寛斎さんのロンドンのショウは彼の希望通り、キングスロードの「GREAT TRADING CAMPANY」という大きなスーベニール・ショップで行われたが、その翌年、写真家の鋤田さんとTレックスの撮影に来たときも、ここで働いている若い店員さんたちとは友情が持続していた。
ある日、チケット売り場の女の子に声をかけられた。「ヤッコ、こんどアリス・クーパーのパーフォーマンスがあるから、ぜひ観た方がいいわよ」
彼女はチケット2枚のほか、プレス・パスも2枚手配してくれた。後で、鋤田さんに「アリス・クーパーって知ってますか?」と聞くと、「もちろん!」とのことで、大変な愚問であることもわかった。本当に、私は何も知らずにお手伝いをしていたのだ。
当日、鋤田さんと私は、ギグ(会場)に向かった。私もカメラマンのパスではいったので、ヤシカエレクトロ35で1本だけ撮った。そのなかのブレブレの1枚が残っている。(これしか残っていないということは、他の写真はもっとひどかったのだろう)
鋤田さんは、夢中でシャッターを押し続けていた。きっとこのときのものは鋤田さんの未発表の膨大なミュージシャンの写真とともに、いつか展覧会で発表されるか、写真集になることを期待している。私はといえば、びっくりしたまま、パーフォーマンスを観続けた。断頭台がでてきたり、首を吊ったり、大蛇を身体に這わせたり、なんとも前衛演劇っぽくて、寺山修司の世界を連想した。
マーク・ボランもデヴィッド・ボウイも、アリス・クーパーのパーフォーマンスから、たくさんのインスピレーションを受けたことだろう、と感じた。
いちばん前のポジションだったので、彼が観客席に投げるものは、一番先に私にぶつかってきた。
背後にいる女の子たちの嬌声のなか、彼のニット帽をゲットした。彼の頭髪つきのニット帽は、日本に帰ってきてから、ファンだという「ニュー・ミュージック・マガジン」の編集のかたに差し上げた。
写真 (撮影 Yacco) 1973年 ロンドン
ある日、チケット売り場の女の子に声をかけられた。「ヤッコ、こんどアリス・クーパーのパーフォーマンスがあるから、ぜひ観た方がいいわよ」
彼女はチケット2枚のほか、プレス・パスも2枚手配してくれた。後で、鋤田さんに「アリス・クーパーって知ってますか?」と聞くと、「もちろん!」とのことで、大変な愚問であることもわかった。本当に、私は何も知らずにお手伝いをしていたのだ。
当日、鋤田さんと私は、ギグ(会場)に向かった。私もカメラマンのパスではいったので、ヤシカエレクトロ35で1本だけ撮った。そのなかのブレブレの1枚が残っている。(これしか残っていないということは、他の写真はもっとひどかったのだろう)
鋤田さんは、夢中でシャッターを押し続けていた。きっとこのときのものは鋤田さんの未発表の膨大なミュージシャンの写真とともに、いつか展覧会で発表されるか、写真集になることを期待している。私はといえば、びっくりしたまま、パーフォーマンスを観続けた。断頭台がでてきたり、首を吊ったり、大蛇を身体に這わせたり、なんとも前衛演劇っぽくて、寺山修司の世界を連想した。
マーク・ボランもデヴィッド・ボウイも、アリス・クーパーのパーフォーマンスから、たくさんのインスピレーションを受けたことだろう、と感じた。
いちばん前のポジションだったので、彼が観客席に投げるものは、一番先に私にぶつかってきた。
背後にいる女の子たちの嬌声のなか、彼のニット帽をゲットした。彼の頭髪つきのニット帽は、日本に帰ってきてから、ファンだという「ニュー・ミュージック・マガジン」の編集のかたに差し上げた。
写真 (撮影 Yacco) 1973年 ロンドン