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「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの山登り:2015年山菜採り

2015年05月17日 | 日帰りの山登り



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 4月29日(昭和の日)、毎年恒例の山菜採りに、山菜師匠山縣さんと出かけました。家の6歳児も参加しました。首都圏では、一般の登山路脇に、山菜がいっぱいなどということは、まずありません。山菜採りは、多くがヤブの中を歩く山歩きとなります。

 ちょっと前に、このブログでも紹介したように、科学博物館付属の植物園へ行きました。山菜採りでは、その植物園に植えられていた植物を、自然の中で実際に観察できる山登りでもあります。

 この時期、どの山に出かけても、足下に咲いている花と言えば、スミレを筆頭に挙げる方が多いでしょう。下の画像は、スミレニリンソウホウチャクソウですが、此処彼処に咲いていました。









 この時期に目指す山菜は、主にミツバ・モミジガサ(シドケ)・ハナイカダ、そして山椒の若葉と花です。タラの芽ヤブレガサ・ワラビ・ゼンマイなども採れます。もう一つ代表的な山菜のコシアブラは、今回のエリアでは見かけません。


(山椒の若葉と花)


(モミジガサ)



 ハナイカダは、上の画像のように、葉の上に花を付ける面白い植物です。花は、やがて食用にできる実となります。

 山の一つの尾根の中腹にある、ちょっとした平坦地で、恒例になっている採ったばかりの山菜を使った宴を行いました。近年凝っているのが、山菜と鶏肉を使ったすき焼き風の鍋。昔、御法度の動物の肉を、農具の鋤(すき)を使って秘密裏に食べたことが由来の「すき焼き」です。山中の自然に囲まれて食べる「山菜すき焼き」は、そのシチュエイションも加味され絶品です。入れた鶏肉の種類は、「せせり」と「ぼんじり」です。

 作るのと食べるのに集中してしまって、写真を撮るのを忘れました! 今年はそれ以外に、焼き鳥も試してみました。酒の肴に、山中で食べる焼き鳥も、意外性があって美味しかったです。

 下の画像は、山菜を採った後、一般登山路の下りを撮ったものです。けれども、山菜が採れる場所は、こうした登山路ではなく、藪をかき分けて歩く場所ですから、6才児にとってはちょっとキツイ山登りとなりました。また、そうした場所に生えている植物には刺のあるものも多く、子どもを連れて行く場合は注意が必要です。









 山に咲いているチゴユリ(上)とクサイチゴ(下)と、麓に咲いていたシャガの花です。そうした春の草花と出会えるのも、山菜採りの楽しみといえるでしょう。

 自然に親しむことは、それが人的な手がかなり入った里山だったとしても、とても大切な経験となります。そうしたことを軽視する教師がいるようですが、特に子どもにとっては、大切な行為だと私は思っています。

 大人にとっても、私のように週一回の貴重な休みを山登りに費やすことは、精神的にも体力的にもリフレッシュでき、自然に親しむ喜びを経験することができます。







 採ってきた山椒の若葉花山椒を帰宅後料理しました。いずれも、葉柄などを取り除く下ごしらえの手間は相当大変です。けれどもその労力の割に、採ってきた量に比べ、出来上がった佃煮の量はとても少なくなります。

 出来あがった佃煮を熱々のご飯の上にのせて口に含めば、山椒の香りが口いっぱいに広がります。また、この葉山椒の佃煮を、ちょっと贅沢に抹茶茶碗を用いたお茶漬けに用いると、その美味しさが一層際立ちます。私にとってこのお茶漬けは、季節を味わう至福の楽しみとなっています。

 できることなら、陶芸に興味のない方でもちょっと贅沢に、かつ出費できる範囲で抹茶茶碗を購入し、どんぶりで食べていたお茶漬けを、その茶碗を用いて食べてほしいですね。身銭を切って買った焼き物は、不思議と長持ちするものです。必ず一味違った、病みつきになる美味しさを発見することでしょう。機会があったらお試しください。・・・無論のこと、使うときに出して、食べ終わったら即自分で洗い、自己責任で丁寧に仕舞い込むことは当然です。






 出来上がった砂糖少なめの山椒の若葉の佃煮(上)と、花山椒の佃煮(下)です。

 


マッキーの山登り:大山詣で

2015年05月07日 | 日帰りの山登り



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 5月2日(土)ゴールデンウイークの休日、丹沢山系の東の外れにある信仰の山・大山へ6歳児と出かけました。6才児にとっては、先週の日曜日に金時山に登り、29日の昭和の日には、山菜採りに出かけましたので、一週間で3回の山登りとなりました。

 丹沢山系へ出かけるときには、丹沢大山フリーパスを使うと交通費が若干節約できます。新宿からですと、丹沢大山フリーパスBキップは、大人1530円・子ども760円です。キップの代金には、往復の小田急線の電車とエリア内のバスの運賃が含まれます。

 新宿・小田急線小田原行き急行7時11分発の電車に乗りました。秦野駅に8時21分に到着し、ヤビツ峠行き8時55分発のバスに乗車。大変混んでいましたが、早めに列に並んだので座席に座ることができました。多くの乗客は、蓑毛で下車しましたので、私たちと同様に大山を目指す登山者でした。

 ヤビツ峠から大山への山登りは、小さな子ども連れには最適なレベルです。本来ヤビツ峠は、丹沢表尾根縦走のスタート地点となります。丹沢表尾根縦走は、二十代前半から数えきれない回数行っています。私は、山登りに変化を求めるというより、気に入った場所にはワンパターンと言われるほど繰り返し出かけるタイプです。

 ヤビツ峠にバスが到着すると、下の画像のように唇が蒼白になった6歳児が、ベンチにへたり込みました。乗り物に弱いので、九十九折りの山道を縫って走るバスに酔ってしまったのです。






 気を取り直して、9時40分ヤビツ峠を出発。このコースは、最後の上りを除けば、比較的なだらかな上りとなります。

 実はゴールデンウイークに、私は西丹沢から入り丹沢山系を1泊2日で歩く計画を立てていました。けれども、3月下旬の山登りで右足を痛めてしまい、その影響で未だに完全に足を伸ばすことができません。そこで今年のゴールデンウイークは、6歳児に付き合うことに決めた訳です。それは、6歳児が私の山登りに付き合ったと言った方が正確なのですが。






 林の中に整備された山道を、木々を渡る爽快な風を深呼吸しながら歩きました。新緑の淡い緑が目に優しく、足下には、随所にすみれの花が咲いていました。金時山に比べれば、このルートは、6歳児にも安心して歩くことができます。






 東の方角が開けた場所では、丹沢山系の山々が見渡せ、その向こうには富士山が望まれました。

 「どうして富士山は白いの?」 「標高が高いから、頂上付近には遅くまで雪が残っているんだよ。」

 ケーブル駅と蓑毛からの登山路が合流すると登山者の数が増え、そこからしばらく急坂が続きます。あともう少し!



 11時15分、大山の山頂に到着。絶好の登山日和でしたので、頂上は登山者でごった返していました。山頂の奥の院に参拝し、陽射しがちょっときついベンチでランチタイム。






 6歳児は、下りはケーブルカーだと聞いていたので、頂上からケーブルに乗れるものと勘違いしていました。残念でした! 12時15分、次の目的地の見晴台ヘ出発しました。






 見晴台までは、ひたすら下りが続きます。常緑樹・新緑の木々、そしてまだ芽吹いたばかりの冬枯れた姿の木々、様々な色合いの樹木が美しい季節でした。

 13時35分、見晴台に到着。東屋の中で小休止しました。持ってきたオレンジを食べると、元気を取り戻した6歳児。13時50分、再びケーブルカー駅に向けて歩き始めました。今度は、自分が先に歩かないと気が済まないらしく、一人でどんどんと先に行ってしまいます。崖側は、丁寧にロープが張られていますので、安心して歩くことができます。






 見晴台から下社への登山路に二つの見どころがあります。一つは、注連縄が掛けられた杉の御神木です。山の神神社(大山祇神)を祀っていた御神木と、他の木が下部で結合しているので、「絆の木」とも呼ばれているそうです。

 二つ目は、巨樹から少し下った所にある、「二重滝(ふたえのたき)」です。名の通り二段の滝で、清涼感ある風情を醸し出していました。






 14時23分、ケーブルカー駅がある阿夫利神社下社に到着しました。この時期は既にソフトクリームの季節。達成感を味わっていると言うよりも、ソフトクリームを味わっていた6歳児でした。
 
 列ぶこともなくケーブルカーに乗り、下車後は階段の左右に建てられたお土産屋を見ながら下りました。階段下のバス停に着くと、間もなく伊勢原駅行きのバスが到着しました。

 今回の大山詣では、標準的な歩程時間より多くかかりましたが、6才児にとってちょっと頑張った運動量の山登りでした。

【標準歩程]
ヤビツ峠~1時間20分~大山山頂~50分~見晴台~20分~阿夫利神社下社



マッキーの山登り:金時登山口バス停・矢倉沢峠・金時山・長尾山・乙女峠・乙女峠バス停

2015年04月30日 | 日帰りの山登り



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 4月26日(日)、6歳児と山登りに出かけました。高尾山以外では、この子にとって始めての本格的な山登りです。行き先は、芦ノ湖などの箱根山カルデラを囲む外輪山で、最も高い山である金時山(きんときやま)です。標高は1,212mあり、日本三百名山となっています。故郷が足柄山の金太郎伝説が、金時山の名の由来となっています。

 私は5時起き、6歳児は5時半起きして、早朝6時に自宅を出ました。金時登山口までは、西新宿から出ている小田急高速バスを使います。発車時刻は7時30分ですが、予約しておいた切符を出発の30分前までに購入する必要があります。そこで、7時前には新宿に到着している必要がありました。

 乗車したバスは満席状態で、定刻に新宿を出発しました。乗客の多くは登山者で、その人たちの大部分が乙女峠バス停で下車しましたので、金時山に登られる方達なのでしょう。私たちは、乙女峠バス停を金時山下山路のゴールとしていました。私達が下車する金時登山口バス停には、若干の遅れで到着しました。

 9時45分、バス停から山に向かって舗装された小道を歩き出しました。10分程度で、道の右側に金時山登山口があり、ここから本格的な山登りがスタートしました。



 登山路は深くえぐられていて、登山路ができた時から、雨になれば登山路が水路になって、侵食されてきたことが分かります。6歳児は、初め滑りやすい路面に気を取られて、進むのに時間がかかりましたが、歩くにつれてだんだんと登り方に慣れてきました。

 子どもの歩き方を観察すると、比較的つま先立った歩き方をします。この歩き方ですとフリクションが小さくなるので、滑りやすい場所では転ぶことが多いようです。また高齢者は、バタ足で歩くので登りは転ぶことが少ないのですが、下りでは転倒に対して注意するため、腰が引けて重心が後ろに残るので、逆にスリップし易くなります。

 登山路を囲む林から、ウグイスなどの野鳥の鳴き声が、絶え間なく聞こえてきます。野鳥たちの鳴き声の競演を楽しみながらの登りでした。






 10時23分、矢倉沢峠に到着。その峠にある「うぐいす茶屋」のベンチで一服しました。山小屋のおじさんから、串に刺したこんにゃくの味噌田楽を、6歳児はいただきました。

