”ほしがき写真散歩”のブログ

”ほしがき”が横須賀市内や旅行先を写真散歩したブログです。

(仮称)久里浜一丁目公園へ

2011-07-29 22:24:22 | 日記
(仮称)久里浜一丁目公園は来年度完成の予定です。
しかし、現在はまだ手つかずのようです。気になったのでもう一度写真散歩を。


バス通りから撮った写真。
公園予定地は左側久里浜工業団地、右側住宅地・JR用地に挟まれた約22000平方メートルの細長い土地です。
手前は原っぱで、奥に池や林などがあります。都市化が進む中で良くもこのような空間が残っていたものです。



左側の工場。



公園予定地は立ち入り禁止の表示はありませんが、一応綱が張られていました。
池と並木道。
雑草など刈ってあり多少は整備されています。



奥の林は実に静かで、木漏れ日もきれいです。



池は二つあり、奥の池は回りがまだ雑草におおわれています。
のぞくと、水鳥がのんびりと泳ぎ、まるで別世界のようです。

公園は来年完成するそうです。水辺の生き物の観察や自然体験の出来るようには考えているようです。
このような静かな雰囲気を残すと良いのですが。

フジ FINEPIX X100

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佐原から横須賀線に沿って

2011-07-27 15:22:52 | 日記
今日は佐原から横須賀線に沿って久里浜まで歩きました。

佐原交差点近くの日産工場の跡地、現在は奥の方の横須賀線側が湘南学院高校のグランドとなっています。
更地にはこのような雑草が直ぐに生い茂ります。


排水溝。このような古いコンクリート構造物は大好きです。


横浜横須賀道路の架橋。
2009年佐原ICから馬堀海岸ICが開通し全線開通しました。


横須賀線横の住宅。きれいに造りますなあ


工業団地の線路沿いには池がありました。以前はつり堀として利用されていましたが、今では雑草が茂りフェンスでおおわれ中には入れません。
現在(仮称)久里浜一丁目公園の計画が進み、来年には開園する予定です。
自然観察や各世代が楽しめる公園となるようです。

自宅より全行程歩き、9800歩でありました。
フジFINEPIX X100
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浦賀 渡船に乗って

2011-07-22 22:29:35 | 日記
7月15日。浦賀の写真散歩。
西叶神社と東叶神社を参拝しました。

最初は西叶神社です。1181年(養和元年)創建の歴史のある神社です。
静寂な雰囲気で参拝者の柏手の音が響きます。


次に東叶神社に向かいます。東叶神社は浦賀湾の対岸にあります。浦賀湾を横切る渡船を利用します。
渡船乗り場前の交差点は比較的交通量が多いところ。


渡船は御座船風の優雅な造り。
料金はどうするのでしょうか?
パスモでしょうか?乗船券をあらかじめ買うのでしょうか?
いえいえ、運転席の前の皿に料金の150円を直接入れるという、おおざっぱなシステムです。


東叶神社にやってきました。
何かとても賑やかです。


夏休みに入った子供達が、階段で元気に遊んでおりました。



帰りも渡船の利用です。
船は3分程度で浦賀湾を横切ります。
一人でもお客がいれば運行します。
短い時間ですが、涼風が吹く快適な船旅でした。


フジ FINEPIX X100
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鬼首温泉

2011-07-15 12:28:24 | 日記
2泊3日で鬼首温泉に行ってきました。
宮城県大崎市。鳴子温泉の奥にあります。
施設を利用することで大震災の復興の一助になればとの思いもありました。
東北新幹線古川駅までホテルのバスが迎えに来ておりました。
古川の街は震災時に液状化で被害を受けていました。
今でも道路が陥没したり、家が傾いたりしているものが多数見られます。

バスが鳴子温泉を過ぎると一気に山中に入っていきます。最初に迎えたのは巨大なダムでした。
鳴子ダム。昭和27年着工、32年完成の国内初の日本人のみの手で造られたアーチ式コンクリートダムです。


ホテルはスキー場の正面です。スイスの山荘をイメージして作られています。まるで日本ではないようでした。



夕食は洋食のコース料理。赤ワインがぴったりでした。
ホテルの部屋の窓から見た朝焼けの見事なこと。



今の時期はゴルフ、渓流釣り、周辺の山へのハイキング等様々に楽しむことが出来ます。
二日目、私たちはホテルバスに送迎してもらい、鳴子温泉に行ってきました。市街地を散策したりこけし店でこけしを買ったりしました。
ホテル前の広いゲレンデでゲートボールを楽しむ人たちもいました。


正面は禿山です。まだ少し雪渓が残っていました。

高原と温泉を満喫した三日間で、すっかりリフレッシュして帰ってくることが出来ました。

ソニーデジタルα55
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久里浜~灯明堂

2011-07-06 11:45:36 | 日記
暑くなりましたねえ。
今回は暑い中を久里浜から燈明堂まで
約3.6キロメートルを歩きました。

途中で懐かしい鉄人28号を。
小学生の頃、大好きな漫画で
発売日には友人と競争で書店に買いに行きました。


浦賀や燈明堂に向かう道路です。
市としては観光の一つとしたのでしょうか、トンネルの装飾もきれいです。


燈明堂は道路から離れています。
入り口の反対側の崖ですが、装飾にもお金を掛けています。


燈明堂です。
浦賀港に出入りする船の安全を守るために
慶安元年(1648年)作られました。明治5年(1872年)廃止されるまで、200年以上にわたって
明かりをともし続けました。
一時壊れてしまったものを同じ場所にコンクリートで再建されました。


中央が浦賀港です。
港を守る重要な位置にあったことが分かります。


<フジFINEPIX X100>
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下田 玉泉寺

2011-07-03 11:09:41 | 日記
下田にやってきました。
主な目的は下田公園の15万株300万輪のアジサイでした。
さらに下田は幕末の歴史にも登場します。
歴史の舞台である玉泉寺を訪れました。

写真は伊豆急下田駅のモニュメント。たくさんの風車で町おこしをしようとしています。



下田と言えば忘れてならないのは、下岡蓮杖。
幕末の人で日本に写真技術を広めました。下田公園には顕彰碑があります。


下田公園のアジサイです。約10万坪という広さです。アジサイの数に圧倒されます。


さて玉泉寺にやってきました。
合衆国総領事タウンゼン・ハリスが
安政3年(1856年)7月から総領事館として使用しました。



下田での滞在は安政5年6月の日米修好通商条約の締結までの2年間でした。
ハリスは慣れない気候や食事で体調を崩したそうですが、日本側も気を遣い牛肉や牛乳を用意しました。
日本では牛肉や牛乳を食べたり飲んだりする習慣はなかったので、入手には苦労したようです。
寺の墓地には日本でなくなった5名の水夫の墓石が今でも屋根を付けて守られています。


昭和54年(1979年)6月。当時の合衆国大統領ジミー・カーターが墓前に詣でています。
写真は今でも本殿横に残る歓迎の看板です。
この本殿でハリスが仕事をしていました。右側の壁はストーブの煙突を出した穴。その下は、ストーブのこと等を書いたハリスの日記です。

通商条約締結後は領事館は横浜に移りました。

<ソニーデジタルα55>
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