討ちのため、万歳芸人に身をやつして敵の宴席で踊りながら隙をうかがい、ついには仇討ちを遂げるという筋書きです。画像は二曲目、万歳かふす節にあわせて獅子頭を構えて踊る場面ですが、この踊りは非常に動きが激しく、撮影が難しい踊りのひとつです。

雑(ぞう)踊り「むんじゅる」、麦藁の笠をかぶった村娘姿で軽快に踊ります。この踊りは、軽快なテンポながら三曲構成の長い踊りのため、かなり難度の高い踊りです。踊り手は宮城恵子師範です。

画像は「金細工(かんじぇーくー)」、細工職人のかなーひー(玉城千枝子会主)が遊女・もうしーとともに遊び回って金を使い果たしたところへ置屋のあんまーまで登場して、三人でかけ合いながら踊ります。なお、金細工節の歌詞は、この三人の登場人物のセリフになっていて、地謡も踊り手も高度な技量が必要とされる踊りのひとつです。

古典女踊り「本嘉手久(むとぅかでぃーくー)」、杖と花笠姿で登場した後、花笠をとって花をめでる情景をゆったりと踊ります。このように古典女踊りは通常、ゆったりしたリズムの三曲構成になっています。

離島フェアの舞台芸能

2005-12-03 15:27:37 | 舞台公演
コンベンションセンターで開かれている離島フェアへ行ってきました。
沖縄県の離島振興を目指して離島の特産と観光紹介などを展示するフェアですが、伝統芸能を紹介するコーナーもあるのです。

八重山の祝儀舞踊「赤馬節(あかまーぶし)」、伝説の名馬・赤馬は首里王府に献上されたが、そこではなつかず手に負えなかったので、再び八重山へ戻されたという
伝承に踊りを振り付けたものです。八重山地方では、めでたい席の最初に踊られる踊りです。(勤王流・川井民枝道場)

画像は八重山民謡「山崎ぬアブジャーマ」、八重山・黒島に伝わる女好きのオジーの物語をアンガマの面をかぶったウミー(媼)とウシュマイ(翁)がペアでおもしろおかしく踊ります。(勤王流・川井民枝道場)

国の重要民俗無形文化財に指定されている本島北部・伊江島の豊年踊りから「次郎が」という踊りです。かつての江戸上りの道中で見聞きした日本本土の踊りを受け継いだものだといわれています。(伊江村川平区保存会)
伊江村の解説ページ(http://www.iejima.org/kan/miru_uta.html)

同じく、伊江島の豊年踊りから「様が」という踊りで、これも沖縄の踊りの振り付けとは全く異なるものです。帯も背中側で締めています。

伊江島の豊年踊り「宮古節(みゃーふぶし)」、宮古島からの伝来だとされていますが、見たこともない風変わりなスクラムを組む不思議な振りの踊りです。男衆四人による打ち組み踊りのようですが、最後はこの体勢のままで幕下へ下がっていきます。

敏風会記念公演

2005-10-30 14:07:27 | 舞台公演
玉城流 敏風会「創立40周年記念公演」の舞台を観るため、那覇市民会館へでかけ
ました。公演は昼、夜二回公演なのですが、僕は昼の部を観てきました。玉城流敏風会は、宇根伸三郎氏の七扇会系統、宮里敏子家元により創立された会派です。

師範と教師たちによる祝儀舞踊「かじゃでぃ風」が始まりました。

画像は雑踊り・本花風(もとぅはなふう)、那覇港入り口の三重城から、船出する夫の舟を見送る夫人の心情を表現したとされる静かなうちにも惜別を込めた踊りです。(ビデオ画像)

みたこともないほど大群舞の「花笠踊り」、隊列を組んだフォーメーションで演じます。

画像は雑踊り「浜千鳥」、旅路の心情を詠んだ詩を踊りにしたものだといわれています。「旅や浜宿り 草ぬ葉どぅ枕」で始まる上品で繊細な手踊りです。(ビデオ画像)