 「がんばってね」、小屋のおじさんの激励の声を背に、6歳児は再び登り始めました。周囲の景観は今までと一変し、登山路の両脇は箱根笹で覆われ、長閑な山道が続きます。






 この山の登り口から、スミレの花が登山路脇に咲いています。それ以外の花は、比較的少ない印象を受けます。今年は、宝塚まで出かけて、音楽学校の文化祭(教え子が出演)を観たので、スミレの花を見ると、自然と「すみれの花咲く頃」を口ずさんでしまいます。






 金時山は周辺から見ると、頂上がこんもりと盛り上がって見えます。頂上付近がとんがっているので、最後はちょっときつい登りとなります。金時山は、かつて巨大な火山でしたが、山体崩壊によって現在の姿になったそうです。



 11時25分、金時山頂上に到着。山頂からの展望は素晴らしく、6歳児が昨年の11月に行った箱根近辺が、手に取るように鳥瞰できました。金太郎が使っていた重たい斧に手を添えて、金時山登頂の記念写真を撮りました。

 その近くのベンチに腰を下ろし、ランチタイムにしました。ところが、多くの登山者がその斧を持って記念写真を撮るのを見て、6歳児は「私も斧を持って、記念写真を撮りたい!」と言い出しました。そこで6歳児にとっては相当重たい斧を持って、再び記念写真を撮りました。

 身長よりも低い斧が、一つ下の画像では、頭より上に写っていますので、手に持っていることが分かるでしょう。ヨイショと持ち上げて、金太郎に成りきっている6歳児でした。

 金時山山頂は、秀麗富士山の眺望が見事なはずでした。しかし、今回は地平線上に雲があり、残念ながら雲の先にほんのちょっと富士山の頭が覗いている程度でした。









 昼食も済んだ12時5分、乙女峠バス停に向けて、下山を開始しました。登りでも説明した通り、金時山の山頂付近が円錐形に盛り上がっているために、下山路の最初は、6歳児がちょっと怖がる急勾配がしばらく続きます。

 そのきつい下りは、やがてなだらかになり、その後は気持ちの良い尾根道となります。13時7分、広場のような長尾山を通過しました。






 13時30分、乙女峠に到着。乙女峠バス停は、乙女峠と無論異なり、峠から下りで30分ほどの場所です。乙女峠のベンチからは、箱根方向が大きく開けていて、綺麗な景色を楽しむことができます。緊張していて、カメラを撮る余裕の無かった6歳児が、さっそくカメラをリュックから取り出して、パチリ。

 私は数年前、山菜師匠の山縣さんと、乙女峠バス停から、乙女峠・丸山・長尾峠・展望公園・湖尻峠・三国山・山伏峠と芦ノ湖の西側の稜線を通り、箱根町まで歩きました。その稜線を、乙女峠から一望することができます。箱根方向と反対側に、富士山を眺望することが目的の、乙女峠の展望台があります。今回は残念ながら、金時山山頂と同様に、雲の上にちょっと頭を出した程度の富士山でした。






 乙女峠から乙女峠バス停までの登山路脇に、下の画像の白い花が多数咲いていました。葉はハート型で、カタバミの葉に良く似ています。帰宅後にネットで調べると、やはりミヤマカタバミというカタバミの一種であることが分かりました。



 14時10分、乙女峠バス停があるふじみ茶屋に到着しました。さっそく金太郎と熊が相撲を取っているブロンズ像にタッチしました。金太郎のお尻を撫でると、良い子に育つと言う伝承を信じて、6歳児もお尻を撫で撫でしました。 「この子、パンツ履いていないね!」 確かに!

 こどもの日が近いので、大きな鯉のぼりが青空を泳いでいました。一番左の子どもの鯉が、元気に泳ぎ過ぎて、横に張ったロープに絡むアクシデント。6歳児が大変心配してやきもきしていると、やがて絡んだ鯉は、強風にあおられて再び元気に泳ぎだし、6歳児をほっとさせました。






 帰りの高速バスは、14時46分の定刻よりも、20分近く遅れて到着しました。6歳児は、乗車してしばらくすると、疲れたのか心地よく熟睡してしまいました。バスは一部の区間渋滞しましたが、さほどの遅れも無く、新宿西口に到着しました。

 6歳児の初めての本格的な山登りは、こうして無事終了しました。

【標準的な歩程】
金時登山口~30分~矢倉沢峠~20分~金時神社分岐~20分~金時山~35分~長尾山~15分~乙女峠~30分~乙女峠バス停 
(6歳児と一緒ですと、およそ1.5倍ほどの時間を要します。小さい子どもと一緒の山登りは、時間に余裕を持った計画が必要です。事故防止にも、急かさないことが大切でしょう。)



マッキーの山登り:檜峰神社~釈迦ヶ岳・府駒山・日尻山・子仏山~立沢上バス停

2015年04月08日 | 日帰りの山登り



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 3月28日(土)、講習会合間の休日に、山菜師匠山縣さんと、彼が所属している新ハイの仲間であり、私とも顔見知りの河野さんと山へ出かけました。今回は、河野さんがリーダーを務める新ハイ山行の下見が目的で、行き先は甲斐の山でした。

 新ハイとは、月刊誌「新ハイキング」を出版する会社が運営する全国規模の山とハイキングのクラブです。新人レベルから上達者レベルまで、様々な山登りをしているクラブです。

 一時期、私も会員でしたが、山行の日程が合わなかったので、今では参加していません。河野さんとは、新ハイの山行でご一緒したことがありました。



 勝沼ぶどう郷に8時7分に着く電車に乗るために、4時起きして5時過ぎに家を出ました。上の画像のように、まだ外は夜明け前でした。都営新宿線から市ヶ谷でJRに乗り換え高尾で甲府行に再び乗り換えて勝沼ぶどう郷駅まで向かいました。勝沼の駅前からタクシーを使い檜峰神社(ひみねじんじゃ)まで入ります。タクシー代は5500円程度でした。

 かつては勝沼駅でしたが、20年ほど前から勝沼ぶどう郷駅と改称されました。タクシーの運転手は、ぶどうおよびワイン関連の観光客で生計を立てているので、冬場の売り上げはさっぱりだと言っていました。勝沼にぶどう郷を加えた名称にした理由がよくわかります。この駅は、数年に一回程度の割合で、私は訪れています。




 8時45分に着いた檜峰神社は、釈迦ヶ岳の頂上に山宮がありますが、その麓の山中に檜峰神社本殿、拝殿、社務所があります。また「ブッポウソウ」と鳴く鳥がコノハズクであることが、初めて確認された地でもあります。この時の話は、私が小学生の時の国語の教科書に載っていたので、今でもその内容を記憶しています。「ここだったのか。」そんな思いで、石碑を確認しました。



 この神社から釈迦ケ岳の登山路は始まります。神社に参拝した後、9時に出発。道はしっかりとしていて、順調に高度を上げることができます。ただし、今回は途中から地面が凍結していて、その上に落ち葉が被さった状態なので、スリップしないよう神経を使いました。下の画像の奥に円錐形に見える山が釈迦ケ岳です。



 この登りで、私に思わぬアクシデントが!

 
スリップした時に、右足の腱を痛めてしまいました。2か月ほど前に横断歩道を渡っている時に、信号が点滅し始めたのでダッシュしたのですが、その時にプッツン的に筋肉の腱を痛めてしまいました。その結果、教室までびっこを引きながら歩く羽目に。


 けれども、この時の痛みはほぼ完治して、今回の山行の一週間前の大岳山の山登り(このブログでも紹介)でも、まったく痛みはありませんでした。その治ったと思った古傷を、ひどく悪化させてしまったスリップでした。

 上腿部と下腿部が一定の角度までは良いのですが、それ以上伸びると患部に激しい痛みが走ります。2人からちょっと遅れて慎重に歩かざるを得ませんでした。



 釈迦ヶ岳山頂手前は爽快な岩場が続き、周囲の眺望も嬉しいほど開けてきます。・・・と言いたいところですが、そうした周囲の状況と裏腹に、私の足の状態は悪化の一途をたどりました。






 11時27分、釈迦ヶ岳山頂(1641m)に到着。頂上は思いの外賑わっていました。この山の頂に立てば、富士山とその周囲の眺望の素晴らしさを納得できるでしょう。特に南アルプスの山々は端から端まで全体像を把握できます。頂上の富士山方向は、すっぱりと切り立っているので、遮るものがありません。その岩場で昼食をとりました。






 2体のお地蔵さんは、秀麗富士山を借景に、釈迦ケ岳山頂に佇んでいます。拝めばご利益がありそうです。12時8分、釈迦ケ岳山頂を出発。

 釈迦ケ岳に続く稜線上にある府駒山(1562m)を、12時45分に通過。そこからしばらく行った地点で、一般登山路を離れ、左手の支脈を下り始めました。無論、多くの人が通るわけではないパリエーションルートは、地図とコンパスを使ったルートファインディングが重要となります。
 





 冬枯れた木々の枝先の青空は、陽光の輝きが春の到来を感じさせ、ひこうき雲が気持よく真っ直ぐに伸びていきました。河野さんからもらった、足の貼り薬と痛み止めの飲み薬で、ちょっぴり楽になりました。流石に、山登りのグループリーダーの装備は、準備万端調っていました。



 このルートは、かなりキツイ下り斜面が続きます。稜線上を歩きますが、特に道が付けられているわけではありません。こうした道無き道は、もうしばらくすると藪となり、歩きづらくなる場所です。14時12分、稜線のピーク・日尻山(1474m)を通過。ほとんど登山者に歩かれていない、とても気分の良い尾根道も随所にあり、そこを麓に向かって下りました。






 15時20分、最後のピーク・子仏山(1164m)に到着。ここからしばらく歩いて鉄塔をすぎれば、麓まで後僅かでした。山登りでは、すべての責任を自分で負うことが重要で、他の人に迷惑をかけることは慎むべきです。そんな思いで、時折激痛の走る足をかばいながら、足の運びを慎重に取って必死で二人を追って下りました。






 16時10分、バス路線がある新田の集落に降り立ちました。石和温泉入口行きのバスは行ったばかりで、だいぶ時間がありました。そこで「立沢上」バス停までしばらく歩いて下り、そこでバスを待つ間、ウイスキーのお湯割りで乾杯。私の足の怪我がなければ、間に合ったバスでしたので、ここでご両人に謝罪しました。

 帰りの途中、石和温泉駅近くの天狗街にある「鳥勢」という焼き鳥屋で、ちょっと一杯やることに。そのお店は、特別な入手ルートがある馬刺しと馬レバーがお勧め。生の牛レバーはご法度ですが、馬の生レバーはOKだそうです。

 石和温泉駅を19時1分発の特急かいじに乗って帰路に着きました。



 帰宅してネットの図を参考に患部の部位を特定すると、内側側副靭帯の損傷ではないかと思われます。一週間後の両足首の画像ですが、右足が浮腫んで左右の足の大きさが異なっています。右足の下腿部を指で押すと、へこんだ状態になります。

