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勝利

2011-09-30 22:40:30 | 日記

2010年の税金を出さなくてはならない。
毎年グズグズと延長して その最終締め切りが15日である。

なにしろ数字が苦手である。
聖書研究で暗唱聖句の課題が出ると、
素のままではどうしても ナニの何章何節 という”数字”が
覚えられない。
数字、というのが意味のあるものとして脳みそが認識しないのだろうか。
当時、覚えられないと罰金のペナルティーがあったので 苦肉の策で 歌にした。
メロディーがつくと とたんに意味のある存在となり、覚えられる。それは今でも覚えている。

そんなわけで 仕事の経費の計算 というのが
本当に巨大な山として どーんと目の前にたちはだかる。
仕事で走った車のマイレージなど、経費として計上できるのだから
これも仕事の一部である。
メンドくさがらないで ちゃんと計上すれば税金に影響していくのだ。
そうではあるけれど、好きなことではないので
動物園のシロクマのごとく、片付けるファイルの前を
ぐずぐずと行ったり来たりになってしまう。

越えなくてはならない壁
よし! と意を決してタイマーをかける。
30分だけ集中して その間にできることだけを きょう やろう という策略である。

タイマーを ぴっと押す。
開始

というわけで この一歩の足を出してしまえば
あとは観念して手が動く。

もともと ”税金の計算が大好き” という
いつもCPAに出す数字づくりのお手伝いをしてくれる頼もしい助っ人がいるのだ。
彼女にすでに半分は終わらせてもらってある作業なので 実際にはそれほどおおごとではないのだ。
手をつけはじめれば 先がみえてくる。
30分経過 の音を ぴしっと止めて
結局 もうちょっと作業はすすんだ。

ささやかな勝利感をかみしめる。

バンパーに

2011-09-29 23:53:43 | こんクリ


フリーウエー走行中 前の車のバンパーに
ISAIAH44:6
と くっきり書いてあった
イザヤ44:6
家に帰って聖書を開いてみると

イスラエルの王である主、これをあがなう方、
万軍の主はこう仰せられる。
「私は初めであり、
私は終わりである。
私のほかに神はいない」


中に含まれることがあまりに大きくて深くて
以前にこの言葉に接したときは あっさりと同感 だったのに
きょうはどうもピンと来ない感じがする。

わからないものは わからないままでよしとして
自分で消化できるところから進んでいこう。

目に見える小さな存在
タンポポの綿毛
時間と空間の秩序が
こめられている感じがする。

じわじわと

2011-09-28 22:23:12 | 日記




午後 マーケットに買い物に。

ショッピングカートを返す場所でないところに
カートがたまっている。
よくあるパターンで 誰も気にもしない。
誰かが1つ カートをおきざりにする。
それがきっかけになって
2つ目 3つ目が磁石のように集まってしまうのだ。
2つ目以降を置き去りにする人は 最初の人の半分くらいの罪悪感になる。
他の人もやってるし、私が最初ってわけじゃないからねーー
と思ってしまう。
私も4つ目 5つ目あたりだと もはや罪悪感もない。

こんなふうに
よいものも 悪いものも
きっかけがあれば 寄り集まるのだ。

知らないうちに じわじわと ま、いいか と
自覚症状がなく
悪いものをひっぱりよせてしまうこともありうる。

大したことではないがゆえに こわいな、と思う。

ショッピングカートは、
ちゃんと所定の場所まで押していくと
何歩か余計に歩いて運動になるから 結局 自分がトクをするのだ。





郵便局で

2011-09-26 20:57:42 | 日記


郵便局に手紙を出しに行き、順番の列にならんだ。

旅行にでも行っていたのか、
局留めの荷物を受け取っている若い男の子がカウンターの前にいた。
大きさのバラバラな箱が10個ほど 加えて封書の束が
奥から運ばれてきて カウンターの上に置かれた。
かなりのカサである。
彼はそれを次々と積み上げ、全体の半分くらいで
すでに彼の顔の高さになった。
能率よくいっぺんになるべく多く運ぼう という作戦らしいが、
このカサだと 相当の熟練を要すると予想された。

列に並んだ人々に見守られながら 彼は一歩を踏み出す。
果たして、箱の山はくずれて彼の腕から飛び出し、
周囲5メートルほどの範囲で散らばった。
この作業には 彼はまだ修練が足りなかったのだ。
封筒やら箱やらを近くの人が拾って手渡す。
私もひとつ 拾った。

列の中央にいた人から
”You almost made it."
と声がかかる。
あとちょっとだったねーー という訳だが、
どう見てもこの事態は 列に並んでいた人全員が予測した事態だったと思う。
咄嗟のこの言葉に 思わずクスッと笑ってしまった。

こういうちっちゃい優しさが
心の余裕 ということかもしれない。

散らばった箱と封筒はカウンターに改めて置かれた。
彼は今度は確実に2、3個ずつ 車まで何度か往復する作戦に切り替えた。


目をとじて

2011-09-26 00:25:10 | 日記


知り合いの方の葬儀に参列
神を愛し神に愛され 人を愛し人に愛された素敵な女性だった
華やかに たくさんの花が飾られていた。

美しく化粧がほどこされ、
その寝顔はやすらかで穏やかだった

旅立ちの二日目にクリスチャンの洗礼を受けたとのこと

この世に生かされていることを 改めて考える


また 会いましょう