方広寺からちょこっと歩いて、河井寛次郎記念館です
河井寛次郎は1890年生まれ、1966年に76歳で亡くなった陶芸家です
「土と炎の詩人」とよばれます
昭和12年に自分で設計・建築した自宅が、そのまま、この記念館になっています
陶芸品だけでなく、木彫作品やデザインした家具など、いろんなものが、使われていたその当時のまま置かれています
写真を撮りたい人は受付で申し出ることとあったので、お願いしたら
ノートに住所氏名、撮影目的などを書いてくださいとのこと
私の前の人は東京の国立市から、その前の人はドイツから
目的は「記念に」と書いて、「ブログに載せてもよいですか」とお尋ねすると「どうぞどうぞ。ただし出版はちょっと・・・」
はい、大丈夫です
出版することは決して決してございません
ということで、写真は好きなだけ撮れました
これは実際に作品を焼いた登り窯
普通の住宅街にこんなものがあるとは
ドイツからのお客様は女性二人連れでしたが、ドイツ語を話してはるっていうことはわかりました
それしかわかりませんでした
河井寛次郎は私の祖父とちょうど同じぐらいの年代であり
祖父が京都の(いわゆる当時の)文化人だったらしいことから
部屋の雰囲気が、なんだか懐かしいものに感じられました
もしかしたら寛次郎と祖父は親交があったかもしれないなどと想像しつつ
今回の京都歩きはおしまい
距離にすると七条から五条までほんのちょっと
でも、とっても盛りだくさんでした
河井寛次郎は1890年生まれ、1966年に76歳で亡くなった陶芸家です
「土と炎の詩人」とよばれます
昭和12年に自分で設計・建築した自宅が、そのまま、この記念館になっています
陶芸品だけでなく、木彫作品やデザインした家具など、いろんなものが、使われていたその当時のまま置かれています
写真を撮りたい人は受付で申し出ることとあったので、お願いしたら
ノートに住所氏名、撮影目的などを書いてくださいとのこと
私の前の人は東京の国立市から、その前の人はドイツから
目的は「記念に」と書いて、「ブログに載せてもよいですか」とお尋ねすると「どうぞどうぞ。ただし出版はちょっと・・・」
はい、大丈夫です
出版することは決して決してございません
ということで、写真は好きなだけ撮れました
これは実際に作品を焼いた登り窯
普通の住宅街にこんなものがあるとは
ドイツからのお客様は女性二人連れでしたが、ドイツ語を話してはるっていうことはわかりました
それしかわかりませんでした
河井寛次郎は私の祖父とちょうど同じぐらいの年代であり
祖父が京都の(いわゆる当時の)文化人だったらしいことから
部屋の雰囲気が、なんだか懐かしいものに感じられました
もしかしたら寛次郎と祖父は親交があったかもしれないなどと想像しつつ
今回の京都歩きはおしまい
距離にすると七条から五条までほんのちょっと
でも、とっても盛りだくさんでした