沖縄・伝統文化

沖縄の伝統行事や伝統芸能・民俗芸能などを紹介するブログです。
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沖縄文化民間交流協会公演

2006-06-19 19:58:48 | 舞台公演
沖縄の伝統芸能による海外公演などを通して、国際交流を促進することを目的に活動しているボランティア団体「沖縄文化民間交流協会」の海外公演壮行会が行われました。沖縄文化民間交流協会は毎年のように海外公演を行っていますが、今年はオーストリア、ハンガリー親善公演を行う予定です。また今年の壮行会は、玉城正保会長の出身地である糸満市で開催されました。
壮行会の舞台演目は海外公演のリハーサルを兼ねているということもあって、海外公演で演じられる舞台内容を観る機会ともなりました。玉城正保沖縄文化民間交流協会長の許可を得て撮影した画像です。

幕開けは壮行する地元の代表が舞台をつとめました。子供たちは、手にした陣笠を勇ましく打ち振りながら「湊くり節」で東ヨーロッパ親善訪問団を激励します。

海外公演の演目の一部を紹介します。画像は組踊・手水の縁から「忍び」、波平大主の息子・山戸と知念間切の玉津の逢瀬の場面を抜き出した演目です。組踊「手水の縁」の恋人同士が仲風節や述懐節にのせて切々と演じるこの場面が海外の人々に理解されるかどうか気がかりなところですが、この場面は案外、海外でもうけていると聞いています。

海外公演の演目、「加那ヨー天川」の場面です。男役(玉城敦子師範)が手にした柄杓で水をかけるしぐさをした後、女役(神谷三千代師範)が滑稽によたよたとあひる歩きする場面です。

海外公演の演目のなかの民俗芸能、「ナークニーの世界」という演目です。ナークニーとは、かつて村々の若者たちが一日の仕事を終えた夕方、集いあって唄や三線で野遊びをするころに広まったという即興の恋の唄で、さまざまなバージョンがあります。海外公演団が総出演して毛遊び(野遊び)の様子を演じながらにぎやかに踊ります。

最後は、出演者が舞台から客席へ降りてきて、沖縄の宴や集会には欠かせない即興の手踊り「カチャーシー」が始まりました。舞台と客席とで出演者、観客が入り乱れておもいおもいの身振り手振りでカチャーシーを踊ります。

玉城流・玉扇会特別公演

2006-06-07 19:44:41 | 舞台公演
琉球舞踊の流派のなかでも最も多くの門下生を擁する玉城流の総本家ともいうべき玉城流・玉扇会特別公演の舞台をご紹介します。今回の特別公演は玉城盛義三十三回忌追善の一環として行われるもので、中心演目は先代玉城盛義家元作の歌劇「浦島」、大城立裕氏作の新作組踊「山原船」とで構成されています。玉城秀子家元の許可を得て撮影した画像です。

先代・玉城盛義家元が浦島太郎の物語をモチーフに創作したという歌劇「浦島」、竜宮城のセットが置かれた舞台で色とりどりの衣装で大勢が歌劇仕立ての華やかな芝居を繰り広げます。なお、この「浦島」のストーリーでは、重箱を開けてしまった浦島太郎が老人になってしまうところまでは原作同様ですが、年寄りになってもいじめられているところを再び亀に助けられて、竜宮城へ戻って余生を過ごすというハッピーエンドで終わります。手の込んだ舞台装置と大勢の登場人物、まるでミュージカルのように華やかで楽しい舞台を演出していました。

大城立裕氏作・新作組踊「山原船」、舞台上に山原船の甲板をかたどったセットが設置され、山原船に乗り合わせた登場人物たちのドラマを組踊に仕立てたものです。泊村生まれの船頭が操る薪運びの山原船に最初に乗り込んできたのは、辻に売られていくカマドゥ小と置屋のアンマーでした。親元から引き離されて身売りされていく悲しみに沈むカマドゥ小に「辻は楽しいところだからすぐに慣れる」と言い聞かせて連れて行くアンマー(玉城秀子家元)です。

山原船は航海の途中、漂流している男を見つけて救助します。おりしも廃藩によって行き場を失った琉球の士族たちは島抜けして、密かに中国へ渡ろうとしていたのです。この男も泊村の元士族、脱藩する途中で遭難したものでした。

