11月4日能代市二ツ井町のきみまち坂ヘルスセンターで開催された。羽州街道交流会秋田大会の北羽歴研から、会長鷲谷豊・幹事田中實の二名が参加しました。交流会の前段には、羽州街道現地探訪会があり、これには高橋ヨシ会員も参加しました。 現地探訪では、大堤一里塚より綴子本陣あとまでの徒歩、きみまち坂の裏街道コース山路を一部歩き、また明治天皇行幸路を確認、米代川切石の渡し跡見分など。
交流会のパネルデスカッションでは、「羽州街道を活かした地域づくり」テーマに藤原優太郎氏をコーデネーターに、各県地区の5人のパネラーからそれぞれに活動状況などが報告された。 あるパネラー曰く「地元の人間が地元を知らないと町づくりにならず」と、地元の街道の歴史を知る事より始めよと、これはポイントだと感心して聞いた次第。 桑折では街の中の奥州羽州街道追分地点に公園を設置、青森市油川では街道合流点の碑の建立と歴史案内標柱の設置、七ケ宿街道追分・最上街道・米沢街道追分の広域連携など、様々な各地の試みにも大いに啓発された次第です。
北羽歴史研究会・矢立峠歴史の道を守る会としては、「歴史の道は文化財、皆で歩き守り伝えよう」との呼びかけでの、矢立峠の古街道・旧街道明治新道の保全と活用の取り組みに限られています。歴史研究会ですからこれてやむなしなのですが、しかし今回の羽州街道交流会で伝えられた各地のお話を知るにつけ、街区のなかでの街道の歴史活用にも、目を向けるべきと触発さられたように感じます。 たとえば大館市街地では、常盤木町御坂通りや川原町独鈷町通町の羽州街道ルートの保存のこと、あるいは城下の町筋としてその面影を残すべき地域として上町金坂・部垂町やまた長倉町・大町などの都市景観も考えて見るべきと思うわけです。 「街づくり○○会」のような分野の方々に「歴史」を意識して頂けると重畳だと感じた次第です。大館からその分野の方が参加できておれば良いのになーと、次回交流会への参加を期待したい。
羽州街道交流会秋田大会については、新聞報道もありましたので、ご参考ください。 (わ)