Los viajes de las Gorlondrinas

旅行の備忘録として利用しています。

台湾旅行4日目  とうとう厦門に到着

2010-11-29 23:52:49 | 台湾 旅の走り書き 2010 NOV
東渡の港湾施設はとても大きく、しかもきれいだった。規模でいうと晴海、横浜の大桟橋を上回っていた。写真を撮りたかったが国情がわならないだけに遠慮した。いよいよ、緊張の入国手続きだ。入国カードを手にする・・・。
・台湾の空港と同じような大きな耳の垂れたビーグル系の犬のおまわりさんがいた。
あれっ?!カードは横形でデザインもとてもスマートなものだ。記入も分かりやすい。台湾、モロッコの入国カードに比べて随分洗練されている。ついでに言うと入国カウンターも台湾に比べてカッコいい。カウンターでは顔写真を撮る。予想に反して入国は随分スムーズだった。しかも担当してくれた職員の方はとてもフレンドリーな笑顔を向けてくれ、これも意外だった!ふと思ったのは日本ではギクシャクした日中関係が繰り返し報じられいるが、中国の大方の人とは関係のないことなのかも知れないと思った。さて、入国手続きを終え、港湾施設のロビーに出るとすぐに旅行会社や食べ物を売る店舗の人達の私へのアタックが始まった。その勢いは台湾のそれより遥かに上だ。やはり台湾の人達の方が奥ゆかしいのであろう。みんな元気に私に声をかけてくれるが何をいっているのか残念ながら理解できない。とりあえず大陸に来たが何もわからず心細くなった。実はこのまま愛しの台湾に戻ろうかとも思ったが、気持ちを絞り出しさらにロビーをうろうろした。こうした場所には必ず観光案内があるが・・・。あった・・・。とてもかわしらしいイラストが載ったとても頼りないもので失笑した。
うぅ~ん・・・。このイラストの中でオレはどこにいるんだ?!分からないのでこの施設のインフォメーションのコーナーと思われる場所で男性に聞いた。「ここだ。」と指で示してくれた。この地図を見るとピアノを弾く女の人が描かれた島があるが、これはたぶんコロンス島だろう。つーことはここからコロンス島へ行くフェリー乗り場はそれほど遠くないのかもしれない・・・。
そして観光案内所の女性に聞いてみた。「我想去コロンス島(コロンスダオ)」と例のイラストを指差しきいてみた。ウムッ・・、“コロンスダオ”ではどうやら通じないみたいだ。何と中国語で言うのかと聞いたところ「グーランユゥー」と答えてくれた。日本での通称コロンス島が鼓浪屿と言われることを知るにはまだ少し後になる。例の地図を指差し、鼓浪屿への船が出るところへ行くバスはどこから乗れるかを聞いたところ彼女は教えてくれた。また台湾ならばこうした窓口に英語を話す人がいることが多いが彼女は英語も話せたがかな~り・・・、ほんの少しだった。彼女にお礼を言って乗り場を目指すことにした。さて、ロビーを出て周囲を見回すとずいぶん大きな建物がそびえている。中華人民共和国福建省厦門とはこんなに開けたところだったのか!
彼女が教えてくれたあたりを見るとバスは来る様子がない。
結局タクシーで船着き場を目指すことにした。
中華人民共和国での初タクシー。不安だ・・・^^

