ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

安くてウマいもんと料理と旅行と音楽と競馬が好きなサラリーマンの暮らしを、ありのままに綴ります。

「不適切発言」と、暴言の違いは?

2022-04-20 18:00:00 | 思うこと

「田舎から出てきた生娘をシャブ漬けに」
という、吉野家常務の発言は極めて不謹慎であり解任は当然だ。しかもこの発言が、40 万円近い受講料を払って受けるセミナーにおける講師としての発言だけに、セミナー主催者の道義的責任も問われよう。

また今朝は、神戸市水道局職員の発言も報じられた。
水道局の男性職員3人とその上司らが去年4月以降、難病により身体障害がある男性職員(50代)の口ぶりをまねたり、「はげ」や「ポンコツ」などと暴言を吐いたりしたほか、居酒屋で鍋に入ったくずきりを首筋に落とし、やけどを負わせたとの事だ。

これらの報道に際し、当事者のみならず各マスコミも
「不適切な発言」
と表現しているが、私に言わせればこれらは不適切どころの話ではなく、れっきとした「暴言」だ。

暴言を暴言と表現しない理由については、いくつか考えられる。
ひとつは、当事者の言葉をそのまま手を加えず記事にし、報道した。
もうひとつは、クライアントとしての配慮である。

もしその理由が前者であった場合は、その新聞社・放送局の良識を疑う。いわゆるチョウチン記事しか書いた事のない連中ばかりなのだろうか。
そして後者であった場合、それが事実であればいよいよこの国のマスコミに正義はない、という事になる。
新聞社も放送局も、民間企業である以上その収入の多くを広告に頼っている。そのため、黒いものでもクライアントが「白だ」と言えば白で報じてしまう。

そんな事を繰り返しているからこそ、新聞社は部数が減り、TVの視聴率も伸びないのだ。
既存マスコミはその役割の多くをネット、スマホに奪われたと嘆いているが、ユーザーは既存マスコミが報じてくれない真実をネットで探しているだけなのである。

報道とは「人の道に報いる」が語源。
人の道に照らし合わせせて、仮にそれが明らかな暴言であれば不適切発言も勇気をもって「暴言」と報じられないものだろうか…?