風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

4月2日  今日、紹介する本は『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』 遥 洋子著作です。

2005年04月02日 | ☆ひやしんすの☆好きな本の紹介♪


ジェンダーについては何も知らない。無知である。2001年にT市の情報発信のための編集講座を受講したときに初めて聞いた言葉だ。講師のHaneko先生が解説してくれた言葉なのだ。だが、一筋縄でいく言葉ではなかった。この言葉は女らしさと言う言葉の対極にあるものなのだが、学ぶには、おどろおどろしすぎた。私の性格がシャイであるせいもある。この性格がまた問題ありとみなされそうである。トホホ・・・。

だがしかし、私の性格はもちろん男女平等論である。
アアーしかし、女というものは体裁を繕う。あるいは、古くからの常識というものをシッカリと身に躾られておりますると口吻で物をしゃべる方が多い。特に、この近畿では。

私の同年輩の女性たちはこういう風に話すのである。キチントした正社員の身分であり、高給を取っているのにもかかわらず。
「でも、やっぱり最終的には夫の判断にしたがうわ。お父ちゃんに任せておけば間違いないものねえ。絶対にね。なんやかんやといっても男やしねえ」
オヤオヤ。なんだか鼻高々である。アタシって古風で、見かけによらず奥ゆかしくナンテ良識的でしょうとひけらかしているようである。そして賛成といいあう女性たちは、「やっぱり男の判断に間違いないわよねえ」と笑いさざめくのであった。アタシは一人で鼻白んでいた。アァ~、男女平等について度々、会社の研修を受けているこの人々なのにねえ。

だけど、「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」の本にはびっくりした。ウーム。私なんぞ、メッタメッタ切りである。アホの見本と思われかねない。

遥洋子は、フェミニズムという学問の最先端を、ダンボール3箱分の文献を1年で読むというハードなスケジュールのなか、学ぶ。そして私に学ぶということのエッセンスを味あわせてくれた。そういう時間を取った彼女はナント幸福なのだろう。積読主義の私には、これからもフェミニズムの膨大な資料を読むことはないだろう。けれど、その滴(しずく)をゴクンと飲み込めて幸せな気分にさせてくれたのであった。アー、学生したいなあ。勉強したい。昔、そんなこと思ったかしらん?