台湾旅行4日目 その3 国境を超えて中華人民共和国へ!! 行き当たりばったりの旅・・・。

2010-11-28 22:06:35 | 台湾 旅の走り書き 2010 NOV
地球の歩き方を見ると金門島から出て厦門に着く埠頭は五通と和平の2つがあるらしい。タイムテーブルの掲示板を見ると五通、東渡、石井の3っつがある。アモイの中心に行くにはどうも和平が良いようだが、実際に金門の船の乗り場に来ると和平行きが無くなっているようで困ってしまった。五通はとりあえず地球の歩き方に載っているが東渡は無い。五通は空港の近くとのことで中心とは離れていそうだが間違い無くアモイに着きそうだ。そして東渡はギャンブルだと思った。最短で出発するのは9:30の東渡行きだがすでにチケットの販売は終わっていた。一方で五通行きは約1時間半後の11時発。次の東渡行きは10時30分発 本当はギャンブルをせずに30分遅らせて五通に行ってもよかったが、大陸に着く時間を少しでも長く取りたいと思ったことと、帰りの便が多そうなので“地球の歩き方”には載っていなかった東渡行きの船に乗ることにした。窓口で東渡(ドンドゥ)?と聞かれて「対、対、対。」と答える。出国の手続きはどこでするんだ・・・?と思いつつ、求められパスポートを提出。発券には少し時間がかかった。未成年と思われる。男性がパスポートのデータを打ち込み発券してくれた。チケットには私の名前が刻まれていた。帰国して冷静にチケットを見るとビミョーに誤入力をしていたので失笑した。
支払いでお札を差し出し戻ってきた釣り銭がチケット代を考えると少ないように思った。しかしチケットと合わせて受け取った青い紙片を見て合点した。「金門港通関中心旅客服務費」なるものが100元も徴収されていたのだ。これでチケットは買ったが出国手続きはいつするのだろうか・・・?そもそもオレは出国できるのか?疑問や不安の中、乗船時間を待つ。そして台湾元から中国元に両替をした。初めて手にした中国元の一部のお札はきっちゃなかった。モロッコの紙幣を思い出した。
やがて乗船場が開門され入ってみると荷物の検査場とここでようやく出国手続きの窓口があった。乗船客は出国手続きが始まるのを待っている。
やがて出国手続きが始まる。旅行者である私もパスポートを提出するとスムーズに手続きは済んだ。パスポートを見ると中華民國 出國のスタンプが押してある。乗船場に進むと小さいながらブランド品を売る免税店があった。写真を撮ろうとすると職員の方々制止され、それに従う。私もよくわかっていないのだが、たとえば台北なの桃園国際機場では写真の撮影を禁止されている。しかしよほどでないと撮影しているところを制止されることはない一方でこちらはそれを遵守させようとする意識が強いようである。やがて乗船。船内は日本の地方の乗り合い船と同じような風情である。私は船首に向かって左側、先頭窓側の席に座った。
船はけっこう高速だ関西新空港から神戸空港までの高速艇に乗ったことがあるが、速度はあれの7割程度のスピードか。空は相変わらずの晴天だ。
波を切り時折、大きく揺れて船は進む。お坊さんのかっこうをした人が隣に座っていた。
金門島を出て対岸は見えているが港湾施設のようなものがいっこうに見えて来ない。いまさらながら思う。「失敗したか?やっぱり間違った船にのったか・・・。」しばらくすると湾の奥に進んでいるように思えた。向かって左手に大きな橋が見えて来た。どうも向かって左手の方が栄えているようだが船は右手の湾奥に向かって進んで行く。なかなか埠頭のような所に着かない・・・。アモイの中心にあわよくばコロンス島に行きたいと思ったが外してしまったようだ。
そうこうしているうちに港に接岸。金門から東渡まで約1時間の船旅。思いの外長い航行だとおもった。やっぱり間違ったか・・・。いよいよ中国大陸。3年ぶりのユーラシア大陸、初めての中華人民共和国、多くの台湾にいる人達のリーツがある福建省に来たのだ。船に乗っている時から義勇軍行進曲が流れていたが、更に気持ちは高ぶってきた。
さて、実はこの東渡の港湾施設は私の想像を遥かに超え美しく大きく驚いた!!金門のしょぼい施設とは比べものにならない!東京の晴海埠頭よりはるかに大きく立派な施設だ!!接岸した場所には警察っぽいきっちりとした制服を来た男がいる。共産圏に来たという気分が高まる。さ・て・と・・・。入国できるのか心配だ。入国できず、あっさりと「台湾に戻れ。」ということになるかもしれないと思った。しかし船は接岸してしまった。後に下がることはもちろんできない。
どうなるんだオレ・・・。

