食事を終えた後、車で1分もかからないと思われるほどの至近距離にある
武蔵の生家を訪ねました。
一番上の近代的装いの家が武蔵の生家ですが、元々大きな茅葺の家で
ありました。昭和17年に火災に遭い現代の瓦ぶきの屋根になりましたが、
大黒柱の位置は昔と変わらないと伝えられています。
武蔵は天正12年(1584)に生まれ、父を平田無二(無二斉)祖父を平田
将監と言い両人とも十手術の達人であったと伝えられています。特に父の
無二斉は兵学の指南役として新免家に仕えていて、その新免という姓を
主家から許されました。その盛りの時代に建てられた瀟洒な家であったと
いわれております。
兵学の指南役という身分柄、暮らし振りは豊かでしたが、実母は武蔵を
産んだ後に亡くなりました。その後に迎えた養母も離縁されて播州佐用の
士へ再縁しました。
無二斉は武蔵幼少の折から特意の十手術を厳しく教え込みましたが、
時にはその厳しさから逃避したいのと養母恋しさとで、9歳の時に武蔵は
養母の元へと家出を決行しました。しかし父の追手により敢え無く連れ
戻されたようです。
そして当時から体格が良くて膂力に優れていた武蔵は近郷きっての
暴れん坊へと成長していきました。
武蔵の生家の後はほぼ近接した所に在る平尾家を訪ねました。
鎌坂峠へと続く旧街道の途中にある平尾家は旧家であり、武蔵の姉の
おぎんの嫁ぎ先でもあります。
武蔵が16歳の時武者修行に出立する際平尾家に立ち寄り、家の道具
家系図、十手等をおぎん夫婦に渡したそうです。
後におぎんの二男の九郎兵衛景貞がここに居住し武蔵家を相続した
そうです。現在も住居として使われているので外観のみ見学可との事です。
家の周辺には樹齢450年のタラヨウと樹齢300年のウヅキの巨木が在り、
市の天然記念物に指定されております。しかしながら申し訳ない事に家の
中に入って行けないのでどれがどの木なのかさっぱり判りませんでした。
敢えてこれかなと思えるのは家の後方に聳え立つ巨木群です。一応写真に
収めておりますのでご覧下さい。
その他武蔵の生家の直ぐ傍に建つ石碑を撮りました。
これにて武蔵の生家と平尾家のリポートを終わります。