光の中に飛び立つの時を静かに待つ。 ルーブル美術館にて
パリの空の下、凱旋門近くで私達夫婦は元気な中国人の女の子に漢語で話しかけられた。
あちゃ~、知っているアレを使うか。「我是日本人」彼女は言ったことを理解してくれたようだがまだしばらく話していた。
中国の人達は海外で同じ邦の人に会うとよく声を掛け合う。
一方で見ず知らずの日本人観光客同士がパリで声を掛け合うことはほとんど無いのではないか。
驚くほど日本人観光客が多いことも原因の一つであろう。
写真は凱旋門の上からの眺望。Grande Arche(新凱旋門)が見える。
街角のさりげない花屋さん、いっぱいの花がディスプレイされている。
それだけたくさんの花を買うお客さんがいるということだろう。
パリとはきっとそんな町なのだろう。
サント・シャペルはノートルダム寺院から徒歩で行ける。
その素晴らしさは分かっている。しかし、2日前にパリに入って以来というもの体調が悪くどうも気分がすぐれない。
そのせいもあろう、この建物の中が窮屈で重苦しいとずっと感じていた。「あぁ、アンダルシアに帰りたい。」と肩を落とした。
また、この建造物はステンドグラスが有名だが裁判所といっしょになった重厚だがほのかな華やかさ備えたその外観も素晴らしいと思う。
朝、白い建物、メリーゴーランド・・・
それは子供の頃から抱いていたヨーロッパのイメージそのものかも知れない。
11月下旬、パリの夜は氷点下になる。
私たちがパリでとった宿、HOTEL TROYONの唯一の暖房施設はこのどこか頼りないヒーターである。
暖かくないし、スイッチがあるわけでもないようだし困ったことだ・・・。
というわけでフロントのアルバイトの男性に尋ねてみた。
「あのヒーターのスイッチはどこですか。どうやったら暖かくなりますか。」
彼は穏やかに応えてくれた。
「暖かくなりますので、そのまま待っていてください。」
確かに・・・。
部屋はほんのり、ほんのりと暖かさが増し、厳寒のパリの夜を心地よく過ごせるほどの暖かさにいつしかなっていた。
2007年11月 パリの空の下、体調が悪い。
午後から知人とお会いすることになっている場所を探すべくホテルを出た。
日本人観光客よろしく、地図をガバッと広げ顔をしかめていると・・・。
“May I help you?”と地元の人が声を掛けてこられた。
私も笑顔を作り行きたい場所を伝えると、とても丁寧に教えて下さった。
「パリの人ってやさしいかもしれない。」そう思った。
それから先、出会った人にまた道を尋ねると、また親切に教えていただけた。
しかも皆さん英語をお話になる。かつてパリの人達は英語を話さないと聞いたことがあったがそのようなことは無いのだろうか。
その日に出会ったフランス人に「かつてフランス人は英語で話すことを避けがちだと聞いていましたが、実際にパリに来てみると英語を話す方が多いので驚きました。」と言ったところ、「最近では英語は必要なので話す人も多いのですよ。」と教えてくれた。
かつて、初めての海外旅行をパリにした知人が帰国後、「パリ最高!みんなやさしくて、親切でした!」と興奮気味に教えてくれたが、私も同じ印象を持つのにさほど時間を要しなかった。
パリの人達には我々アジア人や、旅慣れたスペインの人達とはまた少し違う、繊細なやさしさがあるように思う。