北中城村の第21回北中城まつり、2日目の演目からいくつかご紹介します。この日もなかなかみることのできない民俗芸能が披露されました。
北中城村・熱田の「フェーヌシマ(南之島)」、もともとは南方の島から伝来した南洋踊りだといわれています。最初は男衆による手踊りですが、その後は棒踊りが始まります。ばさばさのシュロの繊維の被り物をつけた男四人が手には四尺程度の棍棒を持ち、打ち組みの体制から飛び跳ねたりする風変わりな踊りです。県内各地に同様の踊りが伝わっていて、たいていは頭に被り物をつけて飛び跳ねながら棒踊りをするところが共通点のようです。
画像は中城村・伊集の「打花鼓(ターファークー)」、もともとは那覇の久米で演じられていた中国人行列が伊集に伝わったものだということです。先頭の者が棒を持ち、後に続く中国風の衣装と弁髪姿の一団は、まるでスキップするかのように体を大きく左右にひねりながら行進します。きらびやかな衣装とクジャク羽の団扇を持った王様には長大な煙管を肩にかけた袖持ちの少年が付き従っています。中国の客家(ハッカ)にも「花鼓」または「打花鼓」と称する民俗芸能があるということですが、関連についてはわかりません。
行列が勢揃いするなか、最後に登場した太鼓打ちと拍子木打ちは、のけぞるような大げさなしぐさで太鼓と拍子木を叩きます。銅鑼打ちが「ワンシェー」と叫ぶと王様は「マンシャーレー」と声をあわせるようです。ここから地謡が始まり「ワンチン チャシンファー ファウティチャシンファー」という風に聞こえますが、もともと中国語だったためか意味はわかりません。
伊集の「打花鼓(ターファークー)」は、中国の王様風の一行が大道芸を観覧している様子を表現しているのだともいわれています。そのためか、行列一行が登場した後は、画像のように王様一行は奥手に陣取り、手前側では太鼓打ちと拍子木打ち、中国ジンバル打ちの三人が前後に大きく屈伸したり激しく飛び跳ねながらそれぞれの楽器を打ちならす道化風のパフォーマンスを披露します。この三人は王様一行が退場した後も演技を続けることから、彼らがいわゆる「花鼓隊」を表現しているのかもしれません。
北中城村・熱田の「フェーヌシマ(南之島)」、もともとは南方の島から伝来した南洋踊りだといわれています。最初は男衆による手踊りですが、その後は棒踊りが始まります。ばさばさのシュロの繊維の被り物をつけた男四人が手には四尺程度の棍棒を持ち、打ち組みの体制から飛び跳ねたりする風変わりな踊りです。県内各地に同様の踊りが伝わっていて、たいていは頭に被り物をつけて飛び跳ねながら棒踊りをするところが共通点のようです。
画像は中城村・伊集の「打花鼓(ターファークー)」、もともとは那覇の久米で演じられていた中国人行列が伊集に伝わったものだということです。先頭の者が棒を持ち、後に続く中国風の衣装と弁髪姿の一団は、まるでスキップするかのように体を大きく左右にひねりながら行進します。きらびやかな衣装とクジャク羽の団扇を持った王様には長大な煙管を肩にかけた袖持ちの少年が付き従っています。中国の客家(ハッカ)にも「花鼓」または「打花鼓」と称する民俗芸能があるということですが、関連についてはわかりません。
行列が勢揃いするなか、最後に登場した太鼓打ちと拍子木打ちは、のけぞるような大げさなしぐさで太鼓と拍子木を叩きます。銅鑼打ちが「ワンシェー」と叫ぶと王様は「マンシャーレー」と声をあわせるようです。ここから地謡が始まり「ワンチン チャシンファー ファウティチャシンファー」という風に聞こえますが、もともと中国語だったためか意味はわかりません。
伊集の「打花鼓(ターファークー)」は、中国の王様風の一行が大道芸を観覧している様子を表現しているのだともいわれています。そのためか、行列一行が登場した後は、画像のように王様一行は奥手に陣取り、手前側では太鼓打ちと拍子木打ち、中国ジンバル打ちの三人が前後に大きく屈伸したり激しく飛び跳ねながらそれぞれの楽器を打ちならす道化風のパフォーマンスを披露します。この三人は王様一行が退場した後も演技を続けることから、彼らがいわゆる「花鼓隊」を表現しているのかもしれません。