沖縄・伝統文化

沖縄の伝統行事や伝統芸能・民俗芸能などを紹介するブログです。
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徐葆光が見た中秋宴

2006-11-25 16:50:54 | 舞台公演
かつて琉球国王が即位するたびに中国皇帝の使者・冊封使を迎えて任命式が行われていました。この大切な国賓たる冊封使の接待の席で演じられた首里王府の芸能が今に伝わる御冠船踊や組踊と呼ばれる古典芸能の数々です。徐葆光は清朝・康煕五十八年(1719年)、琉球国・尚敬王の冊封使として来琉し、滞在中の見聞を「中山伝信録」として残しています。このときの琉球王府・踊奉行こそが玉城朝薫であり、有名な「二童敵討」、「執心鐘入」をはじめとする多くの組踊や古典女踊りを創作しました。今回の公演は、冊封七宴のなかから、旧暦八月十五夜に行われた「中秋宴」で披露された演目を再現しようとする試みです。

画像は「笠舞」、徐葆光・中山伝信録によれば、「朱色襟五色長衣無帯開襟~頭載黒革笠・・」と表現されている踊りです。今日に伝わる古典女踊りの衣装とはかなり異なっていますが、なからた節・「でぃちゃよ うし連れてぃ遊ば」の歌詞を御座楽の調べに載せて踊るのは、高嶺久枝・かなの会会主です。

「籃舞」は、花籃(はなかご)を肩に掛けた少女たちの舞であり、「戴珠翠花満頭着宮裾五色錦~」と表現されていることから、宮廷衣装に玉の髪飾りをした少女たちが踊ります。

「毬舞」、「小童二人五色衣執金毬~二青獅登場」



小浜島・結願祭

2006-11-07 14:43:17 | 行事
八重山・小浜島の結願祭をご紹介します。結願祭とは一年間の豊作、息災などの祈願が成就したことの感謝と祝いの祭りとされています。豊年祭(十五夜踊)は、沖縄本島から八重山地方に至るまで広く行われていますが、結願祭は八重山地方で行われているだけで本島地域では行われていません。小浜島の結願祭は国指定重要無形民俗文化財であり、祭り期間中は人口600人程度の小さな島も里帰りした大勢の人々で賑わいます。なお、他の祭事芸能も同様ではありますが、小浜島・結願祭の奉納芸は午前中から夕方まで演目が切れ目なく続くほど多いため、このブログではその一部だけの紹介にとどめてあります。

集落の外れにある嘉保根御獄(かふにおん)の庭に設営されたこじんまりした舞台(バンク)で北集落と南集落による奉納芸が切れ目なく次々と披露されます。また、舞台の上には大きな天幕が張られていて、奉納芸の最中は正装姿の島の長老たちが舞台をぐるりと囲むように座ります。
画像は北集落のミルク様を迎えて演じられる「マミドーマ」、八重山地方を代表する農民踊りの一つで、鎌や鍬などの農具を手にかいがいしく働く女性を讃える踊りだとされています。小浜島のマミドーマの歌詞は「サー マミドマーヨー マミドマー ミーヤラビ(美童)ヌー ミーヤラビ(美童) ウーヤキー ユナボーレー」であり、竹富島のマミドーマとは歌詞も出だしも異なっています。

小浜島を代表する舞踊・小浜節(くもーぶし)、八重山地方の正装であるスディナ・カカン姿に四つ竹を持ち、重厚な小浜節「くもまてぃるすぃまや かふぬすぃまやりば(小浜島は果報の島である)」に合わせてゆったりと踊ります。

八重山地方を代表する女踊りの一つ「芋引(ぶーびち)」、芋麻(ちょま)の皮を採取して織物の原料となる糸を紡ぎ出す様子を踊ります。芋麻の糸で織られた風通しがよく涼しげな八重山上布は琉球王府への上納品でもありました。

演目名はうろんつぃぬジラーン(うりずんのジラバ)、農夫と牛が登場し、農夫が八重山地方の農耕歌であるジラバを唄いながら牛に引かせた鋤で田を耕す様子を演じます。舞台を囲んだ長老たちが農夫の唄にあわせて「エーユーイーヤーサァー」と唱和する囃子が会場にこだまして、その美しい調べと相まってトゥバラーマの叙情詩的な風情のある趣を醸し出しています。

小浜島・結願祭にのみ伝わっている「ダートゥーダー」、長い間途絶えていたため幻の演目となっていたところ、数年前に一度だけ演じられて後、再び踊り手不在で中断されていた貴重な演目です。不思議なお面と装束、棒を手に登場し、屈んだり飛び跳ねたりと見慣れぬ動作を繰り返しますが、極めつけは画像のようにまるで組み体操の体勢のまま互いに指さすしぐさで終了します。いわゆる南ぬ島(ふぇーぬしま)系統の踊りであるとされているものの、詳細が不明で今後の研究が待たれる演目です。