◆参考 戊辰戦、戦術なき会津藩 www.d4.dion.ne.jp/ からの抜粋<o:p></o:p>
容保とその補弼者は勇敢という無形の資源を過信した無謀な戦いの連続を敢行した。そして戦死者の多さを新政府軍の暴挙と残忍性に会津系史家?は帰結させている。当面する脅威に対抗できる有効的な対策(装備武器軍事力)もない会津には別の戦いがあったはずである。 会津藩の降伏を待っていたかのように農民によるヤーヤー一揆が発生した。第二次幕長戦争にみられる挙藩体制による戦いは、会津藩にはなかった。そして無意味な家臣団家族の自決があった。多くのHPでは壮烈な自決と書くが、単なる年長者による幼少者への一方的殺害である。壮烈でもなんでもなく単なる前途を悲観した殺人を含んだ自殺だ。壮烈という言葉遊びと悲壮感で同情を買ってもどうにもならない。もう少し問題の本質を見たらどうだろう。非戦闘員の疎開など有効な方策は事前に打てたはずである。(続)w<o:p></o:p>
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