※地球の歩き方の金門―厦門の船の情報は和平が無くなり東渡が新設されていたり、時刻表も現在とは全く異なり、ほぼ当てにならない情報でした。しかし地球の歩き方を責めることは全くできないと思います。台湾、中国の変化が早過ぎるのです。2010/11/28現在で金門―厦門の船の情報は http://www.kmarport.gov.tw/11.htm の99年11月小三通海運船班時刻表 にて確認ができます。また立栄航空には空港で配布されている金門行きの小さな時刻表がありますがそれにも厦門までの船便の情報が出ています。

台湾旅行 4日目その2 早暁の台北から金門島へ のその2・・・

2010-11-27 23:10:03 | 再びのスペイン2005
先ずは空港内をうろうろ・・・。宿泊や観光のヒントを探そうとした。とりあえず、島内の地図がメインの観光案内を入手。島の中心で宿泊施設の多い地域に行くか、大陸に渡る最初は金門島で宿を取り荷物を置いて大陸に渡りたいと思った。
持ち物で入国に引っ掛かったり、治安に一抹の不安があったからだ。尖閣諸島の問題で日中間の外交がこじれていて、中国内では散発的に反日デモも起こっていた。しかも私の中国語は台湾の旅ならなんとかなるが、チョー適当でヒアリングはほとんどできない。
しかも初めて行く国には必ず持参していた地球の歩き方を今回は持っていない。「じゃあ、行かない。」と判断するのが普通かもしれない。しかしそれでも足を踏み入れたいのが私の性(さが)なのだ。もしも家内も一緒ならば、この行き当たりばったりの旅行は成立しなかっただろう。
私の第一の希望は“大陸”に渡ることなので空港からとりあえず、大陸へいく船が発着する埠頭へ行くことにした。もし近くに宿を取れるならば宿を取るつもりでいた。
タクシーに乗る。たしか、メーターはなかった。ドライバーのおばちゃんは業務無線のようなものと2台の携帯電話でまくし立てるように話し続けていた。そんな具合だからハンドル操作は少々ユラユラした感じだ。本当にちゃんと着くのか?!
当然不安だった・・・。
しかしおばちゃんは私を埠頭に送り届けてくれた・・・。
しかし・・・、寂れた感じでここから果たして、国境を越えるフェリーが出るのかぁ・・・。
明らかに近隣地域へ向けた船着き場がある。そしてもう一つの船着き場というと・・・。やっぱり寂しく小さな感じ・・・。ひょっとしてオレが間違ってタクシーのオバチャンに説明をして間違った船着き場に連れて来てくれたのか・・・。
まぁいいや、とりあえず施設の中に入ってみた。おやおや・・・、銀行の両替のブースがいくつもある・・・。台湾元→人民元のレートが表示されている。ぉっ・・・電光掲示板を見ると・・・あれが中国側の地名なのか?!?!このちょっと寂しい施設から入出国手続きが行われるのか?!?!う~ん、不安だ。外に出るとまったく町らしく無く、ホテルなどもどーも無さそうだ。
もしも行けるならばここから大陸に渡ろうと気持ちを徐々に固めて行った。
しかし行けるという確信が持てない・・・!!ということで観光案内のお兄さんに中国語で聞いてみた。「オレ、日本人だけど、中国に行けまっか?!」、彼は行った。「行けるよ。向こうで◯☓◇△買って◇■^^▽△・・。」おっ、行けるらしいか・・・。しかし掲示板の行き先の地名と、地球の歩き方の地名とが実は違っている・・・!

