へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

不思議な少年!! その61の1

2009-10-18 13:44:45 | Weblog

イエス七聖賢に語る。その言葉。イエス、ガリラヤに行く


 本格的真理の敷衍(ふえん)の前に、イエスは先の予定を語る。全ては予定の行動であったのだ。あの時、こうなっていたならば、こうしていたならばとは違う。こうなることははじめから分かっていた。『斯くなれば、斯くなるべしと思えども、斯くなり行くを 我は行くべし』。


 覚悟の出立である。


 こうでなければ、本物とは言えない。覚者と言われる所以は、こうでなくてはならない。


 イエスが、十字架に架かったとき、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ.....。』と言葉を発したとされる。その意味は諸説がある。一つは、ヘブライ語で『神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや』という意味だとする説である。とんでもない下司の勘ぐりであろう。


 覚者は、そんなことを言うはずがない。人間の感覚で、イエスを貶めようとの悪辣な意図を覚える。


 もう一つの説。『エリヤよ、エリヤ、私は行く。迎えに来なさい。』位は、許される範囲だ。おそらく、その実態は誰にも分からないが、少なくともイエスは、成り行きを見通していたことは明らかだ。だれもイエスの心底を分からない中で、一人悠然と旅立ったことは事実である。


20091012_166

 夕日と空:記事に無関係>


20091012_150

<夕日と海:記事に無関係


 本物語りからすると、イエスはモデル造りとして、教化に起ったとある。世界協会にはまだ人類には早かった。そのモデルを打ち立てんとしたとある。これは納得する。


 大多数は、真のイエスの魂の訴えを理解しない。しかし、少数者はモデルによって 魂の王国を見いだす。これも正しい。そして極めつけは、『血肉の間柄なるユダの家は....』ほとんど、イエスを理解していない。そして、未だにイエスを 攻撃している。まことに言い得て居るではないか。



イエス七聖賢に語る。その言葉。イエス、ガリラヤに行く。


 七日の瞑想が過ぎ、イエスは七聖賢と共に坐して言った。


 「生命の歴史は以上の不朽の根本原理によく要約されて居る。これは聖都の建つべき七つの丘である。これは世界協会の建つべき七つの確かな礎石である。


 わたしに命ぜられた仕事に着手するに当り、その道の困難なことは、十分覚悟して居る。わが飲むべき盃はにがく、人間の性質として畏縮(しりごみ)するのは当然であろう。しかし、わたしは聖気の意志にわたしの意志を没入した。それ故、わたしは聖気によって語り行えと命ぜられるま,まに行動するつもりで出て行く。


 わが言葉はわが言葉ではない。それはわたしがその聖意(みこころ)を行う方の言葉である。


 人間は世界教会を理解するほど、まだ神聖な思想に進んで居らない。それ故、神がわたしに命じ給うことは、世界協会樹立ではない。わたしは単にモデル造りである。将来建つべき教会の模型を造るために遣わされた者である。このモデルはその時代の人々が理解できるものである。


 モデル造りとしてのわたしの仕事は、わたしの郷里にある。その場所で、愛は神の子なること、わたしはその愛を示すために来たという根本原理にもとづいて、モデル教会を建てよう。


 そして低い身分の人々の中から、十二の不朽の思想を代表する十二人を選ぼう。これがモデル教会であろう。血肉の間柄なるユダの家は、世界に対するわたしの使命を殆んど分かるまい。


 彼らはわたしを蹴とばし、わたしの仕事をけいべつし、不正にもわたしを責め、わたしをしばりつけ、わたしを有罪と定めて、十字架上で殺すであろう。しかし、人々は決して真理を殺すことはできない。放逐(ほうちく)されても、一層強くなって戻って来よう。これは真理が世界を克服するからである。


 モデル教会は生きながらえよう。よしや肉の人が、利己主義のために、その神聖な律法、象徴的儀式形式をけがし、単に外面の見せかけとなしても、少数者はこれによって魂の王国を見出すだろう。


 そして、一層よき時代が来て、世界教会は七つの根本原理の上に立ち、規定の模型に従って、打ち建てられよう。


 時が来た。わたしはエルサレムに行く。そして、生ける信仰の力と、あなたがたが与えてくれた力によって、また、われらの父神なる神の聖名(みな)によって、魂の王国が七つの丘の上に建てられよう。

