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俺が小学生の時手を広げ汽車を止めた話し何十年ぶりに聞く

2012-02-06 22:46:12 | 日記・エッセイ・コラム

朝132-56-63夕方125-56-66十時126-50-59朝から正常、今朝目覚ますと九時、昨夜零時半にオカズ食べて一時に寝た、目覚ましたのが九時、途中一度も目覚めない、不思議、昨日もあった、昨日は八時までぐっすり、目覚ますと寝間着のズボン脱いでた、途中目覚まさないから覚えない、九時からパン焼き、牛乳飲み、納豆パンに乗せて朝食、終ると十時過ぎた、十二時半に昼の弁当買にマルナカに、食べ終わり一時半、車に乗ると目なお痛くなり目開かない、目の奥に何かある感じ、ひどい、十九日倉敷行く切符買いに駅に、往復買う、一日駐車場借りる券貰う、帰って三時雨少しぽろぽろしているが123%につられて歩く、今日は足重く息切れしながら途中一回休み歩いて三木の側まで来た、三木と綿の事話していると焼けた三ぽう会社の事と聞くのでそうだよ、会社森の岩のとこに有ったと言ったらそういえばあそこに何か飾った物があったといった、又はとで六人怪我した者の一人思いだせない、と言えば昭チャンけがして付いているのに大変だった、谷のやっさん亡くなり内は両方とも関係あり大変だったと言った、三ぽう、昭チャン、やっさんの名前思い出し、また昭和六十年の時は二十四、七軒綿屋関谷にあったからわた神社建てたと言って居た、原綿に打ち込まれた番号付の弾のことも教えてくれた、三十分くらい話しして痛い足を我慢しながら家まで歩いた。今も目痺れて開かない。関谷の綿屋のこと少しづつ足していっている。十ペイジくらいの小冊子にはなるだろう。