台湾旅行 4日目その1 早暁の台北から金門島へ

2010-11-25 23:06:37 | 台湾 旅の走り書き 2010 NOV
マカオに行こうか、金門島に渡ろうか。答えは出ていた。7日、日本語が通じると言われる旅行会社を回ったがいずれも閉まっていた。8日は家内との時間を優先し、半日チケット取りのために台北で過ごすようなヤボなことは止めて台南で時間を過ごした。ipodを持っていた。大欣大飯店は無線LANが使えるため、8日の夜でもキャセイパシフィックのインターネットを通じてのチケットの予約は出来るかもしれない。しかし、Eチケットをプリントアウトできない。夜の台北に繰り出しインターネット喫茶で予約&Eチケットをプリントアウトといった手間も面倒だ。つーことで、金門島行きに決定・・・。
じゃぁ、どうやってチケットを入手するのか・・・。当日、空港で正規料金で購入するのだ。んで、できるだけ早い便に乗りたい。こうしたときは、松山機場(空港)のホームページを見るのだ。発着便のスケジュールが確認できる。ふむふむ、立栄航空 7時の便というのがあるらしい。しっかしである・・・。高鐵(台湾新幹線)のチケットを買って利用したことは数知れずがるが、台湾の国内航空便の利用は初めてだ。大丈夫か?!何とかなるだろう・・・。

7時の便に乗るために4時40分に携帯のアラームを合わせ就寝。無事に起床。ホテルを5時頃、後にする。色々とお世話になった従業員さんにお別れを・・・。今晩の宿はまだ決まっていない。金門島で宿を取るつもりである。家内は午後の便で日本に帰国するためにここからの旅程は私一人だ。中山北路のホテルを出てタクシーを拾うが“松山機場”には行ってくれないという・・・?!なんでかな・・・。
2台目にして松山機場に向かってくれた。タクシーは中山北路を北に、そして民権東路を東に走り松山機場へ。松山機場に着いたのは5時20分ぐらい・・・。
意外というかやっぱりというか・・・、チケットカウンターは空いていなかった。しかし7時発金門島行きの飛行機があるらしいことは確認できた。チケットカウンターが開いたのは確か5時40分ぐらいか・・・。チケットはクレジットカードで買えた。また、パスポートの提出が必要だった。金門島以外の国内線の利用もそうなのかな。登機門は“6”。手荷物検査を終えてこの登機門に辿り着くのにちょっと苦労をした。慣れればたいしたこと無いのだが・・・。
さてさて、出発時間の7時が近づきいよいよ搭乗・・・、思いきや職員の方から「あんた、ちゃいまっせ。」と制止して頂く。この時の搭乗は南竿行きの便だった。金門島行きはまだ少し後だった。初めてで慌てている上に、アナウンスの中国語がさっぱり分からないためだ・・・。
さて、今度こそ搭乗。空港の地面に降り立ちタラップを上がる。空港が出来てから今日まで、先に利用された皆さんもこうして搭乗してきたのだろう。向こうには美麗華の観覧車も見える。
機材は白いMD90。「ニィハオ!」と言って乗り込む。
飛行機はおそらく7時22分頃にテイクオフしたと思う。
小さな飛行機の特徴のように思うが離陸時の加速力、Gが大型の飛行機よりも強いように思う。飛行機はぐんぐん上昇。雲を抜けると雲海の下に台湾の山々が荘厳に広がっていた。これまでに航空機の窓から見たどんな光景にも負けない美しさで驚く。
「飲み物はどうですか。」CAさんが回ってきた。私は「シュウェイ」とお願いをするどーも、水とお茶しかないみたいだ。
飛行機は鹿港鎮あたりの海岸線をかすめて洋上に出る。私は飛行機の上から中国大陸を見たと思う。ユーラシア大陸を目にするのは2007年以来になる。やがて右に旋回して金門島の空港に着陸。おそらく8時9分頃だと思う。
1時間に満たないフライトだ。MD90の写真を撮る。
荷物を預かってもらったのでターンテーブルへ。荷物をヒョイヒョイと持ち出そうとすると「待て。」と制される。引換券を渡せとのこと。無くさずにもっていたので渡す。