 春期講習期間中でしたので、医者に診てもらっていませんが、行ってもせいぜい湿布薬と痛み止めの薬を出す程度でしょう。こんなに長期間浮腫が続く足の怪我は始めてです。月末には再び山登りができるよう治したいと思っています。

 このような怪我は、老化現象の一つと言ってもよいでしょう。ご同輩の皆様、特に山登り時には、くれぐれも注意したいものです。




 足の画像でブログを終わるのもイマイチ。講習のために、日頃より早く7時過ぎに家を出て、早朝の駅前公園で撮った満開の桜とユキヤナギの画像で、気分転換してください。


マッキーの山登り:春の大岳山(山酒会月例登山)

2015年03月31日 | 日帰りの山登り



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 3月21日(土)、久しぶりに山酒会の山登りに参加しました。山酒会は、産経新聞退職者を中心とした山と酒を愛好する人たちで構成された会です。リーダー的な存在の田中さんの関係で、私も会員ですが、日程が合わずに月例の山登りには最近あまり参加していません。

 今回は、日程が祝日でしたので、急遽参加することに。行き先は、奥多摩の大岳山。山酒会の発足当初は、現職だった会員は、後期高齢者も多くなり、そのことを田中さんに話すと、「そうだねえ、末期高齢者だね。」と謙遜していました。




 9時40分頂上駅を出発。御嶽神社の参道周辺には、街中ではすっかり散った黄色い蝋梅の花がまだまだ元気に咲いていました。御嶽神社の山門をくぐり、階段を上がって道標に従って大岳山へ向かいます。



 今年、誕生日を迎えれば後期高齢者となる田中さんですが、脳溢血やら足の骨折やらで、若干体力が衰えてきていますが、下の画像のように先頭を歩き会員を先導していました。






高度を上げるに従い、ガスが濃くなり、霧雨も振り出しました。



 12時20分、大岳山山頂に到着。本来は展望の利く頂上ですが、今回はガスの中。霧雨が時折風にふんわりと舞っていましたので、雪状態の粒も混ざっているようでした。



 早速、頂上でランチタイム。本格的なレインウエアを着こむほどではない霧雨が降っていましたが、熱燗も振る舞われるなど、やはり高齢になっても山酒会健在といったところでしょうか。



13時、下山開始。ちょっと下るとガスは晴れてきました。ケーブル駅に戻る前に、御嶽神社に参拝することに。14時25分、社殿に到着。



 御嶽神社(みたけじんじゃ)は、蔵王権現を祭った神社。金峰神社・金峯神社(きんぶ、きんぷ、きんぽう、みたけ)とも言い、総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂。

 覚明行者、普寛行者が創始した木曽御嶽信仰に基づく神社は、上記と区別して「おんたけじんじゃ」と呼ばれ、起源は蔵王権現信仰であるが別の信仰として分化しているのだそうです。

 この神社の裏手に、御岳山の山頂があります。そのことを私は知っていましたが、今まで立ち入ることができないと思っていました。ところが、田中さんの指摘で、本殿を左に回って進むと、奥に社殿が幾つかあり、最奥に下の画像の左下のように御岳山山頂を示す石碑が設置されていました。



 帰りに河辺にある日帰り温泉「梅の湯」に立ち寄りました。私以外は初めての場所なので、私が案内役に。入浴後、山酒会ですから、梅の湯に併設されているお店で宴の始まりです。ただ、以前に比べて酒量はグッと減ったように感じます。

 山酒会のメールに、時折訃報が混じるようになりましたが、会員の皆様には、いつまでも元気で山とお酒を愛し続けてほしいと願っています。


【標準的な歩程】
ケーブル山頂駅~2時間40分~大岳山~2時間~ケーブル山頂駅



マッキーの山登り:橋場バス停~大霧山・広町・美の山~和銅黒谷駅

2015年03月03日 | 日帰りの山登り



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 先月2月15日(日)、東秩父地方の低山を歩いてきました。2月中旬といえば、2月4日の立春も過ぎて、日差しは少しずつ春めきつつありますが、気温の方はまだまだ冬といえるでしょう。

 今回のコースは、ちょっと変則的なコースです。そのコース選定は、国土地理院の地図にびっしりと描かれた赤線のせいです。地図上に、登山路あるいは非登山路を歩いた足跡をトレースする趣味が、私の山菜師匠Y氏にあります。

 今回の大霧山美の山(蓑山)は、登ったことがあるそうですが、その山をつなぐ赤線を引きたいといった至極単純な理由で、今回のコースは決まったようです。

 池袋から東武東上線の電車に乗り、小川町で下車。小川町駅は、外秩父七峰縦走ハイキングに参加した時以来です。小川町から白石車庫行のバスに乗りました。大きな2つの団体登山客があり、バスは超満員。臨時バスも出ました。

 橋場バス停で下車。9時40分、まずは粥仁田峠を目指し歩き始めました。途中近道の山道を除けば、舗装された林道歩きになります。天気予報よりも天候は悪く、午前中は時々ちらちらと雪が舞いましたが、午後からは青空も覗く日和となりました。この時期は、風が吹けば真冬の寒さ、無風の陽だまりでは春の陽気を感じます。



 大霧山手前は、雪が若干凍結した場所もありましたが、アイゼンを付けるような状態ではありません。冷たい北風が吹く大霧山に11時15分到着。展望が開けていましたが、天候が悪く視界がいまいち。

 昼食をとるには寒い場所ということで、短時間で再び同じ道を下り、粥仁田峠にある東屋まで戻りました。この峠は、かつて荷駄を運ぶ街道の要衝であったそうです。粥新田峠とも書くようです。






 粥仁田峠で昼食をとった後、一旦山里に下り、再度登って次の目的地美の山を目指し出発しました。峠から広町への下りを、一般林道を避けて行く予定でした。けれども、結局は放牧場や広大なポピー畑の中を通る車道を歩き、一般路と高原牧場入口で合流。

 清水が湧いている稲荷神社を経て、郵便局横を左折して美の山への登りを歩き続けました。美の山と表記されていますが、かつては蓑山と書かれていたようです。無論、蓑山よりも美の山の方が遥かに印象としては良いのですが、「みのやま」と呼ばれた歴史は失われてしまいます。






 美の山周辺は公園として整備され、植えられたソシンロウバイの花が満開でした。14時33分に山頂に到着。展望が開けた山頂からは、大霧山・愛宕山・皇鈴山稜線が一望できます。しばし休憩した後、和銅黒谷駅へ向けて下り始めました。夕方の霞の中に、一際綺麗な山容の武甲山が望まれました。シルエットだけですと、石灰岩採掘で痛々しい山肌は見えず、武甲山は立派に見えました。






 駅へ向かう途中にある、和銅露天掘り跡に立ち寄りました。とても大きい和同開珎のモニュメントがありました。しかし、露天掘り跡は意外と小規模で、ちょと見では、がけ崩れかとも見えるほどでした。






 聖神社は、和銅関連の由緒ある寺で、金運アップにご利益ありそうです。和銅露天掘り跡を見た後は、この神社に立ち寄ったら良いでしょう。私が小学生の時は和同開珎を、「わどうかいほう」と習いましたが、最近では「わどうかいちん」と読むのが普通です。また、我が国初の通貨は、近年の研究により富本銭であることに、現在はなっています。



 和銅露天掘り跡・聖神社を経由して、午後4時に和銅黒谷駅に着きました。お花茶屋駅で下車し、西武秩父駅で乗り継ぎ、池袋で一杯やって帰路につきました。

 ハードな上り下りはないルートでしたが、6時間弱の山歩きとなりました。冬の陽だまりハイクに適したルートと言えます。



【標準歩程】
橋場バス停~1.00~粥仁田峠~0.40~大霧山~0.30~粥仁田峠~1.20~上の平郵便局~1.00~美の山~0.50和銅露天掘り跡~0.15~聖神社~0.10~黒谷駅(計5時間45分)



マッキーの山登り:シモバシラの華

2015年02月03日 | 日帰りの山登り



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 大寒間近の1月18日(日)、「あるもの」に出会うために、6歳児を連れて高尾山へ出かけました。それは、高尾山から城山へ向かう登山路に、寒いこの時期の早朝に見ることができます。

 6歳児は、高尾山口から高尾山へ歩いて登り、下りはロープウエイを使った山登りを数回経験しています。しかし、今回のルートで歩くと、高尾山から城山を経由して、下りは小仏峠から小仏バス停まで歩かなければなりません。ちょっと6歳児にはきついので、登りはロープウエイを使い薬王院を経由し、まず高尾山の山頂まで歩くことにしました。






 高尾山の山頂は、ビジターセンターを含め茶店も改修工事中です。上のフェンスやブルーシートは、そうした理由で写っています。

 山頂から、珍しいほど綺麗な富士山が展望出来ました。温度が低く乾燥しているこの時期に、まれに見られる秀麗富士山です。



 今回の目的は、シモバシラの華を見ることでした。下の画像のように、地面に柱状に出来たシモバシラではありません。ただ、6歳児にとっては、地面の霜柱が珍しく、触ったり踏んだりして楽しんでいました。霜柱が融けた場所では、買ってあげたばかりの「瞬足」(シューズ)は、泥だらけ。

 今回の「シモバシラの華」は、氷の華です。シモバシラというシソ科の植物の枯れた茎から出てくる水分が、冷気で凍結し独特な氷の華となったもののことです。

【シモバシラ】・・・
ウィキペディアより
 
シソ科の多年草であり、枯れた茎に霜柱が出来ることで知られる。シモバシラの茎は冬になると枯れてしまうが、根はその後長い間活動を続けるため、枯れた茎の道管に水が吸い上げられ続ける。そして、外気温が氷点下になると、道管内の水が凍って、茎から氷柱ができる。この現象は、地中の根が凍るまで続く。

 このシモバシラの華が成長すると、相当立派な華となります。これを見るためには、最も寒い時期の早朝に出かける必要があります。大変なことですが、シモバシラの華に出会えれば、その苦労のご褒美と言えるでしょう。今回のシモバシラの華の成長は、イマイチでしたが、目的は達成できました。







 城山に、だいぶ早い時間に到着し、早めの昼食をとりました。カップヌードルの中と小の2個の必要湯量は、テルモス500mLでちょうどまかなえます。少食な6歳児は、「ミニヌードルに負けないでね!」という私の言葉に反応し、頑張って完食しました。これだけでは不足だろうと、おにぎりも準備していたのですが・・・。

 「ねえ、こっちへ来て! 綺麗なところがあるから!」

 「食事が終わってからね。」

 6歳児が発見した綺麗なところとは、茶店のテーブルが並んでいるところから、少し下の芝生のスロープ。そこからは、富士山が綺麗に望めますし、日当たりの良い長閑な場所です。そこでシートを広げて、二人でしばらく寝ころんでいました。

 真っ青な空、寝ころんだ足下の方に目を向ければ輪郭が明瞭な富士山、陽光は思いの外暖かく快適な気分!