奇妙な組み合わせの四人が乗り合わせた山原船に、今度は脱藩者を捜索しているヤマトゥ警察の船が接舷して乗り込んできました。横暴に振る舞うヤマトゥ警察の役人は脱藩者を激しく責め立てたばかりでなく、お上に逆らう者はことごとく召し捕ろうとします。あまりの傍若無人ぶりに腹を据えかねた船頭は思いあまって、役人を海に投げ込んでしまいます。

残った捌理たちは船頭に同情を示しつつも、役人殺しの大罪は見逃すことはできないと船頭を捕縛しようとしますが、それまで黙っていた脱藩者・阿佐地親雲上は船頭が罪を犯したのは自分のせいだと船頭をかばいます。それを聞いた置屋のアンマーも金目当てにカマドゥ小を身売りさせようとしていた我が身を恥じ、役人たちもまた彼らの真剣な訴えかけに心を動かされて、すべてを見逃すことにします。かくして、山原船は彼らの新たな希望をのせて、あたかも廃藩置県の時代の波をも乗り越えるかのように与那原を目指して進みます。

第三回・古謝弘子独演会

2006-06-03 18:40:11 | 舞台公演
宮城流朱之会・古謝弘子会主が三回目の独演会を行いました。古謝弘子会主は幼少の頃から宮城美能留氏に師事、芸歴50年を誇る沖縄県伝統舞踊保持者ですが、10年を節目に独演会を開くという、たゆまぬ研鑽を続ける舞踊家の一人です。また、宮城流美能留会・早苗、園美両家元はあいさつ文のなかで、「幼い頃に目にした、師である宮城美能留(父)との稽古風景は、息をのむような緊迫した中で行われていたことが、今でも脳裏に焼き付いています」と紹介しています。
今回は「し情七彩・古典七踊」をテーマにして、古典・女七踊を一人で演じる大舞台です。出演者も、地謡に島袋正雄氏、照喜名朝一氏の人間国宝はじめ、富川盛良氏、新垣万善氏、松田健八氏、前川朝文氏、中村一雄氏、司会と幕間の解説者として上原直彦氏、三隅治雄氏、崎間麗進氏など、めったに見られない豪華な顔ぶれです。なお、舞台の写真はすべて古謝弘子会主の許可を得て撮影したものです。

古典・女七踊りの幕開けは「柳(やなじ)」、花篭を持って登場し、一曲目の中城ハンタ前節にあわせて踊ります。続いて二曲目は、柳節・「柳は緑 花は紅 人は唯情 梅は匂ひ」の歌詞にあわせて、小道具の柳の枝をさっと投げかけるように伸ばします。

古典・女踊りのなかでもよく知られている「かせかけ」ですが、よどみなく流れるような所作はもちろん、なにげないしぐさの一つ一つにも弘子先生ならではの細やかさが表現されています。

この日のために用意された衣装のなかでも一際目をひいた知念績元氏作のフク木染め、黄色地の薄衣装を羽織って「作田(ちくてん)」を踊ります。見るからに涼しげで繊細な黄色地の衣装は、別名団扇踊りともいわれる「作田」を一層引き立てました。

古典・女踊のなかでも最も難度が高いといわれる「諸屯(しゅどん)」、古典舞踊はその所作と様式が厳格に定められていますが、限られているとはいえ、踊り手の個性や思い入れがあらわれるものです。解説者の三隅治雄氏の言を借りれば、「古謝弘子会主の人生の思いが込められている」諸屯です。

「約束やしちょてぃ 二十日夜ぬ月ぬよ 上がるまでぃ わね待たちよ」
結びの演目は創作舞踊「ナークニー汀間当(てぃーまーとぅ)」、師匠・宮城美能留氏が弘子会主のために創作した創作舞踊です。前半部は秘めた恋心を唄う「ナークニー」に合わせて静かに踊り、後半部には賑やかな「汀間当(てぃーまーとぅ)」に合わせて踊る村娘の情熱を表現します。実のところ、古謝弘子先生は動きの激しい雑踊りの娘踊(あんぐわーもーい)をも得意としており、いくつものオハコ芸を持っています。