延命寺は88箇所遍路巡礼の道筋にあり、丁度宿泊する場所にあるので別格に行かないお遍路さんでも結構立ち寄る機会のあるお寺です。 本堂、大師堂と道を挟んであるのが枯れ死した「いざり松」です。
空海手植え伝説の松は枝が傘状に東西30m・南北20mに広がっていたそうですが、昭和に枯死した。現在は幹だけが横たわり子供たちの遊び場になっています。
私も前回ここにお参りしていました。
http://blog.goo.ne.jp/hkimura52/e/f7b59ae9900e923964008379a59e6e6f
丁度延命寺に着いた頃に雨模様になり、宿も延命寺近くだったので傘をさして自転車を押していきました。
仙龍寺の魅力 それは本堂正面の写真にあります。 古めかしい木造の本堂が深山の中にあります。
ここは本堂奥まで入って参拝します。 入り口には名前を記した額があります。
四国八十八箇所六十五番札所三角寺奥の院
四国八十八箇所総奥の院
四国別格二十霊場十三番札所
四国三十六不動尊霊場二十六番札所
となっており、帰りがけに蓬餅を売っていた奥さん(?)に伺ったところ、昔は三角寺からここまで裏山伝いに道があり、みんな一日がかりで参拝に歩いてきたそうです。 それでここは宿坊も兼ねているですけど、なんせ山の中なので今は団体の方だけ引き受けているそうです。 このような何もない深山の中で滝の音だけで一日過ごせばきっといい気持ちになれるでしょう。
それにしても大変な道でした。 トンネルを抜けて下るですが、ここで自転車のブレーキが焼けて制動が効かなくなる そんなような下り坂です。 帰りはこの道を戻るのかと考えながら下ります。 下った道はしばし湖沿いの道を行くと、突然仙龍寺の道路際の駐車場が現れます。 ここから仙龍寺には車一台の幅しかない急坂を登るか、この車道の横に併設された階段の参拝道を登るかです。 ここには趣のある建物が長い足をだして建っています。 数分で本堂前の駐車場へ。 さすがにここに歩くあるいは自転車でくるような人は殆どいないようです。 私が行った日は歩き遍路が一人、自転車遍路が一人、あとは皆さん自動車です。
本堂奥にあるご本尊前でゆっくり拝んで、名物の蓬餅を食べて長い長い登り坂を上って延命寺に向かいました。
コメント頂いた方:そうですね。 別格のお寺の幾つかは結構登ります。 遍路ころがしを越えるかあるいは駅前で簡単なところが混ざっていてそれはそれで面白いです。
今日は今回の旅で唯一3つの別格霊場を一日で訪問する予定です。
最初に常福寺(別名椿堂のほうが通りがいいです)、仙龍寺(地元の方は奥の院と言っていました)、そして最後に延命寺です。 天気はぐずつき模様で何度かシャワーにあう見込みです。今日の別格3寺のうち、椿堂と延命寺は88箇所お遍路道にあり、前回もここは訪問しましたが、仙龍寺は結構ルートから外れており今回初めての参拝になります。 宿の送迎車で佐野のに戻りほどなくトンネルを抜けると後は椿堂まで一気の下りです。 到着した時はまだ朝の勤行中だったので、静かにお経と唱えました。 前回ここで参拝した時は、女性三人組(お一人は裸足で参拝していました)から翌日雲辺寺で私の灯した線香の灰が蓮の花のようになっていて綺麗だったといわれたことがあります。 ここのご本尊は延命地蔵菩薩なので世尊偈を唱えて終わった頃にやってきた今回の中学生ぐらいの娘さんがお経を唱えていたのですが、耳を澄ますと般若心経ではなく観音経偈(世尊偈)を唱えていました。 般若心経は皆さん唱えるですが世尊偈は珍しいです。
納経場で次の仙龍寺の行き方を伺うと、三角寺との分岐を左に上ってトンネルを出たら直ぐに右に下る道を5キロちょっとですとのこと。後で調べたら椿堂が108m トンネルが390m 仙龍寺が245m 約300m登ってから一気に150m下がって仙龍寺、そこからまた150m登りなおしてトンネルから下るというシビアなコースでした。 さすがに椿堂で私は歩いたり自転車で行った事はないと言われた理由がはわかりました。