 富士山は、日本で最も高い山で、3776mの高さだよ。寝ころびながら6歳児に、富士山の高さを覚えさせました



 初めて高尾山でシモバシラを見たのは、だいぶ昔のことです。その時は、熱心に写真を撮っている人の横を、無関心風に通り過ぎました。それは、タイサンボクの白い大きな花のような雪の形状でした。それがシモバシラの氷の華であることを、私はあとで知りました。

 あの時通り過ぎた氷の華ほど出来の良いものには、それ以来お目にかかったことはありません。私の心の中で、その氷の華は成長を続けていたので、そう思うのでしょうか。いずれにしろ、予備知識を持っていれば、貴重な体験ができた一例といえるでしょう。






マッキーの山登り:寄バス停・櫟山・栗ノ木洞・黒竜ノ滝・大倉バス停

2014年12月13日 | 日帰りの山登り



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 11月30日(日)。 明日から師走という晩秋の一日、師匠Y氏と山歩きに出かけました。出かけた日の前日も翌日も雨模様で、その合間の時々陽の射す曇天の一日でしたが、紅葉を愛でながら落ち葉を踏みしめて歩く山歩きでした。

 行き先は、丹沢山系の栗ノ木洞で、その先にある鍋割山への登山路にある山です。下りには栗ノ木洞から麓に広がる丹沢県民の森周辺の散策を楽しむために、一般登山路から外れ静かな山歩きを楽しみました。



 朝6時に家を出ると、外はまだ薄暗く、冬至に向かって日の出が遅くなっていることを実感します。小田急線新宿駅6時51分発の小田原行きの急行に乗り、待ち合わせたY氏と車内で合流。

 新松田駅前のバス停から寄(やどりぎ)行きのバスに乗り、終点で下車。寄バス停は、数年前産経新聞のOBを中心とする山登りの会・山酒会で、シダンゴ山へ登ったとき以来でした。

 すっかり晩秋の景色となった山里を歩いていると、上の画像のように、登山路脇のイチョウの木の黄葉が鮮やかに印象的に目に映ります。



 落葉広葉樹林の秋は、圧倒的に黄色もしくは茶褐色の黄葉が多いようです。黄色した木々の中を歩いていると、周囲全体がセピア色の空気に包まれます。私の先を行くY氏も、時間を超えた懐かしい時空を歩んでいるように感じます。






 寄バス停からおよそ70分ほど歩くと、櫟山(くぬぎやま)に到着します。頂上の周囲は開けていて、一面にモミジの絨毯が敷き詰められていました。落ちている赤や黄色のモミジの葉を何枚か拾いました。山から帰宅したその夜に、湯舟に浮かべて「紅葉風呂」を楽しみました。お風呂で楽しむだけでなく、食器に添えて彩りを楽しむのも趣があって楽しいものです。どうぞお試しください。






 櫟山からおよそ30分ほど歩くと、栗ノ木洞に着きました。栗ノ木洞は、針葉樹林に囲まれた登山路上にある場所で、見晴はありません。私たちは、そこでちょっと早めの昼食をとりました。






 栗ノ木洞を後に、10分ほど櫟山方向に戻り、左手に折れる登山路を選択して下降を開始。登山者は少なく、登山路は落ち葉で覆われています。笹地の森・アブラチャンの森を通過し、50分ほどで林道に出て、そこを横断し再び登山路を下ります。

 ちょっと、Y師匠!道が違うんじゃあありませんか。Y氏は、こうしたヤブ道が大好き。後でチェックすると、県民の森には、廃道となった散策路が幾つかありますが、私たちはその廃道に入り込んでしまいました。






 しばらく、廃道となった道無き道を歩き、再び散策路に戻りました。本来の散策路は、下の画像のような黄葉した木々に囲まれた、気持ちの良い道です。






駐車場や東屋そしてトイレもある目的地の芝生の広場へ到着し、しばし休憩。ここは車でやって来て、散策路を周遊し、お弁当を広げて家族と楽しむこともできる場所となっています。






芝生の広場から、舗装道路を横断し、案内板に従って再び登山路を下り始めました。木製の階段は、色とりどりの落ち葉で埋め尽くされていました。






 滑りやすい木の橋を渡り、しばらく歩くと、黒竜の滝があります。落差15mの小さな滝でした。名前の由来は、滝の近くに「黒竜さん」という祈祷師の庵があったからだそうです。



 滝を見た後、斜面の上に付けられた林道まで急坂を登りました。ここから、しばらくの間、林道歩きが続き、大倉のバス停まで歩きました。バス停には、地元で栽培されている野菜などが販売されていました。お土産に、二人は野菜や柚子などを購入し、ずしりと重くなったリュックを背負って、帰路につきました。


【標準歩程】

寄バス停~70分~櫟山~35分~栗ノ木洞~10分~芝生の広場方面分岐~15分~笹地の森~35分~林道~35分~芝生の森~25分~黒竜の滝~10分~西山林道~80分~大倉バス停



 


マッキーの山登り:錦秋の景信山

2014年12月01日 | 日帰りの山登り



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 23日・24日は、私にとって久しぶりの連休でしたので、23日は6歳児を連れて、景信山に出かけました。晩秋の高尾山系を歩く楽しさを、6歳児に教えてあげたかったからです。

 高尾駅前から出ている陣馬高原下行きも、私たちが乗る小仏行きバスも、驚くほどの長蛇の列でした。高尾の紅葉を楽しもうという考えは、皆同じなのでしょう。ただし、臨時を含めバスをピストンで動かして、登山者をさばいていました。



 単独の場合、小仏から入ると陣馬山まで行き、陣馬高原下のバス停まで歩きます。このルートは、高尾山口から明王峠まで歩き、そこから相模湖駅まで下る、私にとって最も一般的な登山路と重なります。いわば、ホームグラウンドと言ってもよいルートです。



 6歳児は、高尾山口から蛇滝コースで高尾山に登り、帰りは吊り橋のある4号路を経由してケーブルカーで下る山登りを、今まで3回ほどしたことがあります。ですので、今回の山登りは、彼女にとって最も長い山歩きでした。



 上の画像は、景信山山頂間近を登る6歳児ですが、いつもの通り左手にはレジ袋を持って、気に入った落ち葉を拾い集めていました。






 グループ登山の楽しみの一つが、山頂での昼食タイムでしょう。アルコールも入れば、持ち寄った料理を肴に、宴は否応なく盛り上がります。

 紅葉した木々から、ハラハラと枯葉が舞ってくれば、年の暮れの気忙しさを忘れ、晩秋の侘びしさを静かに実感することができるでしょう。






 景信山から底沢峠まで、小さなピークを越えていきます。今まで、それらの小ピークおよび曲がりくねった登山路には、巻き道近道がついていました。けれども、緑の養生を考慮した対策なのでしょうが、最近それらの多くがロープで閉鎖されて通れなくなっています。

 そうした行為も大切ですが、極力植林した針葉樹を減らし、元の落葉広葉樹の森に戻す努力も必要です。巻き道は、低木の雑木の小道もあり、針葉樹に囲まれたメインの登山路よりも歩いていて楽しい道が多いのですから。私たちは、そうした幾つかのコブを越えて底沢峠まで歩き、陣馬高原下バス停へ向かう登山路を下りました。

 登山路周辺には、植林されたスギ林が目立ちます。公園の落葉広葉樹を見慣れた6歳児には、スギの真っ直ぐに伸びた樹形が珍しいようでした。 「真っ直ぐで高い木だね」と、さかんに褒めていました。






 バス停へ下るこの登山路の途中に、辻野養魚場があります。今回の山登りは、この養魚場で6歳児に魚釣りをさせることが、もう一つの目的でした。

 竿と餌は無料で、釣ったニジマスは、一匹400円で買い、塩焼きや唐揚げにする場合は別途一匹100円を払うというシステムです。

 5匹釣って、2匹を唐揚げ・1匹を塩焼きにしてもらい、残り2匹は処理をしてもらって持ち帰りました。

 初体験のニジマス釣りは、6歳児にとって予想以上に手応えがあることに、ビックリしていました。「釣った魚は、残さずにきれいに食べること!それが釣られた魚が成仏する道なのだ」と教えました。・・・これは、私の釣りの師匠がいつも言っていた言葉ですが。

 帰宅後、6歳児にとって毎度のことですが、拾ってきた落ち葉を湯舟に浮かべ、「紅葉風呂」を楽しみました。ある時は、やけに大きいホオノキの枯葉を入れましたが、あまり趣が悪いことが分かって、その葉だけ手に持ってお風呂から出てきたこともありました。最近は、葉の色により、入浴剤の色にこだわる6歳児です。では皆さん、どうぞお試しを!

標準的歩程時間:小仏~60分~景信山~70分~底沢峠~60分~陣馬高原下

次回は、連休の二日目24日の、箱根小旅行を綴ります。


マッキーの山登り:ときがわ町の巨木巡り・・・その2

2014年10月04日 | 日帰りの山登り



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マッキーの山登り:ときがわ町の巨木巡り・・・その1

 9月28日に出かけた奥武蔵の巨木巡りの続編を、今日は綴ります。前のブログで「上谷の大クス」「日枝神社の大ケヤキ」を紹介しました。私たちは、大附日枝神社境内で昼食をとった後、正午に次の目的地「西平の大カヤ」を目指して、再び神社の石段を下り林道歩きを開始しました。



 山里の至るところに植えられているキンモクセイ(上の画像)の香りが、どこを歩いていても爽やかな秋風の中に感じられます。足下にはヒガンバナなどの秋の草花が咲き、長閑な山里歩きを楽しめます。






 コスモス(秋桜)も、秋を代表する花の一つでしょう。この時期、「~コスモス街道」と銘打って、各所で観光の目玉にしているようです。コスモスは、メキシコの高原地帯が原産で、日本には明治以降に移入されました。

 下の画像のコスモスは、キバナコスモスです。大正時代以降に日本に入ってきました。一般的なコスモスのオオハルシャギク(上の画像)よりも、早い時期から花を咲かせ、繁殖力も旺盛のために、混在しているとキバナコスモスがオオハルシャギクを席巻してしまうようです。

 東京の中央区にある浜離宮恩賜庭園には、オレンジ色のキバナコスモスが群生して咲き、周囲のビル群とマッチして見事です。最近は、キバナコスモスが幅を利かせ過ぎ、かつて一般的だったオオハルシャギクに懐かしさを感じるほどです。



 それにしても、この可憐な花に「コスモスCosmos」という壮大な名が付いていることを、不思議に思う方も多いと思います。意味を調べれば、コスモス=宇宙という単純な意味ではなく、宇宙を秩序ある調和のとれたシステムとみなす宇宙観であり、「秩序、整列」を意味するギリシア語に由来し、カオスと対をなす概念であるとされています。

 この花は18世紀末に、メキシコからスペインマドリードの植物園に送られ、コスモスと名づけられました。それは、秩序正しく調和の取れたもの=コスモスは、後に装飾や美麗の意味も含まれるようになり、
そのことが、調和がとれた美しいこの花に、コスモスと名付けた理由になっているようです。



 ゴルフ場の中を通る林道を歩き続けると、やがて周囲が杉林の下り坂となります。その林道をひたすら歩くと、右手に「大カヤ入口」の案内があります。その案内に従って杉林の中に付けられた小道をしばらく登ります。



