高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

国際的食生活

2005-01-27 | Weblog
セントラル・アパートは、ほぼクリエイターで占められていた。初期には、小澤征爾さん、画家の岩田専太郎さんが住んでいらしたそうだ。私はヤマハの仕事で、中村紘子さんのお部屋を訪ねたことがある。上手な歯医者さんもいたが、彼も歯の芸術家で、気分が乗るまでは、1時間でも2時間でも、患者の前に現れない。予約の時間があるはずなのに、実際には何の役にも立たなかった。
待っている間に眠ってしまうと、いつの間にか毛布が掛けられていた。ある人が、先生の好きなケーキを持参したら、「ありがとう」といったまま、また部屋に引っ込んでしまい、30分ぐらい経ってから、ひげに白いクリームをつけて現れたそうだ。それでも、患者たちはへこたれず、彼の腕前を賞賛して通った。

カメラマンの事務所はたくさんあった。
杉木直也さん、吉田大朋さん、林宏樹さん、小西海彦さん、浅井慎平さん、操上和美さん、鋤田正義さん、などなど。
私は、あちこちの部屋に遊びに行き、仕事もいただいた。

一階には個性的な食べ物屋が軒を連ねていた。
明治通り沿いの「フランクス」のことは以前書いたが、その奥はフィリピン料理だった。私はスジ肉を柔らかく煮て、スープとともにごはんにザーッとかけていただく一皿料理ばかり食べていた。多分それがいちばん安かったのだろう。
入り口をはさんでフランクスの向いには、「ネスパ」という、おいしいハンバーグの店、その奥が「杉の子」だった。
「杉の子」は宝塚出身の姉妹のお店で、私が「優し・おばさん」「忙し・おばさん」というニックネームで呼んでいた女性たちが切り盛りしていた。
「杉の子」はスタンドだけの席で、鉄板料理がメインだが、お魚も煮物もおいしかった。宇野亜喜良さんはよくオカズを残した。私が隣に座った場合は私が頂いた。静かに食べている渥美清さんのオカズを頂戴したこともある。
表参道側には、「レオン」の隣に「福禄寿」があった。坦々麺が私のご馳走で、ときどき杏仁豆腐がオマケについてきた。そんなとき、店を見回すと、中国語のアクセントが残った日本語の社長さんが、笑顔で合図してくれた。
素朴な「うちのごはん」か「学食」しか知らなかったわたしの食生活は一気に国際的になった。そんなに高いものを食べられるはずはないから、ずいぶんとご馳走にもなっていたのだろう。

写真 (撮影者・不明) セントラル・アパートのエレベーター。