本と映画の日々  そして、ゆめのつづき

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「男たちの大和」 生存者は、満開の桜を見て泣いた。

2006年03月27日 | 日本映画
1/10の大和の模型


広島県呉市の大和ミュージアムに行った。
「男たちの大和/YAMATO」の大ヒットによるのだろうか、平日だというのに、
入館者が多い。
やはり目玉は、1/10の大和の模型だ。
26.3メートルもある。16センチくらいの水兵さんも置いてあったりする。
この模型は、尾道の原寸大ロケセットとともに、
映画「男たちの大和」で使われた。

大きな声がするなと振り返ると、ガイドさんが団体さんを引き連れてやってくる。
おっ、これはチャンスと団体さんに混じって、説明を聞く。

昭和20年(1945)4月6日午後3時20分、
戦艦大和は、沖縄に集結する米軍を叩くために、出撃をする。
生還を期しない水上特攻部隊の旗艦として、
僚艦9隻と共に。

映画では、てっきり、大和だけの出撃かと勘違いをしてしまう。
僚艦9隻(軽巡矢矧、駆逐艦雪風、浜風、磯風、朝霜、霞、初霜、冬月、涼月)
のことはほとんど触れられていないからだ。

制空権は敵にあり、大和が沖縄に到着するまでに
撃沈される事は必至であった。

「男たちの大和」で、「大和の出撃は犬死にではないか!」と仲間同士、
取っ組み合いの喧嘩が起きる。そこに分け入って、
海軍大尉・臼淵磐(長島一茂)が、切々と語る。

「負けて目覚めることが必要なのだ。俺たちは日本の新生に先駆けて散る。
まさに本望じゃないか」―


負けて目覚めるには、あまりにも大きな犠牲だ。
司馬遼太郎が「この国のかたち」で、統帥権のあいまいさが、
敗戦時の悲惨さをより大きくした。と語っていた。

日本各地への大空襲、大和の水上特攻、
広島、長崎の原爆投下にせよ、
無条件降伏をもっと早く受諾していれば、
避けれた悲惨さではなかったか・・・。

“第二艦隊司令長官伊藤誠一中将、大和艦長有賀幸作大佐以下乗組員 2489 人が、
艦と運命をともにする。
生存者は 276 人。
大和、矢矧、朝霜、浜風、霞、磯風の 6 隻が沈没、計 3721 人が戦死する。

戦果としては、「敵機」撃墜 6 機、戦死 14(米軍記録による)を数える。“
出典:毎日新聞社『昭和二万日の全記録7』

PS
生存者は 276 人。そのほとんどを、「雪風」が救助した。
ガイドさんは、駆逐艦「雪風」のことを熱っぽく語っていた。
「雪風」は、日本一の幸運艦とのこと。
昭和17年(1942)5月 ミッドウェー海戦ほか、
太平洋戦争の主だった海戦のほぼ総てに出撃し、
最前線で戦いながら、さしたる損害も無く終戦を迎えた。


「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじすぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。それ以外に、どうして日本は救われるか。
今、目覚めずしていつ救われるか。
俺たちは、その先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。」(『戦艦大和ノ最期』より著者吉田満)


PS追加
「宇宙戦艦ヤマト」の松本零士が、大和ミュージアムの名誉館長で、
「宇宙戦艦ヤマト」のコーナーがあった。
先日 テーマ曲を作曲した宮川泰さんが亡くなったが、冥福をお祈りします。
阿久悠作詞、宮川泰作曲の「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲で、
どれだけの青少年が勇気付けられたことか・・・。
そして大和を蘇らせた、松本零士は、名誉館長に相応しい。


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1 コメント

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Unknown (田村)
2024-08-10 12:17:31
今この映画を観ることがどれだけ大事なことかと強く思う。日本が戦争でどれだけの尊い命を、誰彼となくぞんざいにしたか。戦争は誰にも何も良いことはない。それでも戦争がなくならないのは人が成長してないから。命ある一人一人が、戦争をしないと気づかねばならないんじゃないの。そのためにも経験した人が、伝えてくれる言葉を聴こうとする事が大事と思う。大人が子供にちゃんと伝えることができればと思う。
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