さぁ、長い長いエキサイティングでトホホな一日が始まる。

中山北路のホテル近くから空港までのタクシー代は160元とちょっとだった。私が釣り銭が必要なことが判ると160でよいとまけてくれた。

台湾3日目 台北→台南→台北

2010-11-24 22:58:07 | 台湾 旅の走り書き 2010 NOV
南回帰線を越えて走れ。
家内は明日台北を発つ。今日は実質的に家内と旅程をともにできる最後の日だ。
どこに行こうか・・・。迷った
朝から天気予報を見る。北は曇りがちで南の方が天候は良いらしい。
台南に行くことに決定。これまでに行ったことがない安平古堡を目指す。

新幹線で台南に到着。ご存知の通り新幹線の台南駅(高鐵 台南站)は市街地から外れた場所にある。
2010年11月 高鐵站から市街地までは無料(免費)バスが出ているがこれがもうすぐ有料になるとの噂を聞いたことがある。
無料バスのバス停はとても分かりやすい。全ての路線が台鐵(在来線)台南站に停車する訳ではない。乗り間違えると台鐵 台南站に行こうと思ったところ、いけいないということがありうる。
安平古堡に行くには市政府行きのバス(1号線)で終点まで行きそこからタクシーに乗るのが良いようだ。
バス停に前におっちゃんから中国語で親切な口調でたたみかけるように話すおっちゃんがいた。タクシーの運転手さんだ。結局、おっちゃんから安平古堡に行くには市政府行きのバスに乗れば良いことを確認できた。

市政府行きのバスの終点に到着。若いカップルが話しかけてくれて安平古堡の近くまで行くので一緒にタクシーに乗ろうと言ってきてくれた。彼は私が少し中国語を話すので驚いていた。
結局、近くのタクシーの運転手さんの計らいで私たちは彼らとは別のタクシーに乗った。
安平古堡に到着。安平古堡は思ったより小さな印象だった。
この近辺はいまは陸地だがかつては城壁近くが海だった。
私もアムステルダムを訪れたことがあるが、寒く澄んだ空気のあの国からきた兵士達の士気は高かっただろうか・・・。高かったかもしれないが鄭成功の軍団ほど高くなかったことだけは確かだろう。
兵士の中には望郷の思いがどうしても拭いきれないものが多くいたのではないかと勝手に想像する。
ここには未だに残る城壁を始めオランダ軍がいた足跡を見ることができる。
安平古堡の小さな丘からは台南の平野が見下ろせる。また海に近かった。要所であったことは容易に想像が着く。
観光地としての安平古堡だが歴史に興味が薄い方にとってはやや退屈かもしれない。しかし台南の中心部から来る際には運河を見ることも出来て台南が好きになったり、もっと知りたい思った旅行者の方々にとってはできれば行って頂きたい名所旧跡である。
多くの人は台鐵 台南站により近い孔子廟のほうが行って楽しかったり感動したりするかもしれない。