→61の2に続く



不思議な少年!! その61の2

2009-10-18 13:44:13 | Weblog

→61の1より続き

 そして、地上すべての民衆、種族、言語が集まって来よう。


 平和の君が権力の座にすわり、その時三位一体の神が最大最高の者となろう。」


 聖賢一同はアーメンと言った。


 かくてイエスは旅路に着き、幾日かの後、エルサレムに達し、それからガリラヤのわが家に辿りついた。



【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】

            

  第十二部 世界の七聖賢の評議会 


第六十章 イエス七聖賢に語る。その言葉。イエス、ガリラヤに行く。


1)七日の瞑想が過ぎ、イエスは七聖賢と共に坐して言った。


2)「生命の歴史は以上の不朽の根本原理によく要約されて居る。これは聖都の建つべき七つの丘である。


3)これは世界協会の建つべき七つの確かな礎石である。


4)わたしに命ぜられた仕事に着手するに当り、その道の困難なことは、十分覚悟して居る。わが飲むべき盃はにがく、人間の性質として畏縮(しりごみ)するのは当然であろう。


5)しかし、わたしは聖気の意志にわたしの意志を没入した。それ故、わたしは聖気によって語り行えと命ぜられるま,まに行動するつもりで出て行く。


6)わが言葉はわが言葉ではない。それはわたしがその聖意(みこころ)を行う方の言葉である。


7)人間は世界教会を理解するほど、まだ神聖な思想に進んで居らない。それ故、神がわたしに命じ給うことは、世界協会樹立ではない。


8)わたしは単にモデル造りである。将来建つべき教会の模型を造るために遣わされた者である。このモデルはその時代の人々が理解できるものである。


9)モデル造りとしてのわたしの仕事は、わたしの郷里にある。その場所で、愛は神の子なること、わたしはその愛を示すために来たという根本原理にもとづいて、モデル教会を建てよう。


10)そして低い身分の人々の中から、十二の不朽の思想を代表する十二人を選ぼう。これがモデル教会であろう。


11)血肉の間柄なるユダの家は、世界に対するわたしの使命を殆んど分かるまい。


12)彼らはわたしを蹴とばし、わたしの仕事をけいべつし、不正にもわたしを責め、わたしをしばりつけ、わたしを有罪と定めて、十字架上で殺すであろう。


13)しかし、人々は決して真理を殺すことはできない。放逐(ほうちく)されても、一層強くなって戻って来よう。これは真理が世界を克服するからである。


14)モデル教会は生きながらえよう。よしや肉の人が、利己主義のために、その神聖な律法、象徴的儀式形式をけがし、単に外面の見せかけとなしても、少数者はこれによって魂の王国を見出すだろう。


15)そして、一層よき時代が来て、世界教会は七つの根本原理の上に立ち、規定の模型に従って、打ち建てられよう。


16)時が来た。わたしはエルサレムに行く。そして、生ける信仰の力と、あなたがたが与えてくれた力によって、


17)また、われらの父神なる神の聖名(みな)によって、魂の王国が七つの丘の上に建てられよう。


18)そして、地上すべての民衆、種族、言語が集まって来よう。


19)平和の君が権力の座にすわり、その時三位一体の神が最大最高の者となろう。」


20)聖賢一同はアーメンと言った。


21)かくてイエスは旅路に着き、幾日かの後、エルサレムに達し、それからガリラヤのわが家に辿りついた。



【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XII


LAMED


The Council of the Seven Sages of the World


CHAPTER 60

Jesus addresses the seven sages. The address. Jesus goes to Galilee.



THE seven days of silence passed and Jesus, sitting with the sages said:

2) The history of life is well condensed in these immortal postulates. These are the seven hills on which the holy city shall be built.

3) These are the seven sure foundation stones on which the Universal Church shall stand.

4) In taking up the work assigned for me to do I am full conscious of the perils of the way; the cup will be a bitter one to drink and human nature well might shrink.

5) But I have lost my will in that of Holy Breath, and so I go my way to speak and act as I am moved to speak and act by Holy Breath.

6) The words I speak are not my own; they are the words of him whose will I do.

7) Man is not far enough advanced in sacred thought to comprehend the Universal Church, and so the work that God has given me to do is not the building of that Church.

