本と映画の日々  そして、ゆめのつづき

夢と知りせば、醒めざらましを・・。
放送大学のなんと、学生です。
ドラマ、映画感想、環境問題を!

車椅子からの子育て 「抜萃のつづり」より

2014年06月23日 | 
「車椅子からの子育て」を読み、感動しました。



「抜萃のつづり」は書籍や雑誌、新聞から心に残る文章・記事を抜粋し、まとめた書物です。創業者の熊平源蔵が社会への感謝、報恩のために昭和6年に創刊いたしました。 (クマヒラ公式HP)

熊平製作所は、CSR(企業の社会貢献)に熱心に取り組んでいる会社ですね。
財団法人熊平奨学文化財団では、昔は苦学生、今は、主に、留学生に奨学金を提供しています。

「抜萃のつづり」は、CSRの一環として、社会福祉協議会等にも、配布されています。
 

16回こども未来賞 読売新聞社賞
 ~「車椅子からの子育て」~
櫛田美知子

今から18年前、今日のように暑い暑い夏の夕方だった。翌日の午前中は、4歳の次女の保育参観、午後はキャンプ。1歳の三女が泣くのを聞きながら、洗濯物を取り込みに行った。階段を降りるとき、踏み外してしまった。遠のく記憶、救急救命センターの扉が開く一瞬だけ覚えている。気が付いたら13時間の手術を受け、ベッドに横たわっていた。脊髄損傷。現在の医療では一生歩けない障害に一瞬でなってしまった。悪夢を見ていると思いたかった。


 これから幼い3人の子供を1人で、どうやって育てていくことができるのか?考えても考えても、自分のことすらできないのに! 絶望の日々であった。子育てに忙しく駆けずり回っていたことが、夢のような日々に思った。父母とお見舞いに来た三女が、手術後ギプスで覆われた私のおっぱいを泣きながら探していた。

 「ごめんね。ごめんね」。子供たちが帰った後、涙が止まらなかった。何もできなくなった私はもう母親ができないと思い、考えるのもつらくて、死にたいと思った。頭だけがはっきりして、座ることも、歩くこともできない。


 そんな時、今は亡き父が携帯電話を持ってきた。子供から電話がかかる。「おかあさん、がんばって」。3人が取り合いながら電話に出る。胸が引き裂けそうだった。「会いたい、会いたい」。ベッドごと動いて家に行くことが出来たらどんなにいいかと思った。父は「お前が子供を思うように、俺はお前のことを思っているぞ」。父の言葉に、また泣いた。死にたいと思う気持ちが申し訳ないと思いとどまった。

 そして作業療法の先生が、遠くのリハビリ病院に転院して子供と会えなくなっていた私に、「お子さんの入園に給食のナプキンを作りませんか?」と言ってくれた。母親という意識が遠のいていた時期だった。足は動かないので、肘でミシンをかけ、子供の好きな絵柄を一針一針刺しゅうを夢中で施した。いつの間にか母親の気持ちを取り戻していた。



 そして手だけで車を運転することも覚え、子供に会いに行きたいと思うようになった。子供の好きな料理も車椅子でチャレンジした。あっという間に1年が経過して退院した。介護ベッドに寝る私に、3人が順番に毎日横にくっついて寝る。病院で寂しくつらい日々であったため、子供のぬくもりがこんなに幸せに感じるとは。がんばろう。歩けなくてもこんなにかわいい。

 厳しい現実にぶつかりながら、いつも子供に励まされた。まわりのみんなに「助けて、力を貸してください」と言いながら、学校・保育園など地域に出て行く日が始まった。子供たちも車椅子を押してくれた。

 ある日、こんなことがあった。退院した時は、実家の離れに身を寄せていた。家の前に父が植えたチューリップが咲いて次女が「母さん、きれいだよ。来てごらん」と言うので、路地を通ろうとしたら、石垣の石が車椅子に当たって、無理だと諦めた。夕食の準備をしていたら、再び次女が「おかあさ~ん、来て来て」と呼ぶので行くと、何と石がかなづちでたたき割られていた。何時間もかかって小さな手でたたいていたようだ。私は言葉がでなかった。

 チューリップを毎春見るたびにこのことを思い出す。諦めた私に、時間をかけ崩して前に進むことを教えてくれたように思う。

 また雪が積もった日、長女の授業参観日であった。諦めていたら、ほっぺを真っ赤にした長女が、先生と迎えにきた。雪の中を学校へ行くと、長女のクラスの子たちが、みんな集まってきて、車椅子についた雪を払いのけてくれたこともあった。

 子供たちも成長していき、反抗期もあった。車椅子の親だからといって容赦しない。私は車椅子からとびかかって抱き着いて、子供の訴えを体で受け止めた。怒った。泣いた。

 この夏、三女も二十歳になる。大学生になり、作業療法学科に入った。先日、車に乗せていた時、私は彼女に「リハビリってね……子供のことを思う気持ちを取り戻すような提案をして作業療法をやってくれた先生のことを思い出すのよ。おかげで今があるの」。照れくさかったけど、思わず語ってしまった。


 今、私は包括支援センターで高齢者の相談員をしている。高齢になっても、不自由になっても生きる意欲・生きる愉(たの)しみ・存在の大切さを共感しながら、仕事をさせていただいている。亡き父の言葉も思い出す。いくつになっても子供が大切だと教えてくれた。

 そんな働く私に、娘たちが「どうしてお母さん、そんなに元気なの?」と三女。「体、無理しちゃいけないよ」と笑いながら薬学部の次女。そして「チャレンジお母さんでよかった」という長女に返した私の言葉は「私に似たね」と。

 やっと子育てを振り返れる時間がきて思うことは、「ありがとう」に尽きる。

★ 詳細については、当財団事業部事業振興課(03-5510-1832)までお問い合わせ下さい。http://www.kodomomiraizaidan.or.jp/miraisyo/



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