Los viajes de las Gorlondrinas

旅行の備忘録として利用しています。

台湾旅行 4日目その2 早暁の台北から金門島へ のその2・・・

2010-11-27 23:10:03 | 再びのスペイン2005
先ずは空港内をうろうろ・・・。宿泊や観光のヒントを探そうとした。とりあえず、島内の地図がメインの観光案内を入手。島の中心で宿泊施設の多い地域に行くか、大陸に渡る最初は金門島で宿を取り荷物を置いて大陸に渡りたいと思った。
持ち物で入国に引っ掛かったり、治安に一抹の不安があったからだ。尖閣諸島の問題で日中間の外交がこじれていて、中国内では散発的に反日デモも起こっていた。しかも私の中国語は台湾の旅ならなんとかなるが、チョー適当でヒアリングはほとんどできない。
しかも初めて行く国には必ず持参していた地球の歩き方を今回は持っていない。「じゃあ、行かない。」と判断するのが普通かもしれない。しかしそれでも足を踏み入れたいのが私の性(さが)なのだ。もしも家内も一緒ならば、この行き当たりばったりの旅行は成立しなかっただろう。
私の第一の希望は“大陸”に渡ることなので空港からとりあえず、大陸へいく船が発着する埠頭へ行くことにした。もし近くに宿を取れるならば宿を取るつもりでいた。
タクシーに乗る。たしか、メーターはなかった。ドライバーのおばちゃんは業務無線のようなものと2台の携帯電話でまくし立てるように話し続けていた。そんな具合だからハンドル操作は少々ユラユラした感じだ。本当にちゃんと着くのか?!
当然不安だった・・・。
しかしおばちゃんは私を埠頭に送り届けてくれた・・・。
しかし・・・、寂れた感じでここから果たして、国境を越えるフェリーが出るのかぁ・・・。
明らかに近隣地域へ向けた船着き場がある。そしてもう一つの船着き場というと・・・。やっぱり寂しく小さな感じ・・・。ひょっとしてオレが間違ってタクシーのオバチャンに説明をして間違った船着き場に連れて来てくれたのか・・・。
まぁいいや、とりあえず施設の中に入ってみた。おやおや・・・、銀行の両替のブースがいくつもある・・・。台湾元→人民元のレートが表示されている。ぉっ・・・電光掲示板を見ると・・・あれが中国側の地名なのか?!?!このちょっと寂しい施設から入出国手続きが行われるのか?!?!う~ん、不安だ。外に出るとまったく町らしく無く、ホテルなどもどーも無さそうだ。
もしも行けるならばここから大陸に渡ろうと気持ちを徐々に固めて行った。
しかし行けるという確信が持てない・・・!!ということで観光案内のお兄さんに中国語で聞いてみた。「オレ、日本人だけど、中国に行けまっか?!」、彼は行った。「行けるよ。向こうで◯☓◇△買って◇■^^▽△・・。」おっ、行けるらしいか・・・。しかし掲示板の行き先の地名と、地球の歩き方の地名とが実は違っている・・・!

プラド美術館に入場 2005年11月

2010-09-10 10:35:47 | 再びのスペイン2005


ゴヤ門を過ぎベラスケス門へ向かう途中、来た道を振り返る。向こうにオテル・リッツが見える。



ベラスケス門を望む。ベラスケスの座像が見える。プラド美術館の記念撮影スポットの一つだ。



 プラド美術館には3ヶ所の出入口がある。それぞれゴヤ、ベラスケス、ムリージョというスペインの大家の名前が付けられ、それぞれ画家達のブロンズ像が掲げられている。正面がベラスケス、向かって左がゴヤ、右がムリージョだ。
 通常、正面のベラスケス門は閉鎖されていて、左右のゴヤ、ムリージョ門から入場する。
私たちはシベーレス広場から向かったのだから、ゴヤ門から入場するのが近いのだが、ゴヤ、ベラスケスを過ぎてムリージョ門から入った。先ず最初に見たいと思っていた絵がムリージョ門近くにあるからだった。

プラド美術館に入場するにあたり気がついたことを書いてみる。
・手荷物はX線の検査を受ける。顧客にも空港と同様の金属探知機を通る。
・大型のスーツケースも預かってもらえる(2005、2006年はOKだった。)。⇔ちなみにルーブル美術館は大型の荷物は預かってもらえない。
館内の写真撮影はNG!!(2005年まではOKだった。)⇔ちなみにルーブル美術館は2007年当時、OKだった。
かつては館内での写生もOKだった。ピカソも先人達の名画をプラドの館内で写生したと伝え聞く。
・できれば建物の外観もゆっくり見てみよう。ナポレオン軍侵攻当時の銃弾の跡も見れる。
・地球の歩き方でもよいのでどんな絵が展示されているか予習をしてゆくと良い。

オテル・リッツを経てプラド美術館へ

2010-09-09 14:18:26 | 再びのスペイン2005

Ministerio de Educación y Ciencia の建物C/Alcalá, 34



プラド通り この角を左に曲がるとオテル・リッツだ。






1910とある。ちなみにナポレオン軍によるマドリード侵攻は1808年だった。






プラド通りの花屋さん。まだあるかなぁ。




 私達が泊まったオテル・レヒーナはアルカラ通り沿いにあり、プエルタ・デル・ソルとグランビア通り、プラド通り、アルカラ通りが交わるシベーレス通りのほぼ中間にある。
 ここからプラド美術館に行くにはいくらでも近道があるのだが、安全のこと、オテル・リッツを見たいという希望がありシベーレス広場を経てプラド通りを経てプラド美術館に行くことにした。

トレドからマドリードへ

2010-09-08 11:05:35 | 再びのスペイン2005



ZOCODOVERがソコドベールです。Estación Bus がマドリード他へ向かうバス駅です。



ソコドベール広場の様子











                Estación Sur de Autobusesに到着。






マドリードのオテル・レヒーナに帰ってきました。これからブラド美術館に向かいます。



2005年11月、一泊だけのトレド滞在。今日はマドリードに移動してプラド美術館に向かう。
先ずソコドベール広場に向かい5番のバスに乗る。旧市街の門をくぐり山を降りる。
トレドからマドリードまでは当時、バスが便利だったが今でもそうではないか。バスは便数が多いうえ、安い。時間も30分ぐらいだ。
マドリードではアルカラ通りのオテル・レヒーナに泊まる。日本からマドリードに入った時もレヒーナに泊まったので、また帰ってきたような形だ。
さて、2005年当時、トレドからのバスはマドリードの南バス停(Estación Sur de Autobuses)に着いた。南バス停はメトロのMéndez Álvaro駅に直結している。Méndez Álvaroはメトロの6番線でホテルがあるSevilla駅は2番線にある。
今は少しマシになったようだがマドリードは日本人観光客にはタフな町で、地下鉄は観光客を狙ったスリや強盗が非常に多かった。私たち夫婦は2004年にホテルの入り口にスリに遭いいったん取られたが奪い返したということがあった。旅行用のバッグを持って評判の悪い地下鉄に乗ることは私達にとってちょっとした冒険だった。
しかし、平日の午後の地下鉄は平和そのものだった。危ない気配は全く無く、ホテルに着くことができた。

☆現在、マドリードからトレド行きのバスはPlaza Elípticaのバスターミナルから出ています!!

トレド 朝の様子

2010-09-07 12:12:25 | 再びのスペイン2005











ソコドベール広場 ここからトレド旧市街の旅が始まったという方は少なくないだろう。




トレドの名物マサパンとても甘い。


「トレド観光は日帰りでも・・・。」と言われることがあるが、日帰りでも一泊でももったいないと思う。私達も午前中にはこの街を発たなければいけなかった。
 時間を惜しむように短い時間の散策を楽しんだ。

メスキータ・デル・クリスト・デ・ラ・ルス =トレド=

2010-02-04 09:06:39 | 再びのスペイン2005


なんとかメスキータ・デル・クリスト・デ・ラ・ルスに到着。






































 朝食後からマドリードに発つ前にクリスト・デ・ラ・ルスに行くことにした。
限られた時間、分かりにくい迷路のようなトレドの街、辿り着くかが心配だったがなんとか辿り着くことができた。
その起源は999年とのことでトレドに残る最古のイスラム教の建築物だそうだ。

 この建物は小柄だががっしりしていて、清楚な雰囲気も感じる。
天井を見上げるとマホメットと思しき人物が描かれている。とても優しそうなお顔をされている。
あの身近で優しそうなおじさんのお顔こそ、私がイスラム教に抱くイメージのひとつだ!

 また眺望も素晴らしくぜひ、いつか訪れてみたい。

朝食から散策へ = トレド =

2009-12-16 10:34:07 | 再びのスペイン2005
2005年11月9日 今日は午前中にトレドを発ちマドリードを目指す。
内容の濃い一日の始まりだ。


アルフォンソⅥは重厚で贅沢なホテルだった。ここもステキだがいつかパラドールにも泊まってみたい。



朝食はバイキング形式、昨日朝の朝食と比べてデラックスですね^^;



取れるフルーツも盛り盛りだぁ。



日が差してきた部屋からの眺望も素晴らしい!









やっぱり狭小な道。

アルフォンソⅥからの眺望 = トレド =

2009-12-16 09:25:07 | 再びのスペイン2005















「眺望の素晴らしいお部屋をご用意しました。」と言われて鍵を渡された。朝起きてびっくり。朝日に映える大聖堂、トレドの街が美しい!

「ありがとうございました!部屋からのトレドの街の光景を生涯忘れることはないでしょう。」ホテルを出る時、その眺望の感想を伝えて鍵をお返しした。

トレドの夜

2009-12-16 09:14:12 | 再びのスペイン2005


ホテルから食事に出かける前に大聖堂近くに行ってみたライトアップされて偉容が夜のそらに浮かび上がっている。きれいだ~。





みやげ物屋も古都らしい風情が感じられる。



スペインのハムを売っているお店で豚のアシが吊されたり置かれたりする様子を最初に見ると驚くが昨今は日本でもスペイン(風)レストランや食材のお店で目にすることがある。




トレドの小径 マドリードと違ってトレドもセビージャも夜道の街灯があるところであればスリや強盗に遭うことはほぼ無いのではないか。体感的には池袋や歌舞伎町より安心だと思います。






パエージャです^^




PERDIZ A LA TOLEDANA トレド風ペルディス(山うずら)トレドの名物料理のひとつです。ワインなのかなぁ、お酒で煮込んでいます。濃い目ですが日本人にも合う味です。小骨が多い。地元の人達は小骨を食べるのかなぁ、それとも残すのでしょうか。




Natillas Caseras 自家製ナティージャ(カスタードクリーム)デザートです。スペインでは定番のデザートみたいです。



レストランのタイル。




レストランの名前はRESTAURANTE ASADOR LA PARRILLAだと思います^^

一泊だけのトレド

2009-12-15 14:03:54 | 再びのスペイン2005


トレドへは昼について翌朝にはマドリードに発ってしまう。
町の雰囲気、景観、素晴らしい建造物、エル・グレコの絵画・・・。トレドは魅力いっぱいの町だ。残念ながらこんな短い時間でトレドの魅力の多くを味わうことは不可能だ^^;

しか~し。短い時間であってもどの部分をかじったとしてもやっぱりトレドは素晴らしい!!

マドリードからトレドへ行くには鉄道、AVEでも行けるがバスが一般的だ。安いし便数がたくさんある。
トレドのバス・ステーションは旧市街の丘の下にある。そこからホテルへ・・・。
旧市街にあるホテルへ行くなら歩いて行けなくもないが旧市街に入ってから道が分からなくなる可能性がある。
やはりセビージャのサンタクルス街やグラナダのアルバイシンのように戦略上から町の道を狭くし迷路のように入り組ませていた。
バス、タクシーで行くのが良いと思う。バスならばいったんソコドベール広場あたりで下車し、そこからホテルへ移動する。
タクシーもマドリードの運転手さんよりも親切な方が多いだろう。何度か利用したがマドリードのようにメーターよりも上の金額をふっかけられたこともない。

さて、今回私達が宿泊したのはアルフォンソⅥという歴史を感じる重厚な雰囲気のホテルだった。「眺望の良い部屋にご案内します。」と言って頂いたが翌朝、それに感激することになった。

さ~て、それでは町を歩いてみることにしよう。




トレド大聖堂
スペイン・カトリックの総本山だそうだ中にはトランスパレンテ、エル・グレコの聖衣剥奪なの作品が鑑賞できる。
とくにトランスパレンテが私達夫婦の印象に残った。この時は堂内は撮影禁止だったが、翌年に訪れた時は撮影可能だった。










サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会
現在はカトリックの教会だがかつてはユダヤ教の教会だった。カトリック教徒はこの美しい建造物を跡形もなく破壊することはしなかったのだろう。






狭小なトレドの小径




おみやげ物屋さん。