それだけ厳しい仙龍寺ですが、その魅力があります。
白地荘で面白い話がありました。
この民宿は佐野にある民宿の宿泊数が足らず、雲辺寺をめざす歩き遍路が宿にあぶれた時に、佐野まで夕方迎えに来て朝は雲辺寺の登山口まで送迎するサービスを行っています。 そこに時たま歩き遍路を全うしたいので、雲辺寺の登山口ではなく、100mぐらい離れた佐野のピックアップされた場所に送って欲しい。 もっと凄いのは雲辺寺まで登ったがやはりあの100mが気になるのでもう一度下ってきてその100mを歩いたとか。 その時は送ってくれた運転者の方に、その人送迎者に乗る時は右足からで、翌日左足から降りましたかと聞いたら車内爆笑ものでした。
今回最後の大窪寺門前の民宿の旅ノートをつらつな眺めていたら「10mもズルしないで歩きとおしました」という誇らしげな記載を見て思いました。 なんだろうこの人たちは
歩き遍路をしていた時に不思議に感じていたのは、本堂に来て賽銭を投げるように賽銭箱に放り込み、お札を投げ込み、10秒拝んで脱兎のごとく納経場に行き、嵐のように次のお寺に歩き始める歩き遍路の多いことでした。 簡単にやっても20分、しっかりやると40分ぐらいかかるお経を唱えることもなくスタンプラリーをしています。
そして高知の第36番札所青龍寺には宇佐の大橋を渡るですが、昔は船で渡るようになっていました。渡った先からは山越えをしていくのが旧遍路道というより本当の遍路道ですが、今は殆どの歩き遍路が宇佐大橋を渡ったら、楽な平坦な道をあるいて青龍寺に向かっています。 橋のたもとにはちゃんと案内があるですがね。
私にとってのお遍路は、可能な限り昔と同じ道をたどり、お寺ではしっかりご本尊とお話して(参拝)していくのが、「ズルをしないで」と考えていましたが、かなりの歩き遍路の方は全部歩きとおす事が「ズルをしないで」という意味になっているようです。
来て見てびっくり。 大きなお寺です。 まぁ四国のお寺でロープウェイがあるのは、大龍寺と雲辺寺そしてこの箸蔵寺だけです。 それだけ参拝者が多いです。 そしてここは讃岐・金刀比羅宮の奥の院でもあり、ご本尊が金毘羅大権現です。 お寺それとも神社なんでしょうか? 宗派は真言宗御室派ですが、真言は「おん、くびらや、そわか」 御詠歌は「いその神ふりにし世より今もなほ箸運ぶてふことの導き」と神様の世界です。
結局のところ、真言宗は神様と仏様をうまく融合させたものなんでしょうか?
本殿(本堂ではないですね)は銅板葺き八棟造りで小天狗と鴉天狗の奉納額があります。 ここで般若心経を唱えていいのかなという雰囲気です。 神社に参拝しているスタイルでしょうか、でも本殿の隣には御影堂やミニ四国八十八ヶ所があり、別格霊場の雰囲気を保っています。
お寺のホームページの縁起によれば「権現(ごんげん)」とは「かりにあらわれる」ことを意味し、仏教の仏さまが日本の神様としてすがたを変えて現れたものです。金毘羅大権現は薬師如来を守護する「薬師十二神将」の筆頭の仏さま「宮毘羅(くびら)大将」といわれています。弘法大師はこの金毘羅大権現のおつげにより当地に箸蔵寺を建立したと伝えられています。
http://www.hashikura.or.jp/?page_id=20
うん分かったような分からない世界です。
参拝が終わり階段を下がっていくと、薬師堂、鐘楼堂とその姿を現してきます。 鐘楼堂だけで一つの美しい建物になっています。
帰りは吉野川右岸の車の往来が激しい道は避けて、左岸沿いの道をとったところ、道のアップダウンも無くすんなりと宿のある白地荘まで帰り着きました。