車で信号待ちをしていたら 明らかにホームレス という女性が道を渡った
ガサガサに日焼けして、手には分厚い真冬のロングコートを抱えていた。
おそらく30代、薄汚れていたが鮮やかな色のアロハシャツが映えるきれいな人だ。
不思議なほど しゃんと背中が伸びてスタスタ歩いていた。
空は 見事なカリフォルニアブルーで 解放された幸せな表情だった。
ホームレスになるには それなりの理由と経緯があるのだろう。
若くて元気なら働けばよいではないか とも思うが、
ドラッグ、アルコール、あるいは栄養失調に陥ると
まず脳に異常が出てしまうそうなので
ひとまとめに批判できることではない。
フリーウエーの出口に立つホームレス
段ボールのきれっぱしにメッセージを書いたのを掲げて立っているのを見ると
果たしてお金をあげたらよいのかあげないほうがよいのか
心が揺れる。
私はちゃんと使い道が確実なチャリティーに献金している。
ホームレスはもらったお金はみんなたばことお酒に遣ってしまうのだ、という意見もある
先日は
”Why Lie? I want tabacco & beer"
という看板をかかげたホームレスを見かけた。
こういう人に正直ないいヤツ と お金をあげる人もいるのかもしれない。
やぶれかぶれで開き直ったホームレスと、
立ち直りたい気持ちのあるホームレスは表からでは見分けがつかない。
最近 なんとなく無視して通過できなくなってきた。
私が手渡した小銭が少しは足しになるホームレスだっているはずだし、
貧しい人にほどこすのは 私にしたのと同じである と聖書にある。
あげたお金の行く先は
たばこやお酒に消えてしまうことも含め
すべて神様が見ていることだ。
最近は 祈って心が平安な時にはお金を渡してあげることにしている。