あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

空さえも赤く染めるか芥子畑  あきオジ

2010-05-20 17:34:44 | 日記
ときどき思うのです。
プロの歌人や俳人の最大のライバルは素人。
プロの作家はそう思っているに違いなのです。

現代俳人も歌人も
同じ枠の中で競争していますし
技巧的にも共通の土俵で戦っています。

でも、それとは違った土俵で表現している人もいるのです。
それは人生の終わりに俳句に出会った人とか
特異な体験をした人とか
素人であることを恐れない
業界常識を知らない人

きっと、そんな人なのですね。
「まど・みちお」のような人かもしれません。

退屈で技巧的、そして観念的な作品は
素人で常識がない者には鬱陶しいだけですね。

まあ、いいか
俳句も短歌も日記代わりにするのは便利な形式ですから。

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杜若語るも旅のひとつ哉  芭蕉

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青梅でも雨が続くというたより  あきオジ

2010-05-20 17:23:59 | 日記
どこでも天候は似たようなもの
でも青梅は特別の場所だと思っていた節がある。

でも、今日は青梅でも雨だと言う。
当たり前が新鮮に聞こえるから
青梅は不思議なところなのだろう。

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五月雨の堀たのもしき砦かな  蕪村

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武士町や四角四面に水を蒔く 一茶

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江戸時代は俳句が表現手段として似合っていたのですね。
今は、ラップとかポップスの歌詞
それが表現形式として生き生きしている時代なのですね。

塚本邦雄や金子兜太は歴史から消えても
井上陽水の「傘がない」や中島みゆきの「時代」
は時代の証言者としても残りますね。

棺のせし黒き車に五月雨   あきオジ

2010-05-20 06:24:55 | 日記
あまり前のことが当たり前におきている。
悲しみに暮れるのもいっとき

また、切ない日常が始まる。

泣いているときは日常の苦しみから抜け出せる。
そんな見当違いもあるかもしれない。
人は不可解だ。

自分でさえ分からない心
どうして自分に約束できるのでしょうか。

まあまあ
まあいいか
それくらいでちょうどいい。

緑なす森の扉をあけ放つ  あきオジ

2010-05-20 06:06:48 | 日記
扉を閉め
鍵を閉め
電気をつけて

家族だけの幸せ噛みしめる。
それもあるけど
とっても疲れる。

心の扉はうちからひらく
でも、心の扉は外に向かって開くってこと
もっと素敵ではないですか。

人に向かうこともあるけど
風に向かって
山河の緑に向かって

ちまちました密度の濃さに不安を感じるより
ずっといい。