8) I am a model maker, sent to make a pattern of the Church that is to be – a pattern that the age may comprehend.

9) My task as model builder lies within my native land, and there, upon the postulate that Love is son of God, that I am come to manifest that Love, the Model Church will stand.

10) And from the men of low estate I will select twelve men, who represent the twelve immortal thoughts; and these will be the Model Church.

11) The house of Judah, my own kindred in the flesh, will comprehend but little of my mission to the world.

12) And they will spurn me, scorn my work, accuse me falsely, bind me, take me to the judgment seat of carnal men who will convict and slay me on the cross.

13) But men can never slay the truth; though banished it will come again in greater power; for truth will subjugate the world.

14) The Model Church will live. Though carnal man will prostitute its sacred laws, symbolic rites and forms, for selfish ends, and make it but an outward show, the few will find through it the kingdom of the soul.

15) And when the better age shall come the Universal Church will stand upon the seven postulates, and will be built according to the pattern given.

16) The time has come; I go my way unto Jerusalem, and by the power of living faith, and by the strength that you have given.

17) And in the name of God, our Father-God, the kingdom of the soul shall be established on the seven hills.

18) And all the peoples, tribes and tongues of earth shall enter in.

19) The Prince of Peace will take his seat upon the throne of power; the Triune God will then be All in All.

20) And all the sages said,
Amen.

21) And Jesus went his way, and after many days, he reached Jerusalem; and thenhe sought his home in Galilee.

【続く】


暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!④の1

2009-10-18 13:27:14 | Weblog

謎が多い日本航空123機墜落事故
しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!
それが一変するかも知れない.......。
渾身の情報が発信されつつある!! 第4弾


JAL123 Departure 12/8/1985
http://www.youtube.com/watch?v=jJP8NXi1tQs


 元記事とは、順不同となっている。順番にご覧いただきたい方は、元記事(新) 日本の黒い霧に直接、行って頂くことをお勧めする。本ブログでは、元記事に忠実に転載するが、転載以外の部分は注目すべき観点を付け加えてある。

 その中でも、真偽は明らかではないが、目撃証言とするコメントがある。これも注目しなければならない重要観点が伺える。

20060304143848

《緊迫交信記録と航路》


《転載貼り付け

目撃証言 (とおりすがり)
2009-09-20 09:50:34

 あの日のことを昨日のように思い出します。あの機体後部の窓際にすわっていらした赤い服の、あの若い女性はだれだったのでしょう。


超 低空で尾根を越えてきた見覚えのない垂直尾翼の小さなスマートな機体が私の目の前を通り過ぎるとき。ほとんどの窓がブラインドをおろしていて外が見えない ようになっていた。その数少ない開いている窓に座っていた赤い服の彼女。私が手を振ると座席から立ち上がり両手の平でガラス窓をバンバンとたたいて何か
叫んでいた。


そ の娘の叫びが助けてといっているように見えたので不思議に思った。生き残った方たちの中で尾根すれすれに飛び越えていくとき自衛隊の車を見たと証言されて いた人がいたと思うがそれはたぶん私のことではないだろうか。自衛隊がジープの後ろにトレーラーを引いていることがあるが、私はそうした格好でそこにい
た。


  その機体は私たちの視界に入ってくるまで異常なエンジンの使い方をしていた。飛行機の場合空ぶかしはしない。ましてレシプロならいざ知らずジェットエンジ ンはそんな使い方は命取りだと認識していた。ゴーヒューンゴーヒューンとエンジンの出力を細かに上げ下げしている。私の目の前を通過するときはフルスロットルになっていた。


 フラップをかなり下げ主脚を出してまるで着陸態勢のようだった。当然その地域には空港が無く着陸はできないのだが、その機体は上昇をはじめた。まるでレシプロ機のように頭をあまり上げずに上昇していく。その飛び方は安定していて異常は特に見えな
い。さっきまでのエンジンの使い方はなんだったんだろうと思った。


 その機体の後ろ姿を見ていた。私の記憶にない垂直尾翼の形。きれいな三角形をした垂直尾翼の頂上付近に後ろにわずかにパイプのようなものが出ていてラジコン機にあるようなアンテナコードのようなものがたなびいていた。そしてその後ろに長くテールコーンが伸びている。つまり垂直尾翼が通常より前に付いているように見えた。


