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マルタの気持ち

2011-11-08 22:59:17 | こんクリ


さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村(=ベタニヤ村)に入られると、
マルタという女が喜んで家ににお迎えした。彼女にマリアという妹がいたが、
主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところがマルタは、
いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。
「主よ、妹が私にだけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。
私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
主は答えて言われた。
「マルタ、マルタ、あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、ひとつだけです。
マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
(ルカによる福音書10章38~42節)


何度となく 教会のメッセージで登場する箇所なのだが、
牧師の
「なぜマルタは直接マリアに ではなく、お客様であるイエスに声をかけたのか」
という問いかけが とても新しい考え方だったので
なぜだろう と 考えた。

結局 その答えを出さずに牧師の説教は終わってしまい、
今度の日曜日に質問してみようと思っているのだが
気になって気になって仕方がない。

イエス様がみことばを語っておられる真っ最中なのだから、
その場の邪魔にならないように マリアのそばにいって
「座り込んでないで 手伝いなさいよ」
とささやく。
あるいは マリアの肩をトントンとたたいて あごと目線で知らせることも
できたはず。
なのに イエス様の話をさえぎった上に
「言ってやってください」
と みことばを聞くより 自分の仕事を手伝わせようという 指示を出しているのだ。

いやはや何とも驚きの行動

なぜこんな行動をしてしまったか の答えは

”いろいろともてなしのために気が落ち着かず”

というところにある。
あれもしなくちゃ これもしなくちゃ と パニックになっていたのだろう。
きっとマルタは 几帳面で真面目な人で やるとなったらビシバシ徹底的に
○○は □□ でなくてはダメ!
というところがあるんじゃないだろうか。
一生懸命にやればやるほど イエス様のお話を 皆さんに聞いていただく
という本筋からはずれ その妨害さえしてしまう。
何だか 人間の浅はかさがよく見える場面

文字だけだと どんな語調で どんな声の大きさでの会話なのかわからないけれど、
イエス様が
マルタ マルタ と2回も声をかけておられる。
マルタはヒステリックに感情的に大声で言ったのではないだろうか。
それを まあまあまあ と 優しくなだめ、
しかも
あなたはいろいろなことを心配して 気を使っています

と、ちゃんとマルタの仕事を認めてくださっている。
たくさんの人がいる中で ちゃーんとマルタの面目が立つ言葉を語っておられる。
もしも
「アナタのやってることは 的をはずしているんですよ。そういうのをKYっていうんです」
などと もしも言ったら それは真実なのだが、
マルタはとても傷つくだろう。
私など うっかりやってしまいそうである。



いや もしかすると マルタは実は結構冷静だったのかもしれない。
ただ、人がごったがえしている中 裏でガタガタ働きながらも
イエス様とかかわりをもちたいと思っていた。
それが素直に出せなくて マリアに言ってください という
ちょっと屈折した表現になってしまったのかも


いずれにせよ
イエス様  ナイスフォロー
カウンセリングとか コミュニケーションとかの
すばらしいお手本だ。



牧師は
「この物語はここで終わっています」
と 終わらせてしまった。
 
この後 この場面はどう展開していくのだろう