KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

被爆地ヒロシマを歩く~その1「被爆地へ」

2011-08-06 22:19:38 | 戦争遺跡を歩く

 今日はヒロシマ被爆66年目の日。8月6日が誕生日の私の人生では45回目のヒロシマ被爆の日となりました。誕生日がヒロシマ被爆の日でありながら、広島市を訪れたことはありません。今年も広島ではなく長野で「被爆の日」を迎えるのだろうなぁ・・・昨日まで、そう考えていました。

 実は、私の職場は毎年、原水爆禁止世界大会へ代表を送っています(今年は長崎大会へ派遣しています)。仕事の都合で、私にその機会は巡ってこなかったのですが、「長崎行き」の準備をしている後輩の姿をみているうちに、「広島に行きたい・・・」との思いが高まってきてしまったのです。

 とはいうものの、仕事を終えて帰宅したのは午後8時。当然、「広島行き」の準備はしていなかったので、「仮想旅行」のつもりでインターネットに接続。すると、22時長野発の夜行バスがあるではありませんか。幸い空席もある。自宅から最寄り駅まで歩いて2分、そこから長野駅までJRで5分・・・「仮想」が「現実」に変わりました。

 ネットでバスを予約、10年前に購入した「ヒロシマ」のガイドブック、それからとりあえず着替えも用意して出発。いつもの気儘なドライブが気儘な旅行になった瞬間です。

運命を変えた大阪行きの夜行バス。南海電鉄のバスでした。
京都までお世話になりました。

は~るばる来たぜ 広島へ~ ♪
京都から新幹線に乗り換えて広島へ。
本当は8時15分、その瞬間に立ち会いたかったのですが
その時間は車中の人でした。

 生まれて初めて降り立った広島の街は、おそらく66年前もそうだっただろう朝から強い日差しです。長野の暑さなんて可愛いもんです。

 さて、新幹線のなかで「予習」したとおり、路面電車で原爆ドームへ。ガイドブックには市内各所の戦争遺跡が紹介されているのですが、綿密な計画もなく飛び出してきたので、今日は原爆ドームと平和記念公園、そして平和記念資料館だけをじっくり見学することにしました。

広島は路面電車の走る街。
被爆当時は男手不足のため女性乗務員も多かったそうです。
(NHK「おひさま」で真知子が郵便配達をしていたようなものでしょうか)

 原爆ドームから平和記念資料館へ向かって歩いていると、中学生の一団につかまりました。「平和新聞」をつくっているとのことで、インタビューを受けたのです。誕生日が8月6日なので一度来てみたかったことなど、いくつかの質問に答えました。最後の質問は、「私たち中学生にどんなことを望みますか?」というものでした。「人間には人を憎しんでしまう心があるけど、憎しみからは何も生まれない。相手の心を分かり合える大人になってください。それが原爆の悲劇を繰り返さないことにもつながると思います」と、自分にできているのか?という回答をしてしまいました。

夏の日差しが照りつける原爆ドーム
45年目にしてはじめて対面することができました

原爆ドームから一本小路を東に入ったところにある島外科内科病院。
人類史上初の原爆はこの上空約580mで炸裂、
爆心地は約3000~4000度の熱線と放射線を受けました。 

「被爆地ヒロシマを歩く」 No.1  No.2  No.3  No.4 No.5

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村



最新の画像もっと見る

コメントを投稿