  私は自分で操縦桿を握って離着陸をしたことのある者だ。飛行機には普通の人より詳しい。その私に見たことのない新型機と目に映った。外見的に何処か破壊さ れているような場所は見えない。唯一私の認識では垂直尾翼の面積が小さいように思った。それだけだった。その後の報道で隔壁破壊によって機体後部に大きな 損傷をおっていたと報道されたため私はあの機体が123便だったとは思わなかった。


 その機は上昇していったあと右に小さく旋回して佐久方面へ機首を向け急降下していった。そのあと山の向こうへ行ってしまった。派手な操縦をするなあとこのへんは訓練空域か何かなのかなと思った。また例のヒューンゴーが始まり遠ざかっていく音だけが響いていた。その時、今度はやはり低速でエンジン出力を絞って山肌を縫うように一機のF4ファントムが飛来した。


そ の機は樹木のわずか数メートル上を神業のような飛行技術で飛び越えていく。嘘だろう私は叫んでいた。そのF4は確かに自衛隊機だと思う。日の丸が付いてい たと思うのだが。記憶が確かでない。その混乱の原因が彼のかぶっていた派手めのヘルメットだ。あのトップガンのかぶるようなヘルメットと目があったときの 感じだ。外人だったかもしれないような印象がある。彼はこちらをちらっと見た。


 わずか数秒間の出来事だがあまりのことに印象深く記憶に残っている。そのF4はフル実戦装備の機体であった。見慣れたサイドワインダーだけでなく四角い箱断面の大型ミサイルも装備していたように思う。それがさっきの大型機を追うように飛んでいったのだ。まるでその飛び方はレーダーを回避して隠密に飛行する訓練をしているかのようだった。

 
私 はその“訓練機”達が飛び去った方向をじっと見ていました。もうあのジェット音は聞こえません。その刹那。ピカッと閃光が、そして弧を描いて二本のリング が広がりバシリっと鋭い直雷のような音。その後二三秒してドーンゴロゴロゴロと遠雷のような音が広がりえっなんだこの雷。まだこちらは雲もなく雷雨にはな りそうもないのだが。でも山の天気は変わりやすいので早めに撤退しようと車に戻った。


  目的地に向かう途中あのニュースを聞いたのだが、さっきの飛行機は違うよねとそうだよあれはチャンと飛んでいたじゃない。そう、素人目には何の異常もなく コントロールされて無事に飛んでいる飛行機。そのものだったのです。テレビの報道のように後部がめちゃめちゃに壊れてバレルロールという激しいゆれに翻弄 されたコントロールできない飛行機にはみじんも見えなかった。



  飛行機には詳しいはずの私が、新型機かと思ったのは、その破壊されたはずの垂直尾翼がナイフで切ったように真っ直ぐにきれいに切り取られた形をしていたか らだ。まるで初めからそうした形で作られたようにしか見えなかったのです。それだけではありません。散々報道されたあの隔壁破壊を感じさせるテールコーン 廻りの破壊が全く見えなかったのだ。ですから二〇年後になって発売されたあの本を読むまで、あの機体が123便であった事に気づきませんでした。


 それからあらゆる資料を調べ、ある事実に気付きました。その結論は今回は陳べずにこの目撃事実のみをお知らせいたします。あの赤い服の娘さんはどうなったのでしょう。あの死体がそうだったのでしょうか。頭頂部を前後に割られ脳味噌が吹き飛んだあの死体。膝と左手を地面に付け右手を挙げて助けを呼ぶような姿のまま。蝋人形のように固まって生きているかのように見えたあの女性。座った姿のままやはり頭頂部を吹き飛ばされた男性。彼らの死に方の意味は。》



 このコメント氏は、元自衛隊員であったろうと思われる。いまもそうかも知れない? もう退役している方と考える方が自然だ。しかも、航空機操縦経験者のようである。陸上か航空自衛隊かは不明だ。