 大ケヤキを出発して1時間、杉林に囲まれた上り坂のヤブ越しに、周囲を睥睨するような「大カヤ」が突然姿を現します。はるか昔、森の中に自然に生え出て、人知れずその年輪を積み重ねた存在感から、大カヤは村人の尊敬を集める巨樹となったのでしょう。秋の淡い木漏れ日の中の大カヤは、そんな野性的で孤高の精神を漂わせ、私たちを静かに見つめているようでした。



 この大カヤの面構え(下)はどうでしょう。樹齢は推定千年と言われています。千年前と言えば、平安時代末期、藤原道長・頼道父子が、摂関政治でその頂点を極めていた時代です。雅やかな貴族社会から、源平の
武士の時代の到来を、風の便りで聞いていたかも知れません。樹高16.0m、幹周 6.60m、枝張り25mの大カヤは、県指定天然記念物となっています。

 ところで、植物は光や温度だけではなく、臭いや音も関知することが、最近の研究で分かってきました。この大カヤの木は、千年の間、さまざまな周囲の変化を察知しつつ、暴風雪や寒暑に耐え、病害虫にも負けないで凛として同じ場所に立ち続けてきました。この達磨のような大カヤの面構えと姿を見ていると、誰しもが自然と拝みたくなる対象と言えるでしょう。



 他の巨木の樹種に比べ、カヤは一般的ではないので、少しまとめておきましょう。

【カヤをネットで調べると】
 カヤ(榧)は、イチイ科(またはイヌガヤ科)カヤ属の常緑針葉樹である。雌雄異株で、幹は直立し樹高は20m、周囲は3mほどに、樹冠は幅の広い円錐形になる。成長は極めて遅いが寿命は長い。耐陰性が強く樹林内部であまり日の当たらないところでも育つことができる。
 カヤ材でもっとも知られている用途は碁盤、将棋盤、連珠盤である。種子は食用となる。そのままではヤニ臭くアクが強いので数日間アク抜きしたのち煎るか、土に埋め、皮を腐らせてから蒸して食べる。
 
間伐材や枝は燻して蚊を追い払うために使われた。カヤの語源はこの「蚊遣り」に由来するという説がある。
 
カヤの実は相撲の土俵の鎮め物としても使われている。米、塩、スルメ、昆布、栗とともに、土俵中央部の穴に埋められている。


(カラスウリの花)

 四番目の目的地は、「大カヤ」の近くにある萩日吉神社(はぎひよしじんじゃ)にある「児持杉」(こもちすぎ)です。私たちは、「大カヤ」の木を拝んだ後、林道に戻りそのまま直進しました。しばらく行くと、萩日吉神社裏手入口が右手にありますので、そこから境内に入りました。

 13時30分、境内に入ると直ぐに、御神木(下画像)とされる注連縄が掛けられた大杉があり、その下にはその木の根本から湧き出る御神水があります。けれども、目指す「児持杉」が見当たりません。後から分かったことですが、大カヤからの道順のために、私たちは神社裏手から入ることとなりましたが、「児持杉」は、表参道入口にあったのでした。



 神社の境内には、多くの杉の木が植えられています。鳥居の一つは、杉材で組まれていました。

 スギの名の由来は、真直ぐの木「直木」から来ていると言われています。けれども本居宣長の古事記伝では、スギは傍らにはびこらず上へ進み上る木として「進木(ススギ)」が語源で「直木(スグキ)」は誤りであるとされています。



 境内にはそれらしき杉は見当たらず、周囲を見渡しながら表参道を入口に向かって石段を下りていくと、ありました! 根元から幾つも枝分かれし独特な樹形をした杉の巨木が、神社入口にしっかと立っていました。



 萩日吉神社「児持杉」は、男杉と女杉があり、いわば夫婦杉となっています。男杉は根回り6.47mで3本に幹が分かれし、女杉は根回り8.89mで24本に分かれています。

 2本とも樹高が約40mあり、樹齢はおよそ800年位といわれています。また、この杉は古来より二樹を合わせ祈念するれば、子どもが授けられるとの伝説があります。

 「児持杉」とは、多数に枝分かれし子沢山な樹形を指した命名と思われましたが、夫婦杉であることから、子どもが授かる杉ということが名の由来かも知れません。

 注連縄が掛けられた夫婦姿の樹齢八百年の杉巨木を拝めば、夫婦円満子宝祈願の御利益がありそうです。夫婦揃って「児持杉」を拝んだY氏夫妻は、遙々登山靴で山里を歩いて参詣した奮励を勘案すれば、善報は間違いないでしょう。



 13時45分、萩日吉神社「児持杉」を後にしばらく歩くと、バス路線のある通りに突き当たり、そこを右手に歩くとバス停がありました。バス便は少ないのですが、時刻表を見ると1分後にバスが来るというグッドタイミング。バスに期待せずに、歩く覚悟はできていたのですが、
終点「せせらぎバスセンター」まで乗車することができました。

 
そのバス停から少しばかり歩くと、「木のむら物産館」があり、その先に最後の目的地「関堀の大イチョウ」がありました。大イチョウは、雑草や蔓植物のために、周囲の木々と混在していました。個人の所有のために手入れが不十分で、残念ながら大イチョウの全体像は把握できません。樹齢千二百年の大イチョウは、しばらくして黄葉する頃には、周囲から見分けがつくようになり、その大きさを観賞することができるでしょう。



 この大イチョウもそうですが、東京神宮外苑絵画館前のイチョウ並木のように、街路樹として垂直に樹形を整えられているものが多いようです。けれども、新宿御苑にある大イチョウは、周囲に枝を伸ばし、こんもりとした形状で、黄葉した頃には圧倒的な美しさがあります。

 ただ、人間の剪定ではなく、雌雄により樹形がやや異なるとも言われています。雌株は果実の重みで枝が垂れ下がる傾向があり、横に枝を伸ばした樹形となりやすく、雄株は花粉を風に乗せて遠方に飛ばすため、枝を上方に伸ばした樹形になるということです。

 道の両側に整然と列ぶ街路樹の垂直型イチョウも、山里にある古刹の境内に孤高に立つこんもり型イチョウも、晩秋の冷気に触れて散る黄葉は、鮮やかな美しさで私たちを感動させます。




 14時25分、大イチョウを見た後、直ぐ近くの「木のむら物産館」に立ち寄りました。地元の野菜を都内より少し安めに購入し、それをリュックに詰め、来た時よりも重い荷物を背負って、再びバスセンターに戻りました。バス停から、東武東上線武蔵嵐山駅に向かい、終点池袋で反省会の宴を催し、四方山話に花を咲かせた後に帰路につきました。

 ずしりと重くなったリュックは、単に購入した野菜の重さばかりではありません。長い長い歳月を幹と年輪に刻み、超然解脱した姿の古木・巨木を、山里に訪ねて拝んだのですから、その御利益の重さも私たちの肩に、しっかりと加わっていたことは確かでしょう。



【巨木とは】
 環境省では「地上から130cmの位置で幹周りが300cm以上の樹木。なお、地上から130cmの位置において幹が複数に分かれている場合には、ここの幹周りの合計が300cmであり、そのうち主幹が200cm以上のものとする」としていて、これが巨樹・巨木の一般的な定義となっています。

 今回私たちが訪ねた巨木:「上谷の大クス」・「大附日枝神社の大ケヤキ」・「西平の大カヤ」・「萩日吉神社の児持杉」・「関堀の大銀杏」の五箇所。

【埼玉県ときがわ町】
 ときがわ町は面積の約7割を山林が占め、古くから『木のくに』として、森や木々を大切に守り育ててきました。そうした理由から、町内には幾つもの巨木が存在し、「巨木の里」と銘打って、そうした木々を大切に管理し、観光資源として役立てています。



マッキーの山登り:ときがわ町の巨木巡り・・・その1

2014年09月30日 | 日帰りの山登り


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 9月28日、秋晴れの日曜日、師匠Y氏夫妻と私の3人で、ときがわ周辺の山里に点在する巨木巡りに出かけました。


 池袋方面からですと、東武東上線の坂戸駅で東武越生線に乗り換え、終点越生駅(おごせえき)で下車します。越生駅前から出ている川越観光バス・黒山行きに乗車し、梅林入口バス停まで行きます。8時30分、まず最初の目的地である越生町上谷(かみやつ)の「大クス」を目指してバス停から歩き始めました。

 梅林の中を通り、豆腐屋や最勝寺の前を通り過ぎ、舗装された林道を歩きます。馬が数頭飼育されている厩舎を通り過ぎると、静かな山の中の林道といった感じになりますが、案内板が要所に設置され、道を間違う心配はありません。



 長閑な林道歩きの途中、私たちを優しい目で迎えてくれた馬。犬や猫は肉食動物を家畜化したものですが、馬は草食動物を人間が手なずけ家畜化したものです。ですから馬は、肉食動物(犬・猫)のように、二つの目で相手との距離を測るように凝視しません。草食動物は、広範囲を見渡せるように頭の両側に目が付いていて、この馬も目の一方を私たちに向けています。






 秋の山は、キク科の植物が沢山咲いています。二つ上の画像の繊細な花弁を持ったキク科の花は、ヒメシオンです。シオンより背丈が低く、大きくても1m。名前が似ていて、塾でも教える春に咲くヒメジョオン姫女苑)は、別の種類です。また、馴染みのハルジオン(春紫苑)は、春に咲くシオンという意味で、キク科の植物であることを示しています。

 上の花は、この時期によく見かけるセンニンソウです。また、アザミの仲間も、秋になると花を咲かせています。下の画像は、ノハラアザミ(野原薊)の花です。場所は異なりますが、北高尾山系には、この時期にアザミの仲間がたくさん咲いています。それを目当てに集まる渡りをする蝶・アサギマダラを多数観察することができます。



 林道を歩いている途中、草むらでヤママユガを見つけました。少しばたつかせている羽が傷んでいて、産卵後か交尾後で、死期が近いガのようでした。ガと言うと、薄気味悪い昆虫と見られがちですが、よく見るととても芸術的な羽の模様です。


 
【ヤママユガをネットで調べると】
 ヤママユはチョウ目・ヤママユガ科に分類されるガの一種である。ヤママユガ(山繭蛾)、テンサン(天蚕)ともいう。日本在来の代表的な野蚕で、北海道から九州にかけて分布し、全国の落葉性雑木林に生息している。
 
ヤママユガ科のガの成虫は口が完全に退化しており、蛹化以降は一切の食餌を摂らずに幼虫時に蓄えた栄養だけで生きる。
 
4回の脱皮を経過して熟蚕となり、鮮やかな緑色をした繭を作る。繭一粒から得られる糸は長さ約600~700m、1000粒で約250~300g程度の絹糸が採取される。この糸は「天蚕糸」と呼ばれる。



 上の画像は、綺麗な紫色の実を沢山房状に付けているムラサキシキブです。下の花は、小さなピンクの花が幾つか集まって咲いているミゾソバです。



 大クスの木までバス停からの所要時間は1時間ですが、私たちは周囲の植物を観察したり、木々に絡まるように伸びたヤマノイモの蔓に付いているムカゴを採りながら歩いたので、9時50分に
「上谷の大クス」に到着しました。






