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堀切まで四往復 足疲れた

2011-11-30 22:53:59 | 日記・エッセイ・コラム

朝128-60-71夕方147-65-65今十時141-62-66朝六時半に起きてお茶のスイッチ、布団に潜る、九時前まで、やっと起きて朝飯、終ると十時前、山本の産直市に薩摩芋買に芋食べると血糖値上がると解っていても便が出ないのは気持ち悪い、一時過ぎ綿会社の出資者番地から見て堀切の土田さんくらいと思い出かける、恒夫さんにより聞く、名前知らない、表に出ると井原さんに声掛けられる、十年ぶりくらいに会った、九十才との事元気そうに庭で歩いている、堀切でゲートボールしているとの事関谷にはもうする人が居なくなったと言って居た、家に帰りそうだ龍雄さんにと思い又出かける、居ない帰る、そうだあそこまで行ったのだから田邉にと思い魚屋に行くが家ない、お墓の向うに名前あったと思い行く、居ない帰りに堀切のお墓を見ると高倉とあったので中に入りみる、福治さんのお墓、高倉は堀切の出か、思いながら帰っていると井原さんと会う、田邉は壊した家の前の家でやっていると聞きもう一度ゆくが呼び鈴押しても出てこない、帰りに井原さんに前に車あるけど出ない、言ったら身体悪いから出られないのだと言った、横に居た足の悪い人はと聞くと前の家にいますよ、又其の家に車椅子で出てきた、田邉の名前見せると知らない、帰りに井原さんの前で庄やんの息子の嫁さんに会う、工場の二階から袋たらして下の実取り器に二階から綿を入れて下の実取り器に落としていた綿は何処から買っていたと聞くと私観音寺から嫁に来たので知らない息子が五時過ぎに帰るから聞きにおいで、帰ってポケットを見ると出資者の名簿落としてない、又探しに、西原の前等の家の後に落ちていた、何とか歩いて帰る、足は痛くなるし汗が出てきた、少し休んで血圧計る115低い、歩く運動は身体に良いか、風呂に入ったのと同じ数値だ、今でも背中暖かい、最近右足の付け根が痛い、揉むとなおるが歩くと痛くなる、前立腺関係の可能性あるか。土曜に採血したPSAの結果を西先生に聞きにゆくから尋ねてみる。


久しぶりにゴルフの練習に行く

2011-11-29 22:46:08 | 日記・エッセイ・コラム

朝134-59-67夕方159-72-67今十時過ぎ144-63-65室温十七度六時半に起きてお茶のスイッチまた布団にもぐりこむ、うとうとして夢をみた、八時半に起きる、朝食パン、牛乳、納豆、バナナ食べすぎかな、パソコン触って直ぐ昼、オカズパックで五品、下剤朝から飲むも便出ない、昨日も出てない、昨日は朝九時に出てかき焼きを食べに行った、(鎌倉本家)今日昼過ぎても出ないので腹の運動にと思い、母神に打ちに行く、アイアンは九番で打った、ピッチングの距離、七番ウッドは握れない、薬指、小指がクラブ握れない、スペル、ドライバーもグリップ握れない、百四十くらいしか飛ばない、クラブ重くて振れない、あれだけ腕のリハビリしているが重い、付加三キロを押しているが力付かない、昨年十二月から四月までゴルフ休んでいたが普通に飛んでいた、心臓手術はあちこちに影響するんだ、息切れはしない、クラブ振れないし、振りかぶれない、右腕に力ない、帰って便少しでるが固まって痛い、あれだけ水分とり、下剤飲んでいるのに便硬くなる、水分が腸に行ってない、何処かに逃げている、パソコンの前に座っていると膝が痛くなり、両足膝から下が物凄く重くなる、目も変になり打ったボールが見えない、夜風呂に一時間くらい浸かっていた、今日は暖かい、昨日からヒータ掛けてない、歩くと腸の調子良いみたい、東京から帰ってからコタツ出すか。十四日四時半から中学の忘年会、出席できるか、東京駅を早くでることにしてみよう。


私の既往症 被殻陳旧性ラクナ梗塞

2011-11-28 22:46:21 | 日記・エッセイ・コラム

朝144-62-69夕方162-64-66今十時過ぎ153-69-69高い、三木町まで行ってきた、車運転していて目が見ずらい、目を細めて観ないといけない、今日は曇っていて見えなかった、四五日前から急速に目の調子悪くなっている、脳梗塞の前触れか、夕方三豊で入院の診断書もらう、既往症右被殻陳旧性ラクナ梗塞とあった、脳梗塞の既往症だ、平成十三年に車運転していて目が真っ黒になり見えなくなった事が月に三回あり、眼科、脳外科と行き虚血性何とかの病名もらい血液さらさらの薬を飲みだした、十年前の事である、高石さんこの事があるから三豊で先にCTをとれ、と言ったのだ。最近の身体の状態から見て脳梗塞になる可能性大か、今顔、右手痺れている、目が見えにくい、造化機論の資料早くミュウジアムに寄付しとこう、目細めて観ると良く見える、最近食べ過ぎ腹が出てきた、関谷、和田浜の綿の資料早く探して誰かに渡そう、薦田先生の親が関谷に建てた綿屋も探さないといけない、俺しか出来ない仕事、十二月東京に行くが最後にならないように、身体に気を付けること、心臓に気を取られすぎだった、明日は美枝子の旦那に電話してちゃんと話しを付けよう。仕事一杯出来ている、一つ一つと病気みたいに片付ける。


体力無くなったか、横になると直ぐ時間経つ

2011-11-27 22:42:04 | 日記・エッセイ・コラム

朝154-65-69夕方154-65-68十時過ぎ、121-52-68温かいから正常、合田先生に飛込み尋ねる、合田太太郎旦那の祖父と解る、七八年ぶりに会ったから俺の顔覚えていない、親父の名前言ったら娘婿に同じ学校で教師していた、俺にアンタ帰っているのだと、百二歳では仕方ない、俺が家に入ると奥から見えて起きてきた、土田さんに行くが車あり、電話しても出ない、戸は開く、洛南に電話、退院、何処にと思い万太郎の家に掛けてみる、繋がった、小田の奴結婚して何にもせずに美枝子が早く亡くなったので何億もの財産手にいれた、それで叔父の墓見ないお寺に預けた、明日電話して万太郎に掛けた費用請求する。相手が金があればどんな女でもよかったのだ、そんな奴だから電柱から落ちる、半身不随になって老後の金出来た、これも生き方、今日は出資者を調べに三軒回ったので歩き止める、足軽くなり上がる、おかしいな痩せたのか、軽いが歩くと直ぐ膝、足の筋肉痛くなる、少しなら早く歩ける、午後三時ごろ等に電話、歩けなくなった、杖を突いてなんとか歩くが部屋では壁を伝って歩いていると言った、横内姓は等知らない、宗ちゃんから電話掛かってきたと言ったので、次に宗ちゃんに掛けた、長く話したが爆弾の怪我した人間六人だが一人思い出せなかった、中村太一と言った、等に年賀状書いてない、家の中で座っているだけになった、俺はならないように少しは歩くよ。


年賀状書き終わる

2011-11-26 22:41:54 | 日記・エッセイ・コラム

朝139-62-68夕方144-67-73今十時143-66-62今外に出たから上がる、両目の奥が痛い、目を細めて観るになる、年賀状書いたから目が疲れたか、観音寺駅に行き十二月十日の東京行き岡山十時四十九分の指定席に変えてもらう、東京に十四時過ぎに着く、新宿までゆっくりと行ける、携帯のメールアドレス変えたい、変なメール日に二十通ぐらいくる、明日auに行き対策考える、何処から漏れたのか、俺に馬鹿みたいな話し持ってくるとは、明治三十年代の関谷の綿会社の出資者の黒田さん、黒田ユキノさんに電話して聞く、祖父の名前との事、明日土田系統に尋ねてみる、三豊から昨日電話入っていた、保険の事だろう、月曜日貰いにゆく、十月二十五日後期高齢者の検診に行ったが俺は採血されなかった、二三日前に三豊で採血したばかりでしないのだろうと考えていたが送ってきた用紙を見ると採血したようになっている、血液の数値が半分書きこまれている、市の健康増進課に電話月曜にしてやる、出鱈目をやったらいけない、午後三時から歩きだす、休まず歩き二十五分で回る、頭ふらふらも大分治った感じ、明治二十年代の和田浜の綿会社の資料と薦田先生家の関谷に建てた綿会社の資料二つ見つかるとよいが、見つかれば関谷の綿屋と豊浜の綿屋がお互いに出資していたことが解る、関谷にとって豊浜の綿会社の方が古いのだから関谷、関谷と言えなくなるか。