goo blog サービス終了のお知らせ 

皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

二十三節気 小寒

2022-01-17 20:51:15 | 生活

正月五日過ぎからが寒の入り。「小寒」「大寒」の二節気を合わせて「寒の内」といって一年で一番寒い一月間になる。寒中見舞いとはこの期間に出す書のこと。

小寒の時期は時に大寒よりも寒さが増すことが多く「小寒の氷、大寒に解く」ともいわれ、転じて物事が必ずしも順序通り運ばないことの例えにも使う。昔から寒の内に体を鍛えると丈夫になると言われ、寒中水泳や寒稽古などが風習として残る。

兼務社春日神社の新年初祈願際は毎年この時期に執り行われる。年末の大祓いよりも寒さが厳しいと身体が覚えている。先代宮司は寒稽古として小寒から立春まで毎朝大祓を奏上していたことを覚えている。

昔は一年で最初の満月となる一月十五日を正月として祝ったそうだ。それが今の小正月。現在でも小豆粥などを食べて無病息災を願う。正月中に休みなく働いた女性がひといきつくことができることから「女正月」とも称される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十七節気 寒露

2021-10-12 20:21:26 | 生活
昨日までの真夏日が遠い記憶のように、今日は朝晩の冷え込みが秋らしく冷え込んだ一日となった。早いもので秋の節気も残すところ二つ。
草木に宿る露が冷たく感じられるようになる。寒露のころに感じる寒さのことを「露寒」と呼び、露が凍りかけて霜が混ざったような状態のことを「露霜」という。露と霜とが繰り返しめぐってくることから「年月」という意味もあるという。

秋が深まるにつれ、夕暮れから急激に日が沈んでいく様を「秋の日は鶴瓶落とし」と表現するが、鶴瓶とは井戸から水をくみ上げる桶のこと。

夕方の空はあっという間に夜の闇へと包まれてゆく。


神宮においては(伊勢)神嘗祭を迎える季節。五穀豊穣に感謝し天皇陛下が初穂を天照大神に奉る宮中祭祀として毎年十五日に祭祀が執り行われる。戦前までは祭祀が終了する十七日が国民の祭日として祝われていた。新嘗祭と同様神宮において最も由緒ある祭事である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百日紅の花言葉

2021-09-17 21:40:08 | 生活

古代ローマ時代ギリシャ神話に於いて自然界を司る神々が信じられ、翻って日々の暮らしのなかで毎年決まった時期に芽吹く木々や
花には神からの神秘のメッセージが宿ると考えられていた。生まれた月日に『誕生花』があり、紐付けられるように象徴する『花言葉』が生まれた。花言葉自体は明治の初期イギリスから伝わったという。
『百日紅』さるすべりはその枝が成長するごとに皮が向けつるつるの表面になることから其の名がついた。弦植物に巻かれないように進化した独特の木。花言葉は『愛嬌』『不用意』。これは日本に於いての花言葉で猿も木から落ちおるという諺にちなんだものだ。

『あなたを信じる』
百日紅と名付けられた花言葉は悲しい逸話に由来する
 ある娘を救いだした王子は『百日後には必ず戻る』約束して旅に出る。旅から戻った時には娘は亡くなっていたという。悲しみにくれる王子が娘の墓にお参りすると、墓からは木が芽生え、紅色の花を咲かせ百日間その姿を保ったという
百日紅といわれる由縁であるという。花言葉は
『あなたを信じる』
百日紅はその花言葉の由来から庭の植木には向かないという。いわゆる凶木とも言われたりもする。寺社に植えられることも多い。
我が家には今鮮やかな百日紅の花が咲く。聞いたところ三十年以上前に母がその花の艶やかさから凶木という気兼ねもなく植えたそうだ。
 百日紅は八月二十九日の誕生花。
 私の一番大切な人の誕生日。縁は繋がっているものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二百十日と残りの日数えてみる

2021-09-01 01:05:01 | 生活

早いもので、八月も終わりを迎えます。例年であれば夏休みの最終日はそこはかとなく寂しさを感じ、明日からの新学期を様々な思いを胸に迎えるところですが、コロナ禍に於いてはいっそう複雑な気持ちであったか方が多いのではないでしょうか。学校は大丈夫か、子供のワクチンはどうしたらよいのか。いつまでこうした先の見えない状態が続くのか。

 『明かりは見えつつある』と言った政治家がおいでですが、むしろどんな光明か聞きたくなるような気持ちではありました。

夏も終わりに近づくと、野に咲く花も終いが見えて、本格的な秋を迎えるまでは花手水もなかなか苦労します。

今年の二百十日は八月晦日の本日でした。立春から数えて二百十日目を稲作農耕の三大厄日のひとつとして数えます。富山のおわら風の盆が有名で、明日から三日間、本来であれば無言の踊り手が風情溢れる舞いを披露するところですが、今年も中止になったようです。

 おわら風の盆についてはサラリーマンのバイブル『課長島耕作』のなかで紹介されていて、その刊は数あるエピソードのなかでも傑作ではないかと思っています。

今年一年も三分の二は終わってしまいました。立春から数えて二百十日ではありますが、残りを数えると120日しか残っていないのです。

年の始めに、十二才になる息子の誕生日の折り、『一日一日を大事に過ごそう。必ず結果が変わるよ』と話しました。親子共々なかなか結果が伴っていないのは、そうしたことの実践がなかったからの証拠と戒めつつ、秋、長月を迎えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一進一退

2021-06-24 00:49:35 | 生活


我が家の軒先には雀が巣を作る。ここ数年毎年のこと。木々に囲まれ喉かで自然豊かな処ではあるが、住宅も維持していかなくてはならず、やむなく取り除くことにしている。ただし何度取り除いても同じところに巣を作る。



まさしく一進一退。よほどここが気に入ったらしい。ただしこちらもおいそれと玄関の頭上に巣作りされるわけにもいかない。
共存とはかくなるもたりと思う。互いの領域を犯さない。
都市部においては野鳥の集団発生に苦慮している地域も少なくない。昨年まで勤務していた東鷲宮駅前も雀の巣に悩んでいた。
共存は難しい。勝手なのは大概こちら側ではあるけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする