Los viajes de las Gorlondrinas

旅行の備忘録として利用しています。

平山郁夫先生ご逝去 鹿屋航空基地史料館のステンドグラス

2009-12-03 09:02:14 | en Japón


去る12月2日、平山郁夫先生がご逝去された。

ここは鹿児島県鹿屋市にある鹿屋航空基地資料館のエントランス。
資料館に入ると大きなステンドグラスが飾られている。
このステンドグラスは先生の作品である「夕映えの桜島」を元に作成された。

平山郁夫先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ようこそ!鹿児島へ!! =その1=

2009-10-02 10:34:17 | en Japón


ようこそ!鹿児島へ!!  その1^^

ここは港のある山川です。今はとても静かな町で、嵐の時はカツオ漁船の避難場所にもなります。

山川は薩摩半島の南、市の中心部から南西方向、40数Kmにある天然の良港でかつてはここに多くの外国船が入港しました。
スペイン人宣教師、フランシス・コザビエルも一旦ここに入港したと聞きます。

ザビエルは時の将軍、島津貴久に謁見し山口、岩国、堺を経てとうとう念願の京の都に入ります。
その後、彼はふるさとであるスペイン・バスクの山水草木を見ることなく最後は広東省の上川島でその一生を終えました。享年46歳。

今でも日本にはスペイン・バスク出身の宣教師の方がが多くいらっしゃいます。
みなさん、海外布教にかけたその精神を引き継がれているのやもしれません。

気張いやんせ

2009-09-16 12:00:10 | en Japón


気張いやんせ

どげんしてん やらんと いかんこっ(事)がよ
おい(俺)にもわい(お前)にもひとつくらいある
やっせんぼ やっどんからん よかぶいごろの
あげんな きっさねぇ まにゃ(真似)できん
前つんのめりで 生きて行こや
だい(誰)がわり(悪)ぃち 言うもんか

気張れ 気張れ 気張いやんせ
いっと(一度)どま けしん(死ぬ)かぎぃ(ほど) 気張いやんせ

泣こごんなった時ゃ おいげ(俺家)来んか!
ばけ(馬鹿)っしゃれた時ゃ わい(お前)も 向こて行こや
おい(俺)たちゃ どげんしてん 汚れもん(者)
じゃっけど 譲れんもんもあろ

前つんのめりで 生きて行こや
だい(誰)がわり(悪)ぃち 言うもんか

気張れ 気張れ 気張いやんせ
いっと(一度)どま けしん(死ぬ)かぎぃ(ほど) 気張いやんせ


長渕 剛

 ある一時、長淵剛さんの歌を聞いていたことがある。その頃の彼の歌には故郷のことを歌ったと思われる曲がほとんどなかったように思う。そこから数年あまり彼の歌を聞かなかった。
 しかし数年後、再度彼の歌を聞くと鹿児島桜島といった言葉だけでなく薩州薩摩といった言葉まで出てくるので驚いた。
 さらに鹿児島弁のこの歌、気張いやんせやご両親のことを歌った歌まであり、更に驚いた。
 これからも静かに長淵さんを応援させて頂こうと思う。
 

ラ・サール高等学校・中学校

2009-09-04 01:25:52 | en Japón


ラ・サール高等学校・中学校は言わずと知れた名門校だ。
「鹿児島にある。」とぼんやり知る人も多いであろう。
ラ・サール高等学校・中学校は鹿児島中央駅から枕崎線で10分程度の谷山という観光地の香りが全くしない町にある。
谷山は温暖な鹿児島の中にあり静かな町で、こうしたゆったりとした町でアグレッシブな気持ちを保ち勉学を続けるのは難しい人もいるのではないか。

また、「東京から厳しい受験勉強をしてラ・サールに入学する。最初は東京大学を目指していたが鹿児島の地を離れがたく、そのまま鹿児島に居着いてしまった。」という人が校史上、極めて少なくはあるがいるような気がする。

私のかつての上司でラ・サール出身の方がいらっしゃった。
人一倍優しく人情にも厚く、男気もあり、そして「やっぱりラ・サール出身だ!」と思わせるに充分な明晰な頭脳を持たれた方であった。

※鹿児島中央から谷山へは市電でも行くことができます。

おやっとさぁ =鹿児島空港=

2009-06-05 12:10:15 | en Japón


鹿児島空港から各地に向かうにはバスが一般的だ(電車が無いものですから^^;)。

山川行きのバスにはまだまだ時間があった。
だからといってがっかりすることはない。

それはそれでラッキー☆
おやっとさぁでゆっくりして行こう。