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七福神社に明治の綿会社の出資者を探しに

2011-11-11 22:43:10 | うんちく・小ネタ

朝149-70-64夕方173-73-68病院九時に121-64-72今十時141-61-65今両頬痺れている、朝六時半に起きてお茶のスイッチ、血圧計ると130台、八時に家を出てリハビリに、左手握力19あった、八月は8大分回復、帰るとJA事故係から書類来ていた、現場の略図見ると住宅地図を写した地図、現場と全然違うので一昨日デジカメで撮った現場の写真同封、略図×書いて送った、現場の略図ぐらい正確に書いてこい、午後四時ごろ歩き兼て七福神社に大正五年に建てた玉垣寄付者の名前見にいった、明治の綿会社に出資したわから無い名前六人あった、天気の良い日に行くと小さい字で書いている名前解るかも知れない、明日は昼前木村屋にウドン、牛乳、バナナ買に行く、午後歩かないと身体寒くてたまらない、歩くと身体温まる、村山さんにCDを送る、明治二十一年爆弾で亡くなった六人のうち多田の名前解らなかったが七福からの帰り文子に会い聞いたが思い出せない、話しているとチヨコがユキオと言ったと教えてくれる、怪我した六人のうち四人しか思い出せない、マーちゃんに会ったら聞くか、


関谷の協同店は生協の先取りか

2011-11-04 22:54:59 | うんちく・小ネタ

朝162-79-76夕方146-66-67病院で十時半に131-77-70今十時半133-62-63正常、十一時前に病院から帰る、それから観音寺駅に十七日倉敷に行く切符買に、昼から横内香代子さんに合資会社の出資者の横内を尋ねに一名も解らず、尚義のとこに行く、寝ていたのを嫁はんが起こす、丈衛門の孫でも一人も解らない、胃癌きり、大腸がんきり、又大腸に何かどうでもいいやと言って居た、大分痩せている、それから高倉喜頼さんに、途中で高倉さん(九十何才)協同店の事聞いた、わしなんか其処で買えないのでふるかやに買いに行っていた会員制みたいな店だったらしい、高倉さんとこ系図あるがその高倉は無いと虎やんきの方は、両方とも無い、仕方なく次に石川實さんきに、尋ねるが一軒も解らない、今日は一つも解らない、協同店だけ、實さんの奥さんステントいれ、ペースメーカ入れている元気に庭の手入れをしていた、八十三とか、四時過ぎに帰る、動きすぎたか胸痛くなったり苦しくなったりする、四時ごろより背中熱くなる、今も温かい一時は汗が出た、インフルエンザ打った朝から熱が続いているみたい、明日西先生に行くから前みたいに全部検査してもらう、二月の検査BNP16の正常今80幾つある、バイバス手術上手くいっているのかな。明日キリちゃんに尋ねに行く、


関谷の綿屋の事

2011-11-03 18:01:44 | うんちく・小ネタ

午後から竹本さんに聞きにゆく、西原の庄やん石川数太郎に頼み込んで働かせてもらう、それで仕事覚えて綿屋になった、そこに中村さん来て庄やん背は小さかったが中々の伊達男だった、数太郎はんの所で働いていた、それから綿屋をやり始めたと言った、よく風呂に入りにきていたといった、また関谷に共同店が昭和の初めまであった、今のスーパーみたいな店か、宝田佐吉、源さんの親箕浦から牛一匹つれて関谷にきて数太郎のとこで働き、数太郎から金借りて田圃だった所に家を建てた、横内丈吉 善左衛門さんの所いま東京に行っているとこ、横内興市も解るが今日は五軒くらい出資者の家わかる、田辺関谷に一軒松尾の横にあり十一号線で取り壊しといったが知らない、あのあたり全部知ってと思っていたが思い出せない。


続 明治の関谷の綿会社の出資者

2011-11-02 21:14:18 | うんちく・小ネタ

この会社は三豊合資より前に設立された会社です。 黒田圓治六十円、多田菊治六十円、多田庄吉六十円、合田吉治朗六十円、中村喜太郎六十円、寳田佐吉六十円、石川森太郎六十円、横内音吉六十円、山下亀吉六十円、山下孫八六十円、石川瓊吉六十円、薦田徳治四十円、石川文太郎四十円、土田楡治四十円、横内京助四十円、石川大吉四十円、横内愛之助四十円、土田儀造四十円、中村清治四十円、中村伊太郎二十円、土田氏三郎四十円、後十人くらい。綿屋が金出して作っていた風呂の場所がわかりました、工場帰り風呂に入り帰っていたと九十才の人が教えてくれた、西原の庄やんは風呂のかえり髪に風当り髪がばらばらになるのを嫌い家まで風が当らないように手拭を頭の側にかざして帰っていたと言いました、おしゃれな人だった、大野原から来た、関谷の色々な事公開出来ないことを教えてくれた。頭はっきりしていますが出資者は七八人くらいしか解らない三豊合資より前の会社です。また書く


明治の関谷の綿会社の役員解る

2011-11-01 21:28:06 | うんちく・小ネタ

業務擔當社員の氏名 薦田芳平九百二十円、横内丈衛門 六百円、石川孝治三百五十円、石川大吉三百円、石川数太郎三百円、山下喜三郎三百円、石川磯五郎三百円、横内興市出資無し、薦田勝治二百六十円、横内丈吉出資無し、高倉定平百円、以上が責任出資額、場所は番戸ですので現在の番地と違います、石川数太郎と一番違いです、資本総額七千弐百四拾円他に出資者二十人位います、調べて書きます、設立明治三十五年より前です、豊浜の姫浜に明治二十年代に設立された綿会社があります、会社名も創業者も解っています、どうして豊浜の人達は豊浜方が古いよと言っているのに調べないで関谷の綿会社を勝手に解釈して発表するのか、西原は綿の資料館で綿の歴史を教えているとか、調べて教えているのだろうか、関谷の綿屋に調べに来たとは何処の元綿屋でも来たとは言わない、現在からみて勝手な事を教えたら困る、今日の関谷の綿めぐりも出鱈目だ、少しは調べて教えろ、観音寺市も観音寺市だ調べもせずに綿の事を言っている者に補助をしているのだろう。