高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

HEROES

2005-06-29 | Weblog
1977年ごろ、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップは、ベルリンに滞在していた。その頃のベルリンは、アーティストたちにとって、20世紀初頭に起こった「ドイツ表現主義」が見直されていた時期だと聞いている。
この年の2月、3月、デヴィッドはベルリンのスタジオでイギーの「イディオット」のレコーディングに協力して、イギリス・ツアーにも同行した。
そして、4月22日、イギーのプロモーションのため、イギーとともに来日した。
彼らが滞在した2週間は、私にとっても、すばらしく楽しいものだった。

鋤田さんが、デヴィッドとイギーの撮影をすることになった。
前日、私はデヴィッドに電話をして、「明日の撮影の衣装はどうする?」と訊ねた。
「とにかく、黒の革のブルゾンを何着か集めておいて」
「それだけでいいの?」
「いいよ」とのことだった。
次の日、ホテルに迎えにいった私は、道順に関してちょっぴり、工夫した。
彼らが目につけそうなところを、回り道にならない程度に入れよう。
デヴィッド、イギー、そしてパーソナル・マネージャーのココさんを乗せて、ホテル(多分、ニューオータニ)を出発した。
原宿スタジオに着くちょっと前、タクシーに現在のウラハラを通ってもらった。
案の定、デヴィッドがイギーに「ここらへんて、何か風情があるね」などと話しかけ、イギーも頷いた。
その辺は、下町風の住宅街で、私が住んでいる静雲アパートもあった。ごくまれに若者の店がぽつんとあったりして、私の好きな場所でもあり、きっとふたりも好きだろうな、という空気感があった。
こんなエピソードは彼らの記憶には決して留まっていないだろうが、私にとっては、キラキラと輝き続ける小さな一粒、一粒なのだ。

スタジオではふたりともリラックスしていた。
私はおやつに有機栽培の不ぞろいな苺を篭にいれて用意していた。デヴィッドは篭ごとそれを持って、イギーに「ワイルド・ストロベリーだよ。うまいよ、これ」と勧めた。
アシスタントの中村のんがデヴィッドにサインを頼んだ。
「名前は?」
「のん」
デヴィッドは、レコード・ジャケットに咄嗟に「to Oui or Non?」とユーモラスに書いてから、サインした。


撮影が始まる前に、デヴィッドは上半身裸になり、革のブルゾンを面白い具合に、2着重ねて着た。
「ヤッコ、これどう?」
「かっこいい!」
「じゃ、これは?」
ブルゾンを素肌に後ろ前に着る。それも超かっこいい。5、6着用意したブルゾンだけで、楽しそうにいろんな着方をしてみせてくれた。
そして最後にきめてあたりまえのブルゾンをあたりまえに着て、撮影に入った。
デヴィッドは、連続していろんなポーズをとった。
そのなかの一枚が、後に有名な「ヒーローズ」のレコード・ジャケットになり、批評家の方々がそれを「ドイツ表現主義」の影響の現われ」などと評しているのを読んで、はじめてそういう意図があったのかと思った。私は何も知らなかったのだ。
イギーの番になった。
鋤田さんは、丸い穴の開いたボードを用意していた。イギーはそこから顔を出して撮影した。
これは後に「パーティ」のレコード・ジャケットになった。

それから約20年後の96年に来日した時、このスタジオの隣にある「樅の木ハウス」というレストランで食事をした。
ココさんから電話があり、「メンバーにべジタリアンが多いの」というので、ここを手配して待っていたのだった。
タクシー2台に分乗して道路を挟んだ向こう側にタクシーは止まった。
いちばん最初に元気に降りてきたのは、デヴィッドだった。
彼が来るとは聞いてなかったので、私ははしゃいだ。
「デヴィッド!ここよ!ほら、このスタジオでヒーローズを撮ったのよ!」
私はレストランに入る前に、彼にスタジオの入り口を指し示した。