Los viajes de las Gorlondrinas

旅行の備忘録として利用しています。

サント・シャペル

2009-09-30 12:53:02 | パリの空の下 Sous le ciel de Paris








サント・シャペルはノートルダム寺院から徒歩で行ける。
その素晴らしさは分かっている。しかし、2日前にパリに入って以来というもの体調が悪くどうも気分がすぐれない。
そのせいもあろう、この建物の中が窮屈で重苦しいとずっと感じていた。「あぁ、アンダルシアに帰りたい。」と肩を落とした。
また、この建造物はステンドグラスが有名だが裁判所といっしょになった重厚だがほのかな華やかさ備えたその外観も素晴らしいと思う。

パコさんに会いに・・・

2009-09-29 13:40:10 | 再びのスペイン2005
2005年11月7日、私達はセビージャから日帰りでカディスを経てベヘール・デラ・フロンテーラという町を目指すことにした。
大きな目的は土産物屋のパコさんというおじさんに会うためである。


ホテルのあるサンタクルス街からバス・ステーションを目指して



アンダルシア方面へのバスが多数発着するプラド・デ・サンセバスチャンバス・ステーション。アンダルシアの旅はバスが中心になる。



このバス停には色々な人達が往来する。
我々のような旅行者、地元の人達、教会のシスターをはじめとする聖職者、アフリカ系の人達・・・。




バスステーションのホーム。たくさんの発着場所があるので注意しておかなくてはいけない。



バスの中はこんな感じ^^;
ほとんどの場合、地元のラジオが流れている。










ティッシュが詰められていても、い~いんです^^;


スピーカーがポロリ。でも、い~いんです^^;




ヘレス付近にて。空港があり飛行機が飛び立っている。
ヘレスと云えばGP250の日本人のライダーでヘレス・サーキットでの事故で他界された若井伸之選手を思い出す。
彼は予選中の普通では考え難いあまりにも残念な事故で頭部を強打。その後セビージャの病院に搬送されたが帰らぬ人となった。享年25歳だった。
その後の決勝で同じ日本人ライダーである原田哲也選手は他を圧倒して優勝。
レース後、原田選手は表彰台に上がれずバイクに乗ったままで号泣し続けた。
原田選手は若井選手からWGP(世界選手権)の素晴らしを説かれてWGPに参戦をしたとも聞く。
ヘレスサーキットには彼を偲びフラミンゴの像がその後建てられた。志半ば、25歳アンダルシアの地で散った若き彼のことを思うと涙が込み上げて来そうだ。いつかこの地を訪れてみたい。

ロス・ガージョス = 8 =

2009-09-29 01:30:28 | 再びのスペイン2005
















フラメンコは素晴らしいと思う。パフォーマンスの中では力強さ、優しさ、心からにじみ出る悲しみ、憂い、喜び、明るさ、燃え上がるもの、色々なものが表現される。今度、サンタクルス街を訪れるのはいつになるだろうか。
そうしたらまたここを訪れてみたい。

気張いやんせ

2009-09-16 12:00:10 | en Japón


気張いやんせ

どげんしてん やらんと いかんこっ(事)がよ
おい(俺)にもわい(お前)にもひとつくらいある
やっせんぼ やっどんからん よかぶいごろの
あげんな きっさねぇ まにゃ(真似)できん
前つんのめりで 生きて行こや
だい(誰)がわり(悪)ぃち 言うもんか

気張れ 気張れ 気張いやんせ
いっと(一度)どま けしん(死ぬ)かぎぃ(ほど) 気張いやんせ

泣こごんなった時ゃ おいげ(俺家)来んか!
ばけ(馬鹿)っしゃれた時ゃ わい(お前)も 向こて行こや
おい(俺)たちゃ どげんしてん 汚れもん(者)
じゃっけど 譲れんもんもあろ

前つんのめりで 生きて行こや
だい(誰)がわり(悪)ぃち 言うもんか

気張れ 気張れ 気張いやんせ
いっと(一度)どま けしん(死ぬ)かぎぃ(ほど) 気張いやんせ


長渕 剛

 ある一時、長淵剛さんの歌を聞いていたことがある。その頃の彼の歌には故郷のことを歌ったと思われる曲がほとんどなかったように思う。そこから数年あまり彼の歌を聞かなかった。
 しかし数年後、再度彼の歌を聞くと鹿児島桜島といった言葉だけでなく薩州薩摩といった言葉まで出てくるので驚いた。
 さらに鹿児島弁のこの歌、気張いやんせやご両親のことを歌った歌まであり、更に驚いた。
 これからも静かに長淵さんを応援させて頂こうと思う。
 

ロス・ガージョス =6=

2009-09-12 22:05:48 | 再びのスペイン2005












若い踊り手には若い踊り手にしかできない踊りがある。
しかし、年齢を重ねた者だけができる踊りがあるのも事実だ。

「人はいくつになっても輝いていられる。」そんなことを教わったサンタクルス街の夜。
私も輝き続けることができるだろうか。そうありたいものだ。

ラ・サール高等学校・中学校

2009-09-04 01:25:52 | en Japón


ラ・サール高等学校・中学校は言わずと知れた名門校だ。
「鹿児島にある。」とぼんやり知る人も多いであろう。
ラ・サール高等学校・中学校は鹿児島中央駅から枕崎線で10分程度の谷山という観光地の香りが全くしない町にある。
谷山は温暖な鹿児島の中にあり静かな町で、こうしたゆったりとした町でアグレッシブな気持ちを保ち勉学を続けるのは難しい人もいるのではないか。

また、「東京から厳しい受験勉強をしてラ・サールに入学する。最初は東京大学を目指していたが鹿児島の地を離れがたく、そのまま鹿児島に居着いてしまった。」という人が校史上、極めて少なくはあるがいるような気がする。

私のかつての上司でラ・サール出身の方がいらっしゃった。
人一倍優しく人情にも厚く、男気もあり、そして「やっぱりラ・サール出身だ!」と思わせるに充分な明晰な頭脳を持たれた方であった。

※鹿児島中央から谷山へは市電でも行くことができます。