 だから、目撃が正鵠を得ている。


  窓のブラインドが下げられていたかどうかは明らかではないが、落合由美さん(日航アテンダント)の証言と符合していて、信憑性が高い。


 やはり、何らかの事情で、生還できる状況が、そうではない方向に誘導せられた可能性がある。


今回は、前回の「闇夜に蠢くもの(4)」で紹介したM氏の証言について、検証を加えたいと思います。読者の皆様においては、証言の内容が内容だけに、恐ろしい想像は避けられないとは思いますが、ここは何とか冷静になって、事実を見つめていただきたくお願い申し上げます。


なお、事故から24年経ってなぜ今頃こんな証言が飛び出してきたのかについては、事故後にM氏が長期に渡って海外赴任していたこと、最近まで大病を患っていたことなど、公の場で証言を行える状況になかったことを、本人に代わりお伝えしておきます。


■墜落現場は早期に特定されていた


M 氏の証言からはっきりわかること、その一つは墜落現場がかなり早い段階で特定されていたことでしょう。墜落地点の同定については、M氏からCB無線網が利 用可能であったとの指摘がありましたが、それ以前に、本人がそうしたように電話で周辺町村に確認するという、最もシンプルな方法で墜落地点をかなり小範
囲に絞ることができたのです。まさか、互いに連絡を取り合っている現地の警察や役所がそんなことに気がつかなかったとは言い訳できないでしょう。


もっと直接的な証拠として、12日の21時頃の上空の航空機(戦闘機およびヘリコプター)の動きから、自衛隊も墜落地点を正確に把握していたのは明らかで
す。その音を頼りに現地に乗り込んだM氏の行動そのものが、その事実を正確に物語っています。また、白バイ隊の動きからは、警察へ墜落地点の情報が既に伝わっていた疑いが極めて濃厚と判断されます。


そして、「自衛隊に救助活動の主導権を渡した」とされるアントヌッチ証言も、この点では見事に裏付けられたように見えます。

→④の2に続く



暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!④の2

2009-10-18 13:26:23 | Weblog

→④の1より続き


■それは本当に自衛隊だったのか?


M 氏の証言、および上記までの説明で、これまで私は、無条件に闇夜に飛行する航空機や現場で活動する人々を「自衛隊」と決めつけて話を進めてきました。しか し、何を以ってそれが「自衛隊」だと特定できるのでしょうか?それを説明する一つの要素が、アントヌッチ証言です。アントヌッチ氏が上官の命令で自衛隊に 道を譲ったという言説以外には、彼らが自衛隊だと決め付ける理由はありません。


「M氏も自衛隊と認めたのだから、『自衛隊』なんじゃないのか?」と反論が聞 こえてきそうですが、それについては、よく考えてみてください。例えば自衛隊の制服を着ている人物をあなたは無条件に自衛隊員と認めるでしょうか?確かに 普通はそう思うでしょう、しかしその人物の所属を聞き出して部隊に確認しない限り、当人が自衛隊員だと断定する理由は何一つありません。


角田四郎氏の著書「疑惑-JAL123便墜落事故」の中にも、公式記録上 は事故処理に参加していない「神奈川県警」の詰所が存在したり、しかもその詰所の中の備品に「○○師団」等々、警察の所属名とは縁もゆかりもない記名の物 品があったなど、公務関係者の偽装を疑う記述がありました。ですから、M氏が見たという「自衛隊」という人々についても疑いを持って検証する必要がありま す。


■自衛隊の装備品ではない「アーミーナイフ」


M氏の証言について、国際軍事評論家のB氏に特に「自衛隊」員の装備について伺ったところ、次のような回答を頂きました。


・大型アーミーナイフは当時の自衛隊の装備品ではない。単純な武器のようでいて

 非常に高価なものなので、当時はまだ正式採用されていなかったはずだ。

・暗視スコープについても、当時の自衛隊レンジャー部隊に少量あったかないか

 だったはずなので、100人分も用意できたとは考えにくい。

・どちらも在日米軍の装備としてなら可能性は高い


つ まり、装備品をみる限り、「自衛隊」である可能性は少なく在日米軍の疑いがあるとの見解です。しかし、証言の中で、M氏が日本語で違和感なく活動中の人物 と会話している場面もあるので、おそらく相手も日本人の外見をして、流暢に(普通に)日本語を話していたと考えられます。その点をB氏にさらに尋ねたと
ころ