また安平はガイドブックには説明が少ないようだが屋台のような出店(でみせ)が楽しい地域でもある。
私たちは昼食をとっておらず空腹だったためにこの辺りの名物だろうえび煎餅の古堡鮮蝦餅を買う。値段は70元で観光客だと思い高い値段をふっかけられたかとも思ったが、他のブランドのえび煎餅は同じぐらいの量で80元だった。
タクシーを拾う途中、台湾ではよく見かける牡蠣を剥く光景を見かけた。
中心部へはタクシーを拾い、國立台湾文学館まで行った。ここからほど近い度小月で昼食をとることにした。
何度も訪れた台南だが、台南の運河を初めて目にした。
タクシー代は忘れてしまったがそれほど大きな負担になるものではない。
実はこの國立台湾文学館周辺には日本統治時代の建物や担仔麺でたいへん有名な度小月、孔子廟等がほど近く、台南観光の基点にしても良い地点だと思う。
國立台湾文学館では結婚前のカップルだろうか、記念写真を撮っていた。
度小月で担仔麺を食べる。
度小月のとなりは永盛帆布。帆布のバッグなどはおみやげに最適。
台南市消防局には7月と変わらずツバメが飛び交っていた。鳴き声からすると日本に渡るツバメとは別の種類か。
この日もIDF経國の爆音が聞けてシ・ア・ワ・セ。
土地銀行の向こうに見える旧林百貨は工事中だった。台南市警察局、臺灣省嘉南農田水利会の写真を撮り孔子廟へ行く。
7月に来た時と変わり、ガジュマルの木が切られていた。延命のためには仕方なかったのだろう。
孔子廟でリス発見。
國立台湾文学館の前のラウンドアバウトに戻り書道のお店を見る。
中山路に入り台鐵台南站方面に歩く。次に目指すは台南合成帆布帆布。これまでに来た時に比べて一番忙しそうだった。日本語が堪能なおばあちゃん、作業に没頭していて声をかけても気づいてくれなかったようだった。
おじさん(おそらくオバチャンの息子である当店の主人)は7月に来た私を覚えてくれていたようだった。
夫婦でペットボトルを入れる袋を買った。
途中で家内が服を買った。台湾人の小姐相手に値切っていた。いつの間に、そんな風になったんだ?!?!驚いた。
途中でタピオカ・ミルクティーを買って飲む。臺灣の定番の飲み物。最近は日本でも見ることがある。
台鐵台南站そばのバスターミナルで高鐵台南站行きの免費バスを待つ。白・オレンジの高鐵カラーではないバスに乗り込む。
バスが止まるとチケット売り場に急ぐ。
乗った車両は2004年1月30日の1号車両だった。
台北到着後、科技大楼のおかゆ屋、“一流”で食事。ここの料理はどれもうまい。サツマイモが入ったおかゆもオイチイ。百香果の漬物(とオバチャンは言っていた。)おいし~い!また行ったら必ず食うぞ!中山の大欣大飯店に戻る。途中、しみじみと中山の道をあ歩いた・・・。

台北2日目

2010-11-23 21:46:36 | 台湾 旅の走り書き 2010 NOV
迪化街に初めて行くことにした。
中山北路から南京西路を西へ。途中でとても大きな選挙の看板、そして幟を見た。選挙は接戦らしい。
南京西路にはヨーロッパの街のようなラウンドアバウトあった。ラウンドアバウトは気のせいかもしれないが台南にたくさんあるように思う。25.054105 121.514588
そこからさらに進むと迪化街一段に当たる。
迪化街古い町並みが見られ乾物や漢方薬の原料のようなものもたくさん売られていた。乾物はフカヒレやカラスミが目立った。これらにあまり興味の無い人にとってはいたって退屈な街だろう。

迪化街を歩き詰め再度、中山北路を目指す。台湾の廟のお詣りに使う長い線香が売られていた。
正統 空手道 松涛流なる看板を見つけた。“空手”とは台湾でも日本の武道だが、松濤流という流派は聞いたことがない。日本で有名なのは松涛館流という流派だ。入門者は多いのだろうか。看板のくたびれ具合からは入門者が多いとは思えなかった。
とある方からきいたことで正しいかどうかは分からないが台北では台湾に伝わる拳法よりも大陸の太極拳、日本の空手の方が人気があるらしい・・・。

私は淡水線の雙連站からMRTに乗り美麗華がある剣南路に行くことにしていた。
途中で 寧夏路夜市がある辺りを通る。
雙連站はお隣りの中山站に比べてずいぶんと庶民的な街でちょっと面白かった。
※日曜日のせいだろうか。H.I.Sをはじめ日本語が通じそうな旅行会社を回ってみたがいずれも閉まっていた。これが後の旅程を予想の付かないものにしてしまった。

MRTで雙連から剣南路まで行きMiramar美麗華百樂園の地下一階にあるフードコートで取り急ぎ食事。府城の擔仔麵が入った定食150元、小南門傳統豆花で豆花40元を頂く。
その後、この近所にある仏閣を家内と家内の友人とで周りその後、家樂福(Carrefour・カルフール)でお買い物をした。