 樹齢千年以上と言われる大クスは、根本の太い幹から多数の太い枝を伸ばし周囲を圧倒するように立っていました。高さが30m・幹周り15mの大クスは、単なる樹木と言うよりは、千年も生き続けた生命の力強さを、見る者に印象付けます。今風に言えば、大クスが生えているこの場所は、パワースポットと言って差し支えないでしょう。






 大クスの木から少し下った場所に、木全体を観賞できるベンチが設置されていますので、利用されると良いでしょう。そのベンチの近くに球形のキノコが幾つか地中から顔を覗かせていました。そのキノコの名は、オニフスベといいます。


 
【ネットで調べたオニフスベの特徴】
 オニフスベは卵型に近いものやゴルフボールのような球型しており、非常に大きく成長するキノコです。表面は白色で基部に根状の菌糸束をつけ、全体を覆っている皮は3層になっており、一番外側の皮は薄くて白色、2番目の皮は厚くて淡い黄色をしており、一番内側の皮は非常に薄く紙状で白色、艶があります。
 オニフスベは食用きのこですが、食べるのは内部が白い幼菌時のみで成熟したものは食べられません。スライスしてフライにしたものをタルタルソースなどで食べます。ヨーロッパでは、このオニフスベをスライスしてバターで焼き、パンに挟んで食べるそうです。






 次の目的地は、大附日枝神社(おおつきひえじんや)境内にある大ケヤキです。越生町から山を越え、ときがわに向かいました。無論のこと、大クスのある越生町の上谷から、ときがわ町の大附までには、道案内などは設置されていません。地図とコンパスと出会った地元の人に聞きながら、日枝神社に向かいました。






 三つ上の画像のように、秋の訪れを告げるベゴニア科の多年草・秋海棠(しゅうかいどう)の花が、川沿いの林道脇に、2~3cmの淡紅色の花を咲かせていました。また、ヒガンバナが至るところに咲き、カラスウリの実が赤く熟して蔓から垂れ下がり、秋の七草のハギもまだ咲いている、何と長閑な山里歩きでしょうか。



 10時15分に大クスを出発し、舗装された林道を1時間10分程歩くと、右手に日枝神社の鳥居とそれに続く石段が見えてきます。その石段を登り切ると、小さな境内に出ます。  






 こぢんまりとした拝殿が境内にありましたが、それらしき巨木は見えません。その社殿の裏側に回り込むと、巨木と言うよりも、古木と形容した方が妥当な大ケヤキが鎮座していました。槎々牙々とした太い幹の年老いたケヤキは、枝が切り払われ達磨さんの様です。その老木から、若い枝が伸び、そこに黄葉し始めた葉が付いていました。
 


 この大ケヤキは、推定樹齢700年で、樹高34m・周囲6.7mの巨木で、日枝神社のご神木として、古来氏子から敬愛保護されています。ただし、樹木医が中心となったであろう大胆な治療で、樹高については、記載されている数値よりもだいぶ低く感じます。境内に植えられたが故に、老木になっても人々の手厚い保護を受けて、拝む対象となっている大ケヤキは、幸せな境遇と言えるでしょう。






 拝殿は、入母屋造・平入り形式の小さな社ですが、よく観察すると彫刻も施され、なかなか凝った造りとなっています。正午も近く、次の目的地まで1時間ほどかかりますので、境内をお借りしてランチタイムとしました。

 ここまでブログを綴ってくると、「上谷の大クス」「日枝神社の大ケヤキ」で、紙面が長くなり過ぎました。そこで、次回マッキーの山登り:ときがわ町の巨木巡り・・・その2として、続きを綴りたいと思います。


マッキーの山登り:心に刻む夏・・・会津駒ケ岳

2014年08月15日 | 日帰りの山登り



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 今年は、夜行3泊4日で北アルプスを縦走する夏山計画を立てていました。けれども、多忙のためにトレーニングを全く行なえなかったこともあり、ちょっとレベルを下げて会津駒ヶ岳と燧ヶ岳を夜行1泊2日でやることに。この2つの山をどう結んで歩くのか、様々な計画を立てましたが、台風11号の接近による天候の悪化で、結局夜行日帰りで会津駒ヶ岳に登ることにしました。

 お盆帰省の足を引っぱる結果となった台風11号の日本上陸でした。8月8日(金)に浅草を23時55分に出る東武の夜行電車は、予め切符を購入しておく必要があります。もしも、切符を購入していなければ、天候が悪化する山登りは中止したことでしょう。ですから、ちょっぴり気の重い出発となりました。

 数回利用したことのある「尾瀬夜行23:55」でしたが、浅草を出た列車内は、驚くほど閑散としたものでした。途中の停車駅で少しずつ乗客は増えましたが、台風の影響なのか、夜行バスを利用し夜行電車を利用しなくなったのか、ガランとした車内は最後まで変わりませんでした。



 尾瀬夜行23:55は、会津高原尾瀬口駅からバスで沼山峠まで行き、尾瀬沼に入るには都合の良い公共交通です。今回は、檜枝岐にある駒ケ岳登山口で途中下車し、そこから登り始めます。定刻よりも少し遅い5時30分前に、駒ケ岳登山口バス停で降り、国道を渡って登山路へと向かう舗装された車道を歩き始めました。






 心配した雨は降っていませんでした。降雨で濡れた車道を30分ほど歩くと、本格的な登山道入り口の階段にたどり着きます。途中、竜門ノ滝の分岐があります。かつてグループで尾瀬に行った帰りに、この滝を見たことがありました。登山路入口の階段を登ると、しばらく樹林の中の急坂が続きます。高度が上がると勾配が緩やかになり、低木に囲まれた場所も多くなってきます。



 登山路の中間地点にある水場(水場は登山路からしばらく急下降した場所にある)には、ベンチも設置されていて、休憩して簡単な朝食をとりました。登山路は、木枠で階段状に整備され、また湿地には木道が設置されています。やがて低木の中を進む登山路は木道となり、池塘が散在する場所を通り、駒ノ小屋に向かって道は続いています。



 振り返れば、怪しい雲行きの先に、日光白根山男体山方面の山々が望まれました。また東の空には、天候が悪くなければ登る予定であった特徴的な双耳峰を持つ燧ヶ岳もはっきりと見えました。尾瀬沼方面からは繰り返し登っている燧ヶ岳も、御池方面からは初めてだったのですが。






 やがて、なだらかな草原の先に、駒の小屋が見えてきます。木道は、点在する池塘などの湿地を避ける登山路というよりも、周辺の環境保護の意味合いが大きいと思われます。



 駒の小屋前には、テーブルとベンチが設置されています。ちょっと大きめの池塘の先に駒ケ岳がなだらかな姿を見せていました。本来は、駒ケ岳の先の中門岳も往復すべきですが、天候の悪化が予想される今回は、駒ケ岳を往復するだけと決断しました。



 駒の小屋から20分ほど歩くと、会津駒ヶ岳山頂にたどり着きます。山頂は狭く、低木で囲まれているので、眺望は利きません。中門岳に向かう道を少し降りてみると、展望が開け清々しい風景が広がっています。しかし、残念ながら今回は長居はせずに下山を開始。登ってくるときに、下山者が大きな音をたてて転んだ木道を、ちょっと慎重に駒の小屋まで下りました。



 駒ヶ岳から下ってきて、10時過ぎに駒の小屋を通過し、そのまま下山を続けました。小屋の下周辺は、高層湿原に池塘が散在し、独特の長閑な景観を作り出しています。天候が気になりましたが、周囲の草花をカメラに収めながら下りました。以下に池塘周辺に咲く花を幾つか紹介しましょう。

(植物解説は
ウィキペディア等を参照しました。)



《池塘》
池塘、地塘、池溏(ちとう)は、湿原の泥炭層にできる池沼である。高層湿原が形成される過程において、堆積した泥炭層の隙間が水で涵養された部分ができる。これが池塘であり、周囲とは隔絶された環境であるため、独特の生物相ができる。



《ワタスゲ》
ワタスゲ(綿菅)は、カヤツリグサ科ワタスゲ属の多年草。別名でスズメノケヤリ(雀の毛槍)という。高さ30~50cm。花期は5~6月。白い綿毛を付ける果期は6~8月。花が終わると直径2~3cm程の名前の由来ともなっている白い綿毛を付ける。この綿毛は種子の集まりである。



《チングルマ》
チングルマ(珍車、稚児車)とはバラ科ダイコンソウ属の落葉小低木の高山植物である。花後、花柱は伸びて放射状に広がる。和名のチングルマは、この実の形が子供の風車(かざぐるま)に見えたことから稚児車(ちごくるま)から転じて付けられた。
 上の画像は、花が終わりチングルマの実の姿です。雨に濡れ、風に吹かれる実の姿も、風情があります。




《ハクサンコザクラ》
ハクサンコザクラ(白山小桜)は、サクラソウ科サクラソウ属の多年草。高山植物。日本海側の高山帯(白山から飯豊山にかけて)に分布し、雪渓周辺や湿地帯などの湿った場所に群生する。 高さは15cmほど。葉は3~8cmで9~25個の鋸歯縁。花はピンクの5弁花だがハート型に深く切れ込んでいるので10弁花のように見える。花期は6~8月。名前は白山で最初に知られたことに由来する。同様に、ハクサンが付く名前の花が多数ある。ハクサンフウロ、ハクサンチドリ、ハクサンシャクナゲ、ハクサンイチゲなどがその一例。



《ミヤマリンドウ》
ミヤマリンドウ(深山竜胆)は、リンドウ科リンドウ属の多年草の高山植物。茎の基部が長く這い、茎先が立ち上がり、高さは5~10cmになる。茎はやや赤紫色を帯びる。葉は茎に対生し、葉の形は小型の卵状長楕円形で、長さは5~10mm、やや厚め。花期は7~9月で、茎の上部に長さ15~22mmの青紫色の花を4個ほど付ける。花冠は5つに裂けており裂片の間に小さく副片がある。



《イワイチョウ》
イワイチョウ(岩銀杏)はミツガシワ科の多年草。別名、ミズイチョウ(水銀杏)。本種のみでイワイチョウ属を形成する(1属1種)。花茎の高さは20~40cm。葉は根生し、厚い腎臓形で葉柄があり、縁は鋸歯状になる。秋になると黄葉する。花期は6月から8月で、花茎の先に5裂する白色の花を数個咲かせる。南千島と日本の北海道、本州の中部以北に分布し、多雪地の亜高山から高山にかけての湿原などに自生する。




 下山途中、僅かに青空が覗き、夏山を歩く幸せと喜びが体に満ちてきました。けれども、天候は明らかに下り坂。下山途中30分ほど、軽い雨になりましたが、雨具を着込むほどの雨ではありませんでした。台風が近づいている状況の山登りとしては、ラッキーと言って良いでしょう。



