琉球舞踊の流派のなかでも最も多くの門下生を擁する玉城流の総本家ともいうべき玉城流・玉扇会特別公演の舞台をご紹介します。今回の特別公演は玉城盛義三十三回忌追善の一環として行われるもので、中心演目は先代玉城盛義家元作の歌劇「浦島」、大城立裕氏作の新作組踊「山原船」とで構成されています。玉城秀子家元の許可を得て撮影した画像です。
先代・玉城盛義家元が浦島太郎の物語をモチーフに創作したという歌劇「浦島」、竜宮城のセットが置かれた舞台で色とりどりの衣装で大勢が歌劇仕立ての華やかな芝居を繰り広げます。なお、この「浦島」のストーリーでは、重箱を開けてしまった浦島太郎が老人になってしまうところまでは原作同様ですが、年寄りになってもいじめられているところを再び亀に助けられて、竜宮城へ戻って余生を過ごすというハッピーエンドで終わります。手の込んだ舞台装置と大勢の登場人物、まるでミュージカルのように華やかで楽しい舞台を演出していました。
大城立裕氏作・新作組踊「山原船」、舞台上に山原船の甲板をかたどったセットが設置され、山原船に乗り合わせた登場人物たちのドラマを組踊に仕立てたものです。泊村生まれの船頭が操る薪運びの山原船に最初に乗り込んできたのは、辻に売られていくカマドゥ小と置屋のアンマーでした。親元から引き離されて身売りされていく悲しみに沈むカマドゥ小に「辻は楽しいところだからすぐに慣れる」と言い聞かせて連れて行くアンマー(玉城秀子家元)です。
山原船は航海の途中、漂流している男を見つけて救助します。おりしも廃藩によって行き場を失った琉球の士族たちは島抜けして、密かに中国へ渡ろうとしていたのです。この男も泊村の元士族、脱藩する途中で遭難したものでした。
奇妙な組み合わせの四人が乗り合わせた山原船に、今度は脱藩者を捜索しているヤマトゥ警察の船が接舷して乗り込んできました。横暴に振る舞うヤマトゥ警察の役人は脱藩者を激しく責め立てたばかりでなく、お上に逆らう者はことごとく召し捕ろうとします。あまりの傍若無人ぶりに腹を据えかねた船頭は思いあまって、役人を海に投げ込んでしまいます。
残った捌理たちは船頭に同情を示しつつも、役人殺しの大罪は見逃すことはできないと船頭を捕縛しようとしますが、それまで黙っていた脱藩者・阿佐地親雲上は船頭が罪を犯したのは自分のせいだと船頭をかばいます。それを聞いた置屋のアンマーも金目当てにカマドゥ小を身売りさせようとしていた我が身を恥じ、役人たちもまた彼らの真剣な訴えかけに心を動かされて、すべてを見逃すことにします。かくして、山原船は彼らの新たな希望をのせて、あたかも廃藩置県の時代の波をも乗り越えるかのように与那原を目指して進みます。
先代・玉城盛義家元が浦島太郎の物語をモチーフに創作したという歌劇「浦島」、竜宮城のセットが置かれた舞台で色とりどりの衣装で大勢が歌劇仕立ての華やかな芝居を繰り広げます。なお、この「浦島」のストーリーでは、重箱を開けてしまった浦島太郎が老人になってしまうところまでは原作同様ですが、年寄りになってもいじめられているところを再び亀に助けられて、竜宮城へ戻って余生を過ごすというハッピーエンドで終わります。手の込んだ舞台装置と大勢の登場人物、まるでミュージカルのように華やかで楽しい舞台を演出していました。
大城立裕氏作・新作組踊「山原船」、舞台上に山原船の甲板をかたどったセットが設置され、山原船に乗り合わせた登場人物たちのドラマを組踊に仕立てたものです。泊村生まれの船頭が操る薪運びの山原船に最初に乗り込んできたのは、辻に売られていくカマドゥ小と置屋のアンマーでした。親元から引き離されて身売りされていく悲しみに沈むカマドゥ小に「辻は楽しいところだからすぐに慣れる」と言い聞かせて連れて行くアンマー(玉城秀子家元)です。
山原船は航海の途中、漂流している男を見つけて救助します。おりしも廃藩によって行き場を失った琉球の士族たちは島抜けして、密かに中国へ渡ろうとしていたのです。この男も泊村の元士族、脱藩する途中で遭難したものでした。
奇妙な組み合わせの四人が乗り合わせた山原船に、今度は脱藩者を捜索しているヤマトゥ警察の船が接舷して乗り込んできました。横暴に振る舞うヤマトゥ警察の役人は脱藩者を激しく責め立てたばかりでなく、お上に逆らう者はことごとく召し捕ろうとします。あまりの傍若無人ぶりに腹を据えかねた船頭は思いあまって、役人を海に投げ込んでしまいます。
残った捌理たちは船頭に同情を示しつつも、役人殺しの大罪は見逃すことはできないと船頭を捕縛しようとしますが、それまで黙っていた脱藩者・阿佐地親雲上は船頭が罪を犯したのは自分のせいだと船頭をかばいます。それを聞いた置屋のアンマーも金目当てにカマドゥ小を身売りさせようとしていた我が身を恥じ、役人たちもまた彼らの真剣な訴えかけに心を動かされて、すべてを見逃すことにします。かくして、山原船は彼らの新たな希望をのせて、あたかも廃藩置県の時代の波をも乗り越えるかのように与那原を目指して進みます。
舞踊の公演でしたのに、歌劇や組踊が中心演目だったんですね。秀子先生は前々から創作活動に精力的な方としても知られています。
大城立裕氏の新作組踊、おもしろそうな筋書きだなーと思いながら拝読していました。ほの暗さの中にも光を感じさせる作品のようですね。これも時代の要請でしょうか。
前々から、拝見していて、良い写真を見せてくださるのを、ありがたいとおもっておりました。
でも、実際に劇場の客席にいると、あなたの写真撮影の音、うるさいのです!
舞踊などでは、まだ許せますが、せりふの大切な芝居・組踊では、正直迷惑です!!
主催者には了解をとっているとおっしゃいますが、それは著作権・肖像権に対するあなたの保身のためですよね。
観客に対する礼儀・配慮が足りないのではないですか?
結局、このブログも自己満足のためと思われてもしかたないのではないでしょうか?
ついでに申しますと、「山原船」の重要なヤマ場、船頭が役人を撲殺することを、海に投げ込むと表現されてますよね。だいぶニュアンスがちがいます。ここは大事なところだと思いますが・・・。
そういう場合は、主催者か責任者へ申し入れることをお勧めします。
公演の主催者から撮影許可をとるのは、単に肖像権などに対する配慮というだけではなく、大切な舞台と出演者に最大限の敬意と配慮を払うという約束を含めてのことです。ですから、舞台撮影にはすべて比較的静かなデジタルカメラを使用しており、さらに組踊などの場合は防音カバーを装着するなどの工夫をしています。
わたしは沖縄の伝統芸能を誇りに思っております。沖縄の芸能をさらに発展させていくためにも、できるだけ多くの人たちに素晴らしい舞台をみてほしいと思っていますが、見に行くことができない方や見たこともないので今は興味がないという方も多いことでしょう。大げさに言うならば、このブログはこうした人々を含めた観客層の底辺拡大と華やかで素晴らしい舞台のきらめきの一瞬を残しておきたいという思いから製作しています。
また、解説文は、限られた紙面と画像数、組踊などの演目の趣旨を勘案した表現を心がけているつもりです。ご了承ください。
貴ブログの主旨は私も理解しているつもりです。そして、わたしも沖縄芸能をこよなく愛しております。
一方、沖縄の観客のマナーの悪さに対し、なんとかせねばと心傷めているものでもあります。先生はそういうものへの指導をする立場におありです。ですから、率先して舞台の感動を損なうようなことのないよう、範をお示しいただきたいと存じます。
もう、これ以上は申しません。失礼いたしました。
また、玉城秀子先生も観客のみなさまに舞台の感動を損ねることなくご鑑賞いただくことに最も気を使っておられますので、あなたのお申し越しのような苦情があったことはお伝えしておきます。