夜は京鼎樓で食事。ここは小籠包が食べられる大変有名なお店。各種ガイドブックにも紹介されている定番のお店でもあるだろう。いずれの料理も日本人に合う味で店内は日本人でいっぱいだ。やはり小籠包がとても美味しく、私は夜中に無性に食べたくなったことがある。家内はここのチャーハンが好きだ。MRTの最寄り駅は淡水線 中 住所は台北市中山區長春路47號で場所は広い通りにありながら、夜になるとやや分かりにくいかもしれない。グーグルマップやグーグルマップのストリートビュー等で確認しておくとなお良いだろう。
この日に私達がたのんだものは蝦仁蛋炒飯(カニ卵チャーハン)170元、小龍包170元、皮蛋豆腐(ピータンと豆腐の小菜)50元、小黄瓜(キューリの漬物)50元の4品だった。
「そんなありふれた店に行かなくても良いだろう。」と思う方々もいると思う。しかし、おいしいので台北を訪れるとここ3年ぐらいは台北を訪れる度にいつも行っている。

東京国際空港(羽田空港)から臺北松山機場へ

2010-11-23 10:24:08 | 台湾 旅の走り書き 2010 NOV
2010/11/06 旅の出発
羽田空港の本格的な国際線運用によりTCAT発の羽田空港行のリムジンバスは増便された。
国際線ターミナルには第1ターミナル、第2ターミナルを経由するので思いの外時間がかかる。
APECの開催前で警備は厳重だった。
ターミナルはとてもきれいで大きく驚いた。
かなり早い時間のためチェックインカウンターの準備は出来ていなかった。出発時間が近づくとマットを敷き、キャビンアテンダントさんの立て看板を出したりと準備が始まった。
チェックイン業務はコードシェア便の関係だろうか。JALのユニフォームを着た人達が当たっていた。
羽田のお買い物コーナーは人でいっぱいだった。
滑走路は従来の滑走路の沖に増設された滑走路だった。

CI0221は14時39分頃テイクオフ。離陸後、東に飛び上がった後で南に向け旋回、房総半島の袖ヶ浦近辺をかすめ横須賀市あたりから三浦半島を横切り熱海、沼津当たりの上空を通過。天気も良く富士山も見えた。清水から知多半島沖、多気郡、東吉野村、有田市あたりを通り紀伊半島を横切り、阿南市、安芸市、宿毛市あたりを通り四国を横切り、都農町、霧島市、加治木町、日置市、南さつま市あたりを抜け九州を横切り東シナ海へ、尖閣諸島、与那国島といった箇所の北洋上を通り といった箇所を通過し台湾へ。松山空港(台北)に到着したのは時頃
座席は8割前後といったところか・・・。意外なことに空席もあった。機内食はうなぎご飯が出た。私がエコノミーで食べた機内食では史上最高のうまさだった。
17時10分に松山機場(ソンシャン・チージャン)にランディング。
ターンテーブルには台湾名物?!ビーグル犬のお巡りさんがいた。ビーグル犬のお巡りさんは疑わしいお客さんをピックアップする。ビーグル犬のお巡りさんがピックアップした荷物は別台で検査されていた。
このビーグル犬のお巡りさんは日本の空港で活躍する麻薬犬ではない。おもに生肉や果物の持ち込みを検査している。
松山空港の入国手続はすぐに終わった。
桃園に比べてコンパクトな空港で入国審査後はすぐに外に出れた。空港を出られた後はMRT松山機場 駅の入り口はすぐに見つかるだろう。
地下鉄MRTで中山に向かう。かつての木柵線は文湖線と名前が変わっていた。
ともかく板南線が混んでいた。この日は花博にともなう花火が打ち上げられる予定がありどうもその関係だったらしい。
食事は現地の方のお誘いを受け文湖線の科技大楼へここでお粥を中心とした料理を頂く。おいしかった。