 登山路の中間地点の水場と書かれている場所からちょっと急降下した場所に、極めて冷たい清水が湧き出しています。喉を潤すだけでなく、お土産用にペットボトルに清水を満たしました。稜線から急降下し再び登り返す労力を考えても、この清水は口にした方が得です。(帰ってから、この清水で入れたお茶の美味しかったこと。深山の清水は、とても良い土産となります。)

 正午頃、駒ヶ岳登山口バス停にたどり着きました。無論のこと、ここまで来れば温泉に入って帰路につくのは当然。公営の駒の湯は近くてお湯の質も良いのですが、以前数回入った時に休憩スペースが無かったと思い、反対側にしばらく歩くアルザ尾瀬の郷ヘ向かいました。ここは、2階に大きな休憩スペースがあり、入浴後ごろ寝が出来ます。

 会津高原尾瀬口までバスで戻り、駅前の青空市でミニトマト3袋・ピーマン1袋・シシトウ1袋を各100円で買い乗車しました。鬼怒川温泉で特急きぬ136号に乗り換え、浅草に7時15分に到着しました。

 例年の小屋泊の夏山と異なり、夜行日帰りのちょっと気忙しい山登りでしたが、危惧していた台風による悪天候は回避でき、二十代から続けてきた今年の私の夏山は無事終了しました。

 以下で山で出会った花を再び幾つか紹介しましょう。今回は、雨模様でしたので一眼レフは持参せず、ニコンのコンパクトデジカメで撮った画像です。



《ゴゼンタチバナ》
ゴゼンタチバナ(御前橘)は、ミズキ科ミズキ属ゴゼンタチバナ亜属の多年草である。花は4枚の白い総苞に囲まれハナミズキやヤマボウシに似ている。秋にハナミズキに似た核果が直径 5–6 mm の赤い果実をつける。



《キンコウカ》
キンコウカ(金光花、金黄花 )は、キンコウカ属の多年草。花期は7月~8月で、花茎の上に花被片6枚の星型の黄色い花を総状につけ、下方から開花していく。



《カラマツソウ》
カラマツソウ(落葉松草、唐松草) はキンポウゲ科カラマツソウ属の宿根草。北海道から本州の山地~高山帯の草地に自生する高山植物。日本固有種である。花がカラマツの葉の付き方に似ているのでこの名前が付いた。花期は6~8月、根本から高く伸び上がる花茎を出し、その先に複散房花序の形で直径1cmほどの白色の花を多数つける。花弁はなく、白い花は雄しべの集まりである。



《ハクサンフウロ》
ハクサンフウロ(白山風露)はフウロソウ科フウロソウ属の多年草。高山植物の一つ。花期は7~8月。花色はピンク色だが、花によって濃淡に差がある。花弁は5枚。



《クモマニガナ》
クモマニガナ(雲間苦菜)は、ニガナの高山型の変種。タカネニガナとよく似ているが、クモマニガナは茎が太く、花弁が11枚であることで区別できる。



《ジョウシュウオニアザミ》
ジョウシュウオニアザミの分布域は狭く、群馬県、新潟県の県境、およびそれに接する福島県、長野県の山域に分布している。
基準産地は群馬県至仏山。
今まで私が見たアザミの中で、最も大きな花を付けたアザミでした。



《ソバナ》
ソバナ(岨菜 )はキキョウ科ツリガネニンジン属の多年草。
花茎の高さは50cmから100cmになり、葉は茎に互生し、茎の下部につく葉には長い葉柄がある。葉柄のつく葉の形は広卵形で、花がつく茎の上部は広披針形になり、いずれも縁は鋸歯状になる。花期は8月から9月頃で、青紫色の円錐状に近い鐘形の花を咲かせる。大きい株になると枝を数段に互生させ、多数の花をつける。花のがく片は披針状で全縁。雌しべは花から突出しない。



【会津駒ヶ岳】
 会津駒ヶ岳(あいづこまがだけ)は、福島県南会津郡檜枝岐村にある標高2,133mの山である。日本百名山の一つ。一等三角点「岩駒ケ岳」(標高2,132.4m)設置。残雪期に駒の形に見える雪形の現れることが「駒ヶ岳」という山名の由来とされる。古くから信仰の対象の山であり、檜枝岐村、南会津町伊南地域には駒嶽神社がある。

【全国の駒ヶ岳数】
 国土地理院の地形図に”駒ヶ岳”と明記されている山(18座)を仮称”Native Koma”と呼び、この18座全山登頂者を”駒ヶ岳グランプリ”として表彰しているそうです。その駒ケ岳ファンクラブでは、全国に駒ケ岳が24座と紹介しています。



【標準的歩程】
駒ケ岳登山口~0.30~登山路入口~1.30~水場上~1.30~会津駒の小屋~0.20~会津駒ヶ岳~0.15~駒の小屋~1.10~水場上~1.10~登山路入口~0.20~駒ケ岳登山口~0.15~アルザ尾瀬の郷(計7時間)

【尾瀬夜行23:55】
(8日~9日往路)
浅草23:55~3:18会津高原尾瀬口駅・バス4:20~5:20駒ケ岳登山口
(9日復路)
アルザ尾瀬の郷14:55~16:05会津高原尾瀬口駅~17:13鬼怒川温泉駅・特急乗り換え17:15~19:15浅草


マッキーの山登り:梅雨時のわらび採り

2014年06月25日 | 日帰りの山登り



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 ちょっと青空がのぞくと、次の日は雨。そしてゲリラ的集中豪雨が人々を驚かせる、そんな梅雨時の天候が続きます。6月22日の日曜日、天気予報は芳しくありませんでしたが、山菜師匠Y氏とわらび採りに出かけました。毎年、この時期にわらび採りに出かけますが、雨降りの日は初めて。皆さんが関心を持つわらび採りの場所は、内緒にしておきます。山菜が採れる場を明かすことは、競争相手を増やすことになるからです。ただ私の下記の文面から、奥多摩方面であることが分かるでしょう。



 雨模様の天候でしたので、列車もバスも登山者はまばらでした。上下共レインウエアーを着込んでバスを降りると、霧雨程度の雨が降り続いていました。登山口付近に咲いているユキノシタは、画像のように天候が悪いと花びらが閉じています。チューリップニホンタンポポカタバミのように気温の変化で花びらを開く植物が知られていますが、ユキノシタもそのよいうな理由により花びらが閉じていたのだろうと思われます。

 一方、アサガオハスの花は、朝の早い時刻に咲き出しますし、ナデシコキキョウの花は、午後になって咲き始めます。また、ヨルガオマツヨイグサの花は、日が落ちる夕方に咲き出しますので、花の名にヨル(夜)やマツヨイ(待つ宵)やツキミ(月見)などの言葉が入っています。このように光を要因として花が開く植物もあります。塾では、このような事を小5の理科で学習します。



 一般道として登山地図には載っていない山道を、元気に登るY氏。目的の場所まで行く途中、足下にはミツバが生えていますので、ビニール袋を取り出して最初の収穫がスタートします。この時期、毎年同じ場所に、先ほどのユキノシタホタルブクロが咲いています。




 この時期に山に登ると、上の画像のように葉が白く変色している木をよく見かけます。これは病気などで変色しているのではありません。実はこの木はマタタビで、夏に近づくと緑の葉が白く変色しますので、マタタビの木と一目瞭然で判別できます。旅人がこの木の実を食べると、再び元気を取り戻しまた旅をしたことから、この植物の名が付いたと言われています。マタタビ酒を含め、滋養強壮の効果があるようです。

 私が小学生の時、びん詰のマタタビが自宅にありましたので、官舎の庭に来た猫に与えてみました。すると驚くことに、その猫はマタタビに酔ったように陶酔感を体で表し、暫くの間じゃれ付いていました。「猫にまたたび」という諺は、非常に好きな物のたとえや、それを与えれば効果が著しいことのたとえとして用いられますが、それは本当のことでした。



 上の画像はコアジサイの花で、アジサイ科アジサイ属の落葉低木です。日本固有種で、本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、明るい林内や林縁などに自生します。極めて繊細な小さは花が集合して、とても美しい花です。このように、ガクアジサイやヒマワリの中心部に、花が集団を成しているものを花序といいます。また、コアジサイはアジサイ属に特徴的な周りの装飾花は無く、すべてが普通花で両性花だけからできています。

 下の画像は、アジサイの花が見頃を過ぎた頃、中心部の本当の普通花が開花して、遠目に中心部が白くなったアジサイです。自宅近くに咲いていて、毎年色彩と大きさが際立つアジサイが、周りの装飾花が色褪せ、中心部の花序が咲いて白く変化していました。この中心部の花序だけが咲いている花が、コアジサイです。






 上の画像は、平地では見頃が過ぎていますが、山では満開を迎えているウツギの花です。高尾山系でも、6月の上旬に登山道の脇に枝垂れるように咲くウツギとガクウツギの花を堪能できる場所があります。記憶の中でいつまでも咲いていて、その季節になると思い出す花と場所が、私には幾つもあります。そうした花々の幾つかを、巡ってきた季節に拝むことができれば、ちょっとした幸福感に浸ることができます。

 霧雨の中で咲く下の花は、淡い色彩がとても美しいヤマオダマキです。この花の色や形には変異が多く、萼片が赤褐色をしているものを最もよく見かけます。この画像のオダマキは、印象からすると透明感があるクリーム色に見えますので、キバナノヤマオダマキかも知れません。ちなみに高山に生えるミヤマオダマキは、花が鮮やかな青紫色です。






 中腹の稜線上の登山路は、ガス(霧)によって幻想的な風景となっています。その登山路を、ビニール袋を片手に適当な長さに伸びたわらびを探して登っているY氏の後ろ姿(下の画像)です。周辺に生えているシダのような植物は、わらびが大きくなって葉を茂らせた姿です。



 ヤマボウシも、都市部ではとっくに散っていますが、山ではまだまだ元気に咲いていました。ヤマボウシの花は、小さい花が数多く球状に集まった、花の中心部に見える淡黄色の部分です。その外側に大きな白色の総包片が4枚あり、それが花びらのように見えます。高尾山の一丁平でも見られる総苞片が紅色の種を、ベニヤマボウシと呼びます。

 また、日本からワシントンに送った桜の返礼に、日本に持ち込まれたハナミズキは、ヤマボウシの近縁種ですので、見間違える方もいるようです。ただ、ハナミズキはヤマボウシよりもだいぶ早く、4月の下旬ころから咲き始めます。






 薄暗い登山路を歩いていると、植物の葉の緑が、蛍光色のように目に映えて美しく感じることが多々あります。上の画像は、なかなかその色が再現できていません。わらびとミツバ、そして山椒の実を収穫し、登りの時よりもずっしりと重くなったリュックを背負って下山する頃には、皮肉にも空がだんだんと明るさを増していました。

 登山路の左手は人工林の杉林、右手は広葉樹の自然林で、このように針葉樹林と広葉樹林が左右で振り分けになっている登山路を、何故か多く見かけます。ただ、広葉樹林の中の変化に富んだ植生と、そこに生息する生き物の多様性は、針葉樹林を圧倒しています。林業として成立しない場所の針葉樹林は、広葉樹に植え替えてほしいと、私は思います。