琉球民謡公演

2005-09-03 18:30:30 | 舞台公演
沖縄県内には、琉球民謡の団体がいくつかありますが、「琉球民謡音楽協会」が開催する芸能祭公演を観る機会がありました。当日の舞台からいくつかの場面を紹介します。

ずらりと並んだ各賞受賞者の顔ぶれですが、圧倒的に女性が多く、若い世代ほど顕著です。いまや、沖縄の舞踊は言わずもがな、三線までも女性が支えているのではないでしょうか。

子供たちによる合奏の場面ですが、次の世代を担う受賞者の顔ぶれも女の子ばかりです。

合間に舞踊も披露されました。画像は大勢の師範と教師が踊りくわでぃさ節を演奏するなか、四つ竹を踊る敏風利美の会のメンバーです。

貞扇会・屋我御冠船流公演

2005-07-29 19:08:26 | 舞台公演
琉球舞踊の舞台公演を見るため沖縄県立郷土劇場へでかけました。県立郷土劇場では定期的に琉球舞踊の公演が行われているのです。
この日の舞台は「貞扇会・屋我御冠船流」、王府の宮廷舞踊を伝承する屋我守勝師に師事した山田貞子宗家が創設した由緒ある琉舞の会派です。なお、撮影は山田恵美子貞扇会会長に許可をいただきました。

幕開けは祝儀舞踊「鶴亀」、長寿と繁栄の象徴・鶴と亀の飾りをつけて踊ります。

古典・女七踊りの一つ「かせかけ」、あでやかな紅型衣装に糸紡ぎのかせを持って踊ります。踊りだけでなく、一曲目は干瀬節、「ななゆみとぅ はたぃん かしぃかきぃてぃうちゅい」で始まるとても優雅で美しい調べです。

古典女踊りの通称「四つ竹」、紅型衣装に花笠をかぶり、手に持った四つ竹をならしながら、優雅に踊ります。本来は、四つ竹とは手に持つ小道具の楽器のことで、曲は「クハデサ節」と呼ばれているようです。この一曲だけで舞うので、とても短い踊りなのです。

最後の演目は創作舞踊の「なんた浜」、与那国島のなんた白浜で踊る島娘を演じています。

野村流・伝統音楽協会公演

2005-07-17 19:54:09 | 舞台公演
琉球古典音楽・野村流には4会派がありますが、那覇市を中心に活動する野村流伝統音楽協会の定期公演の舞台を紹介します。

幕開けは華やかな御前風節のなかから、かじゃでぃ風節、恩納節、辺野喜節の斉唱で始まりました。

古典・女踊り「本嘉手久」、花笠と杖を手に「本嘉手久節」にあわせて左手から静かに登場する場面です。三曲から構成されますが、いずれも春の花をめでる歌詞となっていて、もともとは花見踊りと呼ばれていたといわれます。(渡嘉敷流守芸の会)

小・中学生による渡りぞう、安波節、安里屋ユンタの斉唱の場面です。楽器奏者もほとんどが女の子です。

古典・女踊り「しゅんだう」、美女役と仮面をかぶった醜女役が登場します。特に醜女役はこっけいなしぐさをまじえて美女役をまね、観客をわかせます。美女役が幕下に下がった後も醜女役が「ゆむ面の美ゅらさ、どぅく頼てぃうるな(顔の美しさだけにうぬぼれるな)」と「やりこのしい節」にあわせて踊るのですが、とても意味深で不思議な踊りです。御冠船踊りの頃から、一番最後の演目だったということです。(宮城流鳳乃会)

雑踊り・鳩間節にはいろいろなバージョンがありますが、これは傘を持って踊る「傘の鳩間節」です。もともとの鳩間節はスローテンポの曲ですが、雑踊りでは、かなりのハイテンポで軽快な振りをつけた踊りになっています。(貞扇会屋我御冠船流)