翌朝、船は最終目的地の軍艦島に向かって出航しました。
軍艦島は1810年頃に石炭が発見され佐賀藩が小規模に採炭を行っていました。
1890年頃から本格的な海底炭鉱として操業が開始され、出炭量が増加するにつれ人口が増加し日本初のコンクリート製の高層集合住宅などが造られて、最盛期には5300人の人が生活したそうです。
正式名称は端島。形状が戦艦土佐に似ているので軍艦島と呼ばれました。
桟橋は小さく、波が荒いときは接岸出来ません。
無事上陸出来ました。
正面は小・中学校。右側の柱の列は石炭を運ぶベルトコンベアの遺構。
このシリーズを終わります。
SONY α7Ⅱ