ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

安くてウマいもんと料理と旅行と音楽と競馬が好きなサラリーマンの暮らしを、ありのままに綴ります。

「自分の事で精一杯なヤツ」が、多すぎる。

2022-04-04 18:17:04 | 思うこと

(写真は、イメージです)
情報の流布にあたるため仕事の話はここでは書かないようにしているのだが、どうしても世に問いたい事がある。

「なぜ、自分の事で精一杯なヤツばかりなのか?」

まず、職場にかかってきた固定電話を取らない。
若い人の中には、本当に固定電話が怖くて取れない人が居ると聞く。
しかし固定電話にかける側としては、いきなりその人の携帯にかけるのはプライバシーへ予告なく踏み込む事になるので、固定電話にかけるという行為はその人の職場の誰かが取ってくれるのでは?とワンクッション置く配慮なのだ。
確かに、誰からの電話か分からないのが怖いという気持ちはあるのかもしれないが、逆に誰に対しても出ていける自分になるために鍛えるチャンスだ。
固定電話に出られない人と敬語を使えない人は、算数のベン図では結構重なっているのではないか?

いや、私が言いたかったのは若者の話だけではない。
中堅もベテランも、鳴っている電話を取ろうとしない。
中堅は「私は忙しいんだオーラ」を撒き散らし、ベテランは単純にベルが聞こえない、もしくは五十肩で受話器に手が伸びない(笑)。
つくづく
「忙しい、という字は『心を亡くす』と書く」
という武田鉄矢チックな事を考えてしまうのである。

電話だけではない。
我が職場では、この54歳の管理職の私が「お茶当番」になってしまっている。
毎週金曜日に部の会議があるのだが、私はそこで総勢9人のコーヒーを淹れている。
もうヒラの時から20年以上やっているのでほとんど伝統芸能化しているのだが、私より若い者の方が多いのに誰もそれを買って出ない。
いや、厳密に言えばコレは業務ではないので、命令は出来ない。だから余計に、買って出てほしいのだ。
54歳部長が淹れたコーヒーを、30代のヒラがさも当然のように飲み、「手伝いましょうか?」などとは誰も言わないカオスな職場なのである。

そして職場の人員削減は来るところまで来て、数年前までは居たデスクもいなくなった。
大昔は
「私の仕事なんて所詮、お茶くみコピー取り…」
なんていう時代もあったが、今はお茶くみやコピー取りに給料を払えなくなったのだ。

で、どうなったかと言うとペットボトルのお茶をアマゾンでボチって職場の冷蔵庫で冷やし、来客のたびにお出ししているのだが、その購入もなぜか私がしている。
なぜ?ボチるぐらい、誰でも出来るやろ?
そして職場の冷蔵庫に常時10本ほどは冷やしているのだが、持ち出した部下は誰もそのぶんを追加で冷やそうとしない。
私はいつも段ボール4箱でオーダーし、ほぼ1ヶ月で消費するため
「ラストひと箱になったら、声をかけて下さい」
と言っているのにそれすらせず、気がつけばストックがあと数本という事もしばしば。

電話に出ない、コーヒー当番もしない、ペットボトルのお茶すら管理出来ない…
そんな哀しい事態は我が職場だけならよいのだが、全国でそのような事は起きているのだろうか?