 奥多摩湖のバス停までの下山路に、キイチゴがいっぱい実をつけています(下の画像)。この赤いキイチゴはニガイチゴ
で、名前ほど不味くはありません。この時期、最も美味しいキイチゴは、黄色い実をつけるモミジイチゴですが、もうその旬を過ぎていました。

 この下山路のもう一つの楽しみは、麓の民家に赤い実をつけたユスラウメ
です。昨年、この実をおばあさんからごちそうになりましたが、今年も頂ければと思っていました。けれども、今年はこの木の周辺に雑草が生い茂って、昨年のたわわに実っていたユスラウメとは大違い。おばあさんに何かあったのか気掛かりですが、健在であることを願いつつ通り過ぎました。



 下の画像は、舗装された村の道に下山路が合流する手前に咲いている花です。この花の名前は分かりません。どなたかご存知でしたらお教えください。合弁花が茎にそって並んだ花は、多くが赤紫色で、稀に白い花があるようです。

 (追記)ブログをアップした後、熊本在住の知り合いA女史から、この花の名前をメールで教えて頂きました。この花の名前は、ジギタリス。別名をキツネノテブクロと言い、ヨーロッパ原産で、観賞用あるいは薬用に世界中で広く栽培されているそうです。また、ジギタリスには全草に猛毒があり、観賞用に栽培する際には取り扱いに注意が必要なのだそうです。



 奥多摩湖バス停前にある水と緑のふれあい館
周囲に匍匐するように咲いている花は、キンシバイの仲間のヒペリカム・カリシナムです。花は、ビョウヤナギにそっくりですが、草丈とこの画像もそうですが、雄しべのやく(花粉袋)の色がオレンジ色をしていることで区別が可能です。

マッキーの『四季を楽しむ』:キンシバイとビョウヤナギとヒペリカム・カリシナム



 初夏の山々が、奥多摩湖に静かに姿を映していました。左手奥の山は御前山です。夏山の魅力は、簡単には語り尽くせません。小屋泊まりの夏山登山を、若い頃から続けてきた私ですが、その思い出や経験が、私の体の一部になっているとも言えます。



 帰宅後は、採ってきた山菜を処理する作業が待っています。わらびは、鍋にたっぷりの水を沸騰させ、その中に入れたら日を止め、重曹を入れて翌日までアク抜きします。



 青山椒は、枝から小枝もできるかぎり取る作業をします。それを、圧力鍋で5分程度茹でます。その青山椒を、酒・醤油・味醂で再び茹で、瓶詰めします。これで、およそ1年間の青山椒の醤油煮の完成です。

マッキーの男の料理・その23…『青山椒の醤油漬けandちりめん山椒』

マッキーの男の料理・その53:今年の進化した「青山椒の醤油煮」and「ちりめん山椒」

 アク抜きしたわらびを、一つは「味噌汁の具」用(上)に、2つ目は醤油と出汁醤油と酒と味醂を混ぜた汁に漬けた「一本漬け」(左)、3つ目は酢に砂糖と少量の出汁醤油を混ぜた中に漬け込んだ「ピクルス」(右)調理しました。






 最後は、出来上がった青山椒の醤油煮を使って、「ちりめん山椒」を作りました。ちりめんじゃこの歯ざわりと青山椒の刺激、醤油と砂糖がそれら全体を包み、微妙な味わいがあります。

 ちりめん山椒は、青山椒が手に入らないと作ることができませんが、入手できたら、その味付けをその家庭の好みにすることにより、市販のものよりも数段美味しいちりめん山椒を召し上がることができるでしょう。

 ちりめん山椒は、酒の肴・弁当のおかずにも良し、また熱々のご飯の上にのせて食べれば、病みつきになってしまう美味しさです。




マッキーの山登り:大月駅~むすび山~高川山~初狩駅

2014年05月22日 | 日帰りの山登り



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 5月11日、美術愛好家の団体・美楽舎でご一緒のS氏と、高川山へ登りました。かつては、美楽舎のメンバーと山登りによく出かけました。S氏とは、今回が初めてご一緒する山登りです。

 高川山は、山梨県の都留市と大月市の境にある、標高975.7mの山で、頂上から富士山とそれを取り巻く山々を眺望することができます。高川山は、山梨百名山の一峰で、都留市の都留市二十一秀峰、大月市の秀麗富嶽十二景に選定されています。

 私は、冬季に数回この山に登ったことがあります。この山だけですとちょっと物足りないので、高川山から禾生駅に下りた後、向かいにある九鬼山に登り返し、再び禾生駅に戻るといったコースで登りました。

 今回は、初狩駅から登る予定でしたが、電車の遅れでS氏が高尾に到着するのが遅れ、列車の待ち合わせ時間の関係で、大月駅から高川山に登り、初狩に下る逆ルートを急遽とることにしました。


(スタートの大月駅前からむすび山を望む)

 ちょうど10時に大月駅を出発し、まず「むすび山」を目指します。当日は都心の最高気温が25度を超え、初夏の陽気でした。大月市の中央病院脇に、むすび山を経由し、高川山に通じる登山道の入り口があります。むすび山は、登山路に入って15分ほどの所にあり、3月下旬から4月上旬にかけて、カタクリの花の群生を楽しむことができます。



 足下には、下の画像のような様々な花が咲いていました。順に、ホタルカズラ・イカリソウ・フデリンドウ・チゴユリ・ウマノアシガタ。フデリンドウは、リンドウ属の中でも、最も小さなリンドウで、とても愛らしい花を咲かせます。















 S氏とは、美楽舎(当時は美学社と言い、私が代表を務めていました)の一泊二日の例会で、当時私が所有していた軽井沢のセミナーハウスを使ったり、S氏が所有していた清里の別荘を使ったりして、周辺の美術館を巡るなど、互いに楽しい時を過ごしたことがありました。それも、もう二十年前の話ですが。



 登山路周辺には、ヤマツツジの朱色の花が随所に見られ、またウツギの仲間(ツクバネウツギ・コゴメウツギなど)の花が咲き始めていました。画像は順に、ツクバネウツギ・ガマズミの仲間の花。

 パソコン遠隔操作事件の片山被告が缶酎ハイを片手に徘徊したという高尾山系なども、 これから清楚な白いウツギの花に彩られる季節が訪れます。









 かつて高川山の頂上に居ついた犬がいました。その名物犬と久しぶりに再会できると思っていましたが、頂上で出会うことはありませんでした。帰宅後にネットで調べると、2010年10月6日、山頂下の岩の上で亡くなっているのが発見され、麓の墓地の一角に埋葬されたのだそうです。



 高川山山頂で、秀麗な富士山を望みながら、冷えたビールで乾杯し、ちょっと遅めの昼食を取りました。関東周辺の山に登ると、多くの人はまず、富士山の姿をチェックすることでしょう。富士山は、私たちの心の琴線に触れる何かを持っていますし、どこへ登っても存在感あるランドマークだと言えます。






 比較的簡単に登れる山で、綺麗な富士山を望むことができる山として、高川山は登山者に好まれています。ゴールの初狩駅には、3時過ぎに着き、高尾駅で途中下車して、S氏とお酒を飲み交わした後、帰路につきました。

 この山は、晩秋から初春にかけて、空が澄んだ時期に登るのが最適です。

【今回の歩程】
大月駅10:00~10:30むすび山~13:05高川山14:05・・15:20初狩駅(計4時間20分)


(ゴールの初狩駅)


マッキーの山登り:春の山菜採りand新緑の宴

2014年05月04日 | 日帰りの山登り



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 4月27日(日)、恒例の山菜採りに出かけました。この山菜採りは、あるグループが二十数年続けてきた年中行事です。場所は、長年にわたって開拓してきた場所ですので、お伝えできません。無論のこと、そこは一般登山路脇ではなく、先を進むY氏が、下の画像のように藪の中に直ぐに消え入ってしまうような場所です。山菜採りは、春の自然の恵みを頂くだけではなく、春の息吹を楽しむ山歩きでもあります。



 この山域で採れる山菜は、下の画像のような、モミジガサハナイカダ、それにミツバ・タラの芽・ワラビ・ゼンマイなどです。モミジガサは、モミジのような形の葉を持つ草で、東北地方ではシドケと呼ばれ、人気の山菜です。ハナイカダは、葉の中央に花を付け、風流な名を持つ木の葉です。小川にハナイカダの葉を浮かべて、筏のように流したら、さぞ楽しいだろうと思います。

 モミジガサは、樹林の下草として、密集して生えています。ハナイカダも、樹林の低木として、登山道脇やちょっと樹林の中に入った場所に生えています。ある時、私が住む近くのマンションの植栽に、ハナイカダの木が植えられているのを発見して、びっくりしたこともあります。葉と花の作りの楽しさを取り入れた、都心部の植栽と言えるでしょう。







 山椒は、実山椒として主に実を使いますが、若葉を料理に添えたり、山椒のを使った料理もあります。今年も、山椒の若葉を採ってきて、それを使った佃煮を作りました。できた山椒の葉の佃煮を使い、抹茶茶碗を用いたお茶漬けが、最高です!若干、口の中が麻痺する山椒の刺激がしっかりと残り、お茶と山椒の相性も抜群です。




 山菜取りの途中で、沢の水で山菜を洗い、宴の準備をするY氏。現代人は、日々の食材を自ら収穫することは、特に都会で暮らす場合、稀なことです。時として、海や山に出かけて自然の幸を採集し、その有難さを感じながら頂くことは、とても大切なことですし楽しい行為です。



  一般登山道近くの突き出た稜線上に、辺りが開けた平坦な場所があります。そこが、私達指定の山菜採り後の宴会場です。モミジガサやハナイカダを中心に、お浸しや油炒め、時には天ぷらにして、それを酒の肴に宴は始まります。新緑に囲まれたシチュエーションが、談笑の楽しさを倍加させます。芋煮会や熱い石を入れるわっぱ煮・わっぱ汁など、日本人は豊穣な自然の幸を、屋外で有楽しく、そして有り難く頂いてきた伝統があります。



  人影の無い山菜採りの場所は、皆さんが考えるほど山奥に入るわけではありませんが、足元の朽ちた倒木に生きる動物や植物が、自然の中でたくましく育っている場でもあります。そうした生き物にカメラを向けると、人知れず繰り返される生命の循環を知ることができます。朽ちていくい倒木は苔むして、そこからまた新しい生命が、力強く天に向かって伸びようとしていました。

 小さな小さな世界に、大きな大きな世界があります。








 
 人に見られて、その美しさを褒められることも無く、散っていく花々も無数にあります。画像の順に、ヒトリシズカ宝鐸草マムシグサニリンソウチゴユリイカリソウなどが、藪道の足元に咲いていました。


















  下山路は、一般登山道です。

  登山路脇の枝垂れた山吹が、私たちを見送るように、風に揺れていました。

  山菜採りは、春に芽吹く命を頂くことです。

  有り難く、大切に、美味しく頂くことが肝要です。




【帰宅後】




 上の画像は、モミジガサとハナイカとダタラの芽の天ぷら。下の画像は、翌日の弁当のおかずになった山菜たち。採り過ぎて、飽きてしまうようでは、山菜に申し訳ないので、収穫量はほどほどに!