KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

被爆地ヒロシマを歩く~その2「原爆資料館」

2011-08-07 19:45:16 | 戦争遺跡を歩く

 原爆ドームから平和記念資料館まで歩く。相変わらず日差しは強い。「70年は草木が生えない」と言われた広島の街の木陰を歩いて資料館へ。資料館の渡り廊下の下には、冷水と冷たい「おしぼり」を配布するボランティアがいらっしゃいました。ありがたく、ご好意を受け、記念式典の終わった日差しよけのテントの下でひとやすみ。

 ここで父と、「誕生日おめでとう」のメールをくれた叔母に電話をしました。私にとっての誕生日は、年を重ねたことを祝う日というよりも、両親への感謝の日です。しかし、いつもはふつうに口から出る「この世に生を授けてくれてありがとう」の言葉を出すのを一瞬ためらいました。私が誕生するちょうど21年前に大勢の命が奪われた街にいたせいでしょうか。

平和記念資料館へむかう途中
元安川の対岸から原爆ドームをのぞむ

平和記念資料館から平和記念公園と原爆ドームをのぞむ

 ひとやすみをして、平和記念資料館へ。8月6日という日のせいもあるのでしょうか、大混雑でした。制服姿の中高生が多かったことと、外国人旅行客が多かったのが印象的でした。米国から来られた方もいらっしゃったでしょう。英語が堪能であれば、ご意見やご感想をお伺いしたかったのですが、残念です。

壁一面に展示された被爆後の市街地の写真を動画に収める外国人旅行客
右上から右下へ、さらにそこから上へと「一部分も残すまい」と
文字通り「舐めるように」携帯端末を真剣な表情で操作していました

  私は高校生の頃から、原爆被害の実相について勉強してきたつもりでいました。しかし展示されている「現実」に、ショックを受けると同時に、自分は実際の被害者ではないけれど、この「現実」を後世へ伝えなければならない・・・日本人、いえ一人の人間として、その責任があると感じさせられました。

8時15分で時をとめた時計

 さて、昨年、静岡県伊豆市にある妙蔵寺の僧侶・佐治麻希さんが、小学生の頃から原爆の悲惨さを伝える紙芝居の読み語りをしていることを、あるテレビ番組で知りました(その日の日記)。佐治さんが紙芝居で描いたのは、広島で2歳のときに被爆し、12年という短い生涯を終えた佐々木禎子さんです。禎子さんは、病気が治ると信じて自ら折り鶴を折ったそうです。資料館には、その折り鶴も展示されていました。

禎子さんが折ったという折鶴

平和記念公園にある「原爆の子の像」
禎子さんの死をきっかけに、中学生の手によって建設されました

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