住心院の後熊野神社を訪ねました。神社の駐車場に着いた頃には雨も
殆ど止んでいましたが、足許はかなり泥濘んでいました。
入口の直ぐ右手に我々を睥睨しながら迎えたのが上方写真の尊流院
三重塔で、県の重要文化財に指定されております。このように神社と
寺院が併設されているのは神仏習合の時代の名残とおもわれます。
どうやら神社の正式な所在地は倉敷市林のようです。木見と林を
併記した記述もありますので両方に跨っているのかも知れません。
さて熊野という名前からお分かりかと思いますが、修験道の祖と
言われる「役小角(えんのおづの)」は朝廷から謀反の疑いをかけられ
699年に伊豆大島に配流され、そして赦免された701年に高弟達が
紀州(和歌山県)熊野本宮を遷座したとのことです。
天皇家からも厚く庇護され、741年には聖武天皇から旧児島郡の
全土を神領として寄進されております。
明治政府による神仏分離令(1868)に伴い、十二社権現は転じて
熊野神社となり、寺院(尊流院)は天台宗の寺院となるなどの変遷を
経ております。
その熊野神社なのですが上方写真のように沢山の社があります。
その中でも中央付近に小さめの同形の社が2つ建っていますが、
向かって右側が国指定重要文化財、左側が県指定重要文化財に
なっております。
神域に足を踏み入れ暫く彷徨って何か眼には見えない力を頂いた様な
気がします。そして家内安全を祈って参拝を終え、清々しい気持ちで
熊野神社を後にしました。
以上で倉敷市藤戸・木見の歴史探訪シリーズを終わらせて頂きます。