いつものように病院に夫の面会に行ったら、何やらロビーに人だかり。
「なにがあるんですか?」と聞いたら「ホークスの長谷川勇也選手がもうすぐお見えになります。」って!
これはラッキー♪ ミーハー婆さん、そそくさと列に紛れ込み、ツツツと近寄って写真を撮らせて貰いました。
長谷川勇也選手は毎年慰問に訪れて下さってるようですね!(小児病棟かな?)
そうと知ってたら色紙持ってきたのにな~
いつものように病院に夫の面会に行ったら、何やらロビーに人だかり。
「なにがあるんですか?」と聞いたら「ホークスの長谷川勇也選手がもうすぐお見えになります。」って!
これはラッキー♪ ミーハー婆さん、そそくさと列に紛れ込み、ツツツと近寄って写真を撮らせて貰いました。
長谷川勇也選手は毎年慰問に訪れて下さってるようですね!(小児病棟かな?)
そうと知ってたら色紙持ってきたのにな~
ここ10年位はプリンターで写真入り年賀状を作ってましたが、今年は原点に戻って版画を刷りました。
版画を始めたのは20歳の頃(50年前)。
緊張するとうまく字が書けないので、版画でごまかそうとしたのが始まりです。
絵心もないので、図柄はその時々で色んな所から拝借します。
今年は、図書館の年賀状コーナーにあった、日本画風の鶏の絵を自分流にアレンジして彫りました。
絵の具も筆も子供たちが使っていた古いもの。
筆は毛が抜け始め、絵の具は硬化が進んでますから、そろそろ限界だと思われます。(笑)
多色刷りにしたから、ちと骨折りました。
後は苦手な宛名書きだわ~
昨晩、何気に新聞をめくっていたら、母の尋常小学校時代の同級生の写真が載っていてビックリした。
何でも、九州の五祭り(博多祇園山笠、戸畑祇園大山笠、唐津くんち曳山、八代妙見祭神幸行事、日田祇園曳山)が
ユネスコ無形文化遺産に登録されたそうで、その特集記事だった。
母が『としちゃん』と呼んでたその方には、母を同窓会に送迎した折にお会いしたことがある。
毎年開かれていた同窓会も、訃報がポツポツ舞い込むようになり、母自身も亡くなって今はどうなっているか知らない。
後藤稔夫さんはたしか95歳になられるはず。
今も『日田祇園山鉾振興会』の会長という要職で、かくしゃくとしたご様子が伺え、嬉しくなった。
「としちゃんが新聞に載っとったよ!」と母に報らせなきゃ!と思い、すぐさま、あ~母はいないんだあと気付いたのです。
今年度古典講座7回目『袴垂(ハカマダレ)、保昌(ヤスマサ)にあふ事』
意訳
『昔、袴垂という大盗賊の親分がいた。寒くなったので着る物を手に入れようと物色していると、
夜中、服を沢山着ている人がひとりで笛を吹いて歩いている。
これこそ獲物であろうと、走りかかって服を剥ぎ取ろうと思ったのだが不思議に怖く感じたので、
2~300mほど付いて行ったが、気が付く様子ではない。
試しに足音を立てて近寄ったが、笛を吹きながら振り返った様子は襲いかかれそうもなかったので走って逃げた。
何度も色々やってみたが少しも怯えた様子がない。
又1kmほど付いていったが、このままではいられないと思って刀を抜いて走りかかった時に、
今度は笛を吹くのを止めて振り返って「何者だ」と言うので肝がつぶれてしゃがみ込んでしまった。
逃げられないと思ったので、「おいはぎでございます」と言うと
「名前は?」と聞く。「袴垂と呼ばれております」と答えると、
「そういう者がいるとは聞いている。物騒な奴だ。付いて来い。」と言って又笛を吹いて行く。
この様子では逃げられないと観念し、一緒に行くうち家に着いた。
どこだろうかと思うと、摂津の守(県知事くらい)の前任の保昌という人だった。
家の中に呼んで、綿の厚い服を一枚下さった。
「着る物がいる時はここに来て言いなさい。知らない人に襲い掛かるような過ちはするな。」
と言ったのだが、たいそう不気味で恐ろしかった。
大変立派な人であったと、袴垂はその後捕らえられた時に語った。』
悠然と笛を吹いて歩く凛々しい姿は、なんだか牛若丸みたいですね。
そこで先生に「京の五条の牛若丸と弁慶の話は、これを元にして作られたんでしょうか?」と質問しましたら、
「いや、それは無いでしょう。」と即座に否定されました。