・公にはされていないが、在日米軍には在日朝鮮人を集めた部隊が存在する

・通常は基地のガードなどを担当するが、優秀な人物を集めて急遽200人位の部隊を編成するなど造作もないことだ

・日本語もできるし、外見は日本人と区別がつかない。逆にそれが狙い目である

・ガード任務において白人が日本人を撃てば国際問題だし、日本人によるガードでは

 相手が日本人の時に発砲できない可能性がある。そこで、在日の彼らが上手く利用

 される。このような処置は駐留する国の事情に合わせ当然のように行われている

・在韓米軍内にも韓国籍だけでなく在日朝鮮人籍の人員が採用されており、彼らは

 朝鮮半島の緊張の中で実戦を経験している戦闘プロ集団だ


と、外見からは日本人と全く区別のつかない、米軍所属の朝鮮人部隊が投入された可能性について強く指摘を受けました(*1)。つまり自衛隊の偽装をした米軍兵士が事故現場に投入された可能性があるということです。


*1本論では在日韓国・朝鮮人社会に属する人々を非難・中傷する意図は一 切ありません。彼らの中には私の良き友人もいます。しかし、世の中には痛々しいまでの現実があることも事実です。この点をどうか冷静にご理解ください。い ずれは、このような人の区別を口にしなくてよい世界が訪れることを私自身が強く望んで
います。


■呻き声はなぜ消えたのか?


証 言に「アーミーナイフ」についての言及があったせいか、ネット上では早速、生存者がアーミーナイフで刺殺されたのだと断定している書き込みが見られます。 何を隠そう、証言を最初に聞いたとき、私も同じ想像をしました。しかし、ナイフで致命傷を与えたとしたら、その傷跡は鮮明に残るはずで、飯塚訓氏の「墜落 遺体」を読めばわかるように、群馬県藤岡市でとられた厳重かつ多数の医療関係者が関る検死体制の下では、医師の目に留まらないはずがありません。切り口を 焼き付けたりするなど、傷跡を目立たないように処置する方法もあったでしょうが、M氏が滞在していた1時間程度の短い時間で、4~50人もの生存者に対し てそこまでやれたとは到底考えられません。


M氏が 目撃したのはプロの軍人です。ナイフを用いなくとも、人を殺害する方法はいくらでもあったはずです。こんなことを考えるのは本当に不愉快なのですが、 1990年代、長野県の松本市、東京の都心で発生したあのテロ事件を思い出してください。小さな布に沁み込ませ、生存者の口元に当てるだけで絶命を誘う薬 液など、この人たちとっては当たり前の道具であったはずです。藤岡市での検死体制も、一人一人に化学的分析を施している余裕はなかったようですし、そのよ うな事態を想定すらしていなかったでしょう。


M氏 は指先を失った男性について印象深く語っておられましたが、後から聞かされたとはいえ、絶対に助かると思っていた人がその時この世から失われてしまったこ とに大きなショックを受けていたようでした。M氏ならずとも、この証言を聞かされる我々の全てが、おそらく大きな衝撃を覚えたに違いありません。その手法 は定かではありませんが、生存者が絶命に至った何かがそこでは起きていた、そのこと自体は間違いのない事実であります。


な お、仮に何らかの殺害行為がこの時行われたとしたならば、その実行者が多くの搭乗者と同じ日本国籍を持つ自衛隊員であったとは認めにくい話です。それは自 衛隊員の良心に期待しての推測ではなく、作戦を指示する立場として、同民族人に対して殺害行為を命令するリスクは、隊員の心変わりによる叛乱など、あまり に高いからです(*2)。その意味でも外国人部隊の登用は可能性の高い推測と思われます。


*2 これは自衛隊機が日航機を撃墜したとする「自衛隊撃墜説」にも当てはまるロジックです


■自衛隊も無関係ではない


M 氏が現場に到着して約1時間後、次の部隊が現れます。M氏は彼らの履物に注目しています。最初に目撃した「隊員」が急峻な山岳地を見据えた短靴であったの に、その時から、山で不便なブーツの着用になっています。また、この時刻近辺からは自衛隊が公式に救助に入ったことになっており、自衛隊が自分たちを
「自衛隊」と名乗っても全く問題のないタイミングです。これだけでは、必ずしも断定できませんが、大きな装備の違い、公式発表のできるタイミングであることを考え合わせれば、2次部隊が本物の「自衛隊」であった可能性は高いでしょう。


そ こからさらに類推すると、M氏が最初に見た1次部隊と2次部隊の間で現場の引継ぎが行われたのは間違いありません。だとすれば、両者の間で緊密な連携が取 れていなければならないことになります。「疑惑-JAL123便墜落事故」の中には、この後に入った公務関係者の偽装を疑う記述もあるのですが、仮に2次 部隊、あるいはそれ以降の投入部隊が偽装集団であったとしても、それを防衛庁が「自衛隊」であると認めていたのであれば、やはり「最初の集団」と「自衛隊 (防衛庁)」の間に何かの「示し合わせ」があったことを否定するものではありません。


簡潔に述べましょう。この救出劇は、米軍在日朝鮮人部隊と自衛隊による共同行為であった可能性が高いと考えられるのです


■再びアントヌッチ証言を問う


「自 衛隊に救助の道を譲った」とするアントヌッチ証言。そして「自衛隊に偽装」した米軍外国人部隊(ただし推定)。この両者に共通するものは、仮に疑惑の目が 救助の初動体制に向けられたり、M氏のような目撃者が現れたとしても、その矛先が自衛隊(当時の防衛庁)もしくは日本国政府に向くよう、つまり何か問題が 起きても国内問題の範疇として処理されるよう巧妙に計算された仕掛けと読み解くことが可能です。


また、「自衛隊撃墜説を斬る(1)」で取り上げた、自衛隊の対空ミサイルが原因とするマスコミへの匿名電話と考え合わせると(この情報の間違いは既に指摘済み)、やはり、疑惑の拡大範囲を最悪でも国内問題に留め、在日米軍への波及を抑え込もうする、関係者の意図が見え隠れします。


以上、断定するのはまだ早いかもしれませんが、少なくとも在日米軍が関与し、情報工作を行っている可能性を頭の片隅に置きつつ、事実を検証していく必要がありそうです。


■今なお残る軍夫制度


偽装自衛隊員に関連して、「軍夫(ぐんぷ)」が関与した可能性についても触れておきます。


軍 夫とは、辞書によると「軍隊に所属して雑役に従う人夫」とありますが、この軍夫の存在は先の世界大戦の敗戦とともに、日本では死語になったと思われるかも しれません。しかし、B氏によると、戦後から今に至るまで、軍夫と同じ役割を担う組織が存在し続けているとのことです。彼らは、多くの死体が出る事故現 場、放射能など有害物質の汚染が危惧される現場での危険作業など、いわゆる重度の汚れ仕事を公務員に代わって行う組織なのです。


公式の軍夫制度がない以上、それに取って代わる組織は、・在日・土建関係 者(現場職)など、どちらかというと日本社会で被差別的な扱いをうける人々で、なおかつ、国の重要機密に関る可能性があることから、秘密を守れる組織、別 の言い方をすれば統率者の下、組織として統制することが可能な一団であるこ
とが求められます(*3)。


要するに、角田氏が接触した謎の神奈川県警機動隊員、謎の日航技術者、ひ いては、現場で救助活動を行っていた自衛隊員と思わしき人々の中に、このような軍夫が紛れ込んでいた可能性があるということです。この説で問題になるの は、彼らがいったい何の目的で、そして誰の指揮下で、出動を要請されたのかという点
でしょう。これについては、追って論証していく予定です。


*3 改めてお断りしますが、差別的な意味で彼らを名指しする意図は全くありません。このような差別的関係を生むのは、彼らの問題ではなく、それを作り出す日本社会そのもの、私たち一般の日本人が責を負うべき問題であると私は考えます。


■回収物は何だったのか?


M 氏の証言で次に重要なのは、謎の部隊が回収していた物、それも人命よりも優先される物とは何か?という点になります。それは、マスコミ、日本国民、そして 壮絶な機体の破壊から無事生き延びることができた生存者にすら絶対見られてはいけない物であるはずです。ここでは、この証言部分が、次回からスタートする 「そしてミサイルは発射された」での論証を裏付ける重要な資料であるとだけ、お伝えしておきましょう。


ET IN LEGE VESTRA SCRIPTUM EST QUIA DUORUM HOMINUM TESTIMONIUM VERUM